189 古びたオルゴール
アゲート一家が去った後、私とクリア姫はバザーを見て回ることになった。
「クリアちゃんはここに来るの初めてでしょう? せっかくだから、お買い物もしてきなさいな」
と、叔母上様が仰ったからだ。「お店番は私に任せて、楽しんできてね」
そんなわけで、私たちは2人でお買い物に出かけた。
いや、正確には2人ではない。叔母上様がバザーに連れてきたオーソクレーズ家の護衛が3人、私たちの後からついてきた。
全員が男性で、長身で肩幅が広い。年齢は30代くらいで、寡黙そうな雰囲気の人たち。
実は彼らは、はじめからずっと私たちのそばに居た。
お城からこの会場に移動する時も、お店をやっている時も。常に目立たないように付き従い、周囲を警戒していた。
今も、連れだって歩く私とクリア姫の邪魔をしないよう、絶妙な距離を置いてついてくる。
クロムのように態度が悪いとか、ジェーンのように護衛対象を引きずり回すこともない。それどころか、話しかけてくることすらない。
これぞプロフェッショナル、本来あるべき護衛の姿なのだろう。
ただ。
私はうっすらと居心地の悪いものを感じていた。
彼らの視線が。けして露骨ではないが、私のことを見張っているかのような。
叔母上様やクリア姫に向けるものとは明らかに質が違う。こちらを見つめるまなざしの奥に、たまにぴりりとしたものがよぎるのである。
「エル」
「は、はい?」
急に名前を呼ばれて飛び上がる。
クリア姫は私の反応に驚いたようで、「どうかしたのか? ぼんやりして。慣れない場所で疲れたのだろうか?」
「い、いえ。だいじょうぶです」
クリア姫にご心配をおかけしてどうする。
彼らのことは気にすまい。護衛は護衛だ。こっちが妙なことでもしない限りは、危害を加えてくることもないはずだし。
「まずは何を買います?」
「…………」
クリア姫はなぜか恥ずかしそうにもじもじした。「その、食べる物を――」
叔母上様のサンドイッチをお昼に食べたけど、デザートはまだなので、甘い物が食べたいと言う。
「実は『買い食い』というものにずっと憧れていたのだ。外で買った物を、その場で食べながら歩く。すごく楽しそうで、1度でいいからしてみたかった」
下を向いて、小さな声で告げるクリア姫。私は胸がきゅんとした。護衛のことなど、心からどうでもよくなった。
「わかりました。1番おいしそうなお菓子を探しましょう」
張り切って売り物を見て回る。
色々な種類のお菓子が売っていた。焼き菓子、飴菓子、揚げた菓子、冷たいアイスクリームもある。
……しかし。
何というか、普通のお店と比べてかなり割高だ。チョコスプレーをトッピングした手作りドーナツが、ランチ一食分くらいの値段だったりする。
クリア姫がこれを一般的な相場と勘違いしなければいいが。
「あ……」
クリア姫が足を止めた。食べ物屋さんではなく、可愛らしい雑貨ばかりを売っているお店の前だった。
「あのオルゴール……」
つぶやく彼女の視線の先を追ってみる。きれいに陳列された雑貨類の中に、古びた茶色の小箱が並んでいた。
ネジ巻き式のオルゴールで、杖を掲げた魔女の絵が描かれている。魔女のそばには、黒猫と白猫が1匹ずつ。魔女が奏でる魔法の子守歌に、気持ちよさそうに目を閉じている。
「…………」
クリア姫は声もなくオルゴールに目を奪われている。聞かなくたってわかる。一目で気に入ったのだと。
「お包みしましょうか」
店番のメイドがほほえみかけてきた。
「そうですね。買って帰ります?」
しかしクリア姫は、ものすごく残念そうな顔をしつつも「贅沢だ」と首を横に振った。
確かに、値段は高い。具体的には、庶民の半月分の生活費に相当する額だ。古びたオルゴール1個に、贅沢といえばかなりの贅沢である。
常識と良識に照らせば、クリア姫の判断は正しい。
でも、クリア姫は日頃、王族としては随分と慎ましやかな暮らしをしておられる。これみよがしに全身アクセサリーで飾っていた、義姉のルチル姫とは違うのだ。
年に1度のお祭に、ほしいものを1つ買うくらいの贅沢ならば――。
「いや、だめだ。あきらめよう」
クリア姫は頑として譲らない。すっごくほしいのはその目を見ればわかるのに。
「たまにはいいじゃありませんか」
と諭しても、
「私のお小遣いでは足りないのだ。仕方ない」
ならば、叔母上様に買っていただくというのはどうだろう。クリア姫がお願いすれば、きっと喜んで買ってくれるはずだ。
「一目で気に入ったんでしょう? 物にも運命があるって、昔、私の祖母が言ってましたよ。自分にとって本当に必要な物とは、出会うべくして出会うんだって」
「だが、しかし――」
私の説得と、クリア姫の葛藤を吹き飛ばし、
「ようやく会えましたわ!」
と声がした。
底抜けに明るく、かしましい声。振り向く前から、マーガレット・ギベオン嬢だとわかった。
フリルが三段になった真っ白なドレスに、同じく真っ白なつばの広い帽子。
夏らしい活動的な衣装に身を包んだマーガレット嬢は、一目散にクリア姫のもとに駆け寄ってくると、
「ああ、よかった! もうお目にかかれないかと思ってしまいましたわ! 私、今日という日をそれは楽しみにしておりましたのに、毎日、指折り数えて待っておりましたのに、何てことでしょう! 今朝になって、バザーにご一緒するはずだったアベリア伯母様が、急にご実家に帰ってしまわれたのですわ! 伯父様とはもう離縁すると仰って――」
怒濤の勢いで続く話を遮ったのは、同行していたティファニー嬢だった。
「ほら、そんな大声で、ギベオン家の恥を世間に広めるんじゃないの」
レイテッドの別邸で会った時にも着ていたような、体型のわかりにくいゆったりしたローブ。肩より長い髪を、今日は首の後ろでひとつに結わえている。
あいかわらず中性的な空気をその身にまとった彼は、マーガレット嬢の後ろ頭をぽんぽんとなだめるように叩き、
「少し落ち着きなさいな。クリスタリア姫もお困りになってるでしょうよ」
そのセリフで、唖然としていたクリア姫が我に返った。
「マーガレット殿、お会いできてよかった。お姿が見えないので心配していたのだ」
「ごめんなさい。でも、クリスタリア姫様に心配していただけたなんて感激ですわ!」
さらに距離をつめ、しっかとクリア姫の両手を握るマーガレット嬢。その熱い視線から目をそらし、
「大変だったのだな。その、伯母上様のこと……」
クリア姫は言いにくそうに口ごもった。
マーガレット嬢の伯母上様って、ギベオン近衛隊長の奥方、つまりはティファニー嬢のお母様のことだろうか。
急に実家に帰ったとか、離縁するとか聞こえた気がするけども。そんな大変な時に、バザーに来ちゃってだいじょうぶなの?
答えたのはティファニー嬢だった。
「ああ、お気になさらず。しょっちゅう家出するのよ、うちの母親。クソ親父への当てつけってやつ」
マーガレット嬢が憤慨した。
「そんな言い方はひどいですわ、お兄様。伯父様はクソ親父ではありません。ただ少しだけ会話が足りなくて、配慮も足りなくて、家庭のことに無関心なだけですわ!」
「それをクソ親父って世間では呼ぶのよ。あんたは知らないだろうけどね」
ギベオン隊長って、自分には娘が居ないから、3人の姪をそれは可愛がってるって話だったよね。その姪にこんな風に言われちゃう人なんだ……。
「伯母様のことは心配ですけれど、それとこれとは話が別ですわ。このバザーにクリスタリア姫様をお誘いしたのはわたくしですもの! すっぽかすなんてこと、絶対にできませんわ!」
華奢なこぶしを握りしめて、力説するマーガレット嬢。そして再びクリア姫のお手をとり、
「参りましょう! いざ、チャリティーバザーへ!」
目的地も決めずに、引っ張っていこうとする。
「ま、待ってほしいのだ」
クリア姫が慌てた。
「あら、もしかしてお買い物中でしたの?」
買うかどうかを迷っていたところだと、クリア姫が説明するより早く、マーガレット嬢は例のオルゴールに目を留めた。
「まあ、可愛らしい……」
うっとりとつぶやいて、鳴らしてみてもいいかしらと店番のメイドに声をかける。
「ええ、もちろんですよ」
メイドにオルゴールを手渡され、マーガレット嬢は早速ネジを巻いた。
流れ出すメロディ。
清らかで優しく、でもどこか切なくて、哀切のこもった……。
ティファニー嬢が「おや」という顔をした。「この曲、もしかして『王女の呪い』じゃない?」
「の、呪い?」
ぎょっとする私とマーガレット嬢に、
「ああ、驚かせてごめんなさい。曲名はあれだけど、別に不吉な曲じゃないのよ」
ティファニー嬢はオルゴールを従妹の手から受け取り、しげしげと眺めつつ、
「『2人の魔女のおはなし』は知ってるでしょ。知らない人は王国に居ないわよね、有名な話だもの」
あの有名な物語にちなんで、後世の作曲家が作った歌曲集があるらしい。
「王女の呪い」はその中の一曲で、水晶の塔に閉じ込められてしまった哀れな王女の、けして報われることのない王子への愛をイメージしているんだとか。
「あんまり人気のない曲なのよ。だから、こんな可愛らしいオルゴールになってるのが意外でね」
なぜ人気がないかといえば、ズバリ曲名のせいだとティファニー嬢は言った。
曲が発表された当時も「呪い」という題が不吉だと嫌われ、時の王妃様が改名を迫ったとか、いっそ歌曲集から削除しろと命じたとかいう逸話があるんだって。
「こんな美しい曲なのに……」
マーガレット嬢は納得できないという顔をしている。
「魔女は王家の祖だからね。王家としては、色々神経質にもなるんでしょうよ」
そう言って、オルゴールを売り場に戻すティファニー嬢。
「姫様、今の話、ご存知でしたか?」
クリア姫は魔女マニアだ。魔女に関わるエピソードなら、きっと知っているはず――。
返事はなかった。そこで初めて、私はお仕えする姫君の様子がおかしいことに気づいた。
小さな体が、小刻みに震えている。凍りついたような瞳を、オルゴールに向けたまま。その顔は蒼白だ。今にも倒れそうなほど――じゃない。実際に今、その膝が崩れ落ちた。
「姫様!?」
とっさに抱きとめた体は、既にぐったりと意識を失っていて。
マーガレット嬢が悲鳴を上げた。周囲の人々が何事かと振り返り、ティファニー嬢が「誰か、お医者様を!」と声を張り上げる。
異常を察した護衛たちが駆け寄ってくる。その間、私は小さな体を守るようにしっかりと抱きしめていた。




