186 カラスの縁結び?
その日のランチは、叔母上様が用意してくださった。
ローストビーフやチキン、新鮮なお野菜がたっぷり入ったサンドイッチで、使用人が作ったものではなく、叔母上様のお手製だった。
「せっかくいいお天気だから、お外で食べましょうか。ピクニックみたいで楽しいわよ」
というわけで木陰にテーブルと椅子を出し、一旦お店を閉めて、一休み。
「さあ、食べて食べて。2人とも疲れたでしょう。ゆっくりしてちょうだいな」
叔母上様は意外に体力があるらしく、疲れた顔も見せず。クリア姫はもちろんメイドの私にも、冷えたお茶を注いでくださった。
申し訳ないとは思いつつ、確かに少しばかりくたびれていた。
私も、クリア姫も。体力より気力の方が削られていた。
貴族のあいさつっていうのは、どうも序列があるみたいなんだよね。
最初は外務卿夫人やレイシャ・レイテッドのような、身分の高い奥様たち。それが終わると、今度は年若い令嬢たちがやってきた。
彼女たちは叔母上様にあいさつしつつも、クリア姫とも話をしたがった。
こんな機会でもなければ顔を合わせることがない姫君と、お友達になりたいから、というのであればよかったんだけど。
本当の目的は違ったらしい。
「あの子たち、ハウルのお妃候補なのよ」
将を射んと欲すればまず馬を射よ。兄殿下を射止めたければ、その妹姫と親密になるべし、ということなのか。
訪れた令嬢たちの中には、あいさつ程度で帰っていく人も居れば、「今度、お屋敷に遊びに行ってもよろしいでしょうか」なんて、ぐいぐい攻めてくる人も居た。
未来の王妃となるため、わずかなチャンスも逃すまいという姿勢には感服するが、やんわりとお断りするのも一苦労。クリア姫もだいぶ気疲れしたようだった。
貴族のバザーって、こういうものなんだな。
準備も含めて、参加するのは楽しい。でも、色々と面倒くさいことも多いみたいだ。
「どうしたの? 遠慮しないで、食べてちょうだいな」
叔母上様に勧められ、恐縮しながら手をのばす。スモークチキンとチーズ、キュウリとレタスの入ったサンドイッチだった。
「いただきます……」
一口食べて、すぐに「おいしいです」の一言が出た。
鶏肉は香ばしく、チーズと相性ぴったりで、つけ合わせのお野菜もぱりっとしている。
「そう。よかったら、こっちも食べてみてね」
ローストビーフとスライスした玉ネギのサンドイッチには、旬のフルーツを使ったという特製ソースがかかっていた。ほのかに甘酸っぱくて、食欲をそそる。これならいくつでも食べられそうだ。
「甘いのも作ってきたのよ。嫌いじゃなければ」
ピーナツクリームとスライスアーモンドのサンドイッチは、身も心もとろけてしまうほど甘かった。
「ふふ。あなたって、おいしいものが大好きなのね。そんな幸せそうな顔をされたら、嬉しくなってしまうわ」
そう言われて、すっかりサンドイッチに夢中になっていたことに気づく。
「す、すみませ……」
小さな子供でもないのに、恥ずかしい。
「あら、いいのよ。もっとたくさん食べてちょうだいな。喜んでくれたら、作った甲斐があるわ。私、昔から料理が趣味なのよ。自分の作ったものを食べて、喜んでくれる誰かの顔を見るのが大好きだったの」
なるほど、それでこんなに料理がお上手に――。
「いいえ、上達したのは結婚してからね。愛する旦那様に、毎日おいしいものを食べてもらいたかったから」
「……な、なるほど……」
隙あらば、ノロケを聞かされるな。
まるで新婚夫婦のような熱々ぶり。失礼を承知でいえば、ちょっとだけ不思議だった。
王家の末姫と、五大家のひとつであるオーソクレーズ家の当主。身分的にはまあ釣り合っているのかもしれないけど、宰相閣下ってあんまり……、女性にモテそうなタイプじゃないよね?
2人のなれそめとか、正直かなり気になる。
でも、そんな質問をしたが最後、日が暮れるまでノロケ話を聞かされるだろうからやめておこう。
「ところで、うちのカイヤもお料理は得意なのだけど、どう?」
どう? って何が。
困惑する私に、叔母上様はもう一押し、「お料理上手の伴侶が居たらいいと思わない?」
だから、その質問はどういう意味――。
その時、クリア姫が「あっ」と声を上げた。
とっさに振り向いた私と叔母上様が見たものは、
「カラス……?」
サンドイッチをくちばしにくわえ、たった今、庭木の枝に下り立ったばかりの真っ黒な鳥が1羽。
「……盗られてしまったのだ」
空っぽの自分の手を見つめて、つぶやくクリア姫。よほどびっくりしたのか、もともと大きな瞳がまん丸に見開かれている。
一方のカラスは、サンドイッチを木の上でつつきながらクリア姫を見下ろし、「アホー」と馬鹿にしたように鳴いた。
「叩き落としましょう」
私はすっくと立ち上がり、地面の上から適当な大きさの小石を見つくろった。
誰であろうと、クリア姫を侮辱する者は許さん。おしおきだ。
「エル、落ち着くのだ」
「乱暴はいけないわ。相手は鳥さんよ」
「だいじょうぶです。命中はさせませんから」
動物虐待はしない。ちょっとおどかすだけ。「子供の頃、水切りで鍛えたコントロールをお目にかけましょう」
「……水切りって何かしら、クリアちゃん」
「確か、水面に石を投げて跳ねさせる遊びだったかと……」
「石が水の上で跳ねるの? まあ。それは是非見てみたいわねえ」
お2人の会話を背中で聞きながら、私は手にした小石を振りかぶった。
しかし、それを投げ放つより早く。
カラスが飛び立った。澄んだ青空へ。反動で揺れた木の枝から、まるで狙ったかのように私のもとに落ちてきたのは、漆黒の羽が1枚。
あと、食べかけのサンドイッチが。
べちゃっと。奇跡のような正確さで、私の顔面に。
「エル……」
「だいじょうぶ?」
お2人の優しさがつらい。もう、いっそ笑われた方が楽だ。
「アホー、アホー、アッホッホー」
飛び立ったかと思ったカラスは、少し離れた場所でまた別の枝にとまり、けたたましく鳴いた。
そのくちばしが歪んで、笑っているように見える。
カラスって、普通はもっとつぶらな目をしてない? あんなひねくれた、底意地の悪そうな目付きをしてたっけ?
キッとにらみつけてやったら、すばやく枝を蹴って飛び立った。
そしてまた少し離れた枝にとまり、「アホー、アホー」と繰り返す。その声が、私には「捕まえてみろ」という挑発の言葉に聞こえた。
冷静に考えればそんなわけはないし、空飛ぶ生き物を捕まえられるはずがない。
それなのに、私は意地になっていた。
「エル!?」
クリア姫が呼ぶのも耳に入らず、ダッシュでカラスを追いかけ。
行き交う買い物客の間をすり抜け、バザーの会場を走って走って。
そして普通に、カラスを見失った。
「はあ、はあ、はあ……」
乱れた呼吸を整え、ひたいの汗をぬぐう。
ふと気づけば、見覚えのない場所で1人。辺りでは貴族のご令嬢やご婦人たちが、楽しげにバザーに興じている。
……なんか、急に虚しくなってきた。
お2人のもとに帰ろうと思い、きびすを返し。
どん。
誰かにぶつかった。
顔を上げると、筋肉質の大きな背中がすぐ目の前にあった。
「あ、すみません……」
相手が振り返る。体格のいい若い男だった。両手で木箱のようなものを抱えて運んでいる。
ちなみに、男が身にまとっているのは警官隊の制服。顔立ちも、思い切り見覚えがあった。
また警官隊を追い出されたんじゃなかったっけ? カルサはそう言ってたはずだけど。
「ニックさん?」
いったいここで何をしている。
どうして、私の行く場所行く場所に姿を現すのか、説明してほしい。




