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183 執務室にて

 王国の宰相ミゲル・オーソクレーズは、自他共に認める仕事人間である。

 早朝に起きてから、夜遅く眠りにつくまで、目覚めている時間の大半を仕事のためだけに使っている。

 自邸には仕事部屋が3つ。内2つは、王宮内の執務室に入りきらない書類等を保管する部屋で、残るひとつが執務室だ。


 ――夜遅く。

 机に向かって、1人黙々と書類のチェックをしていたミゲルは、軽やかなノックの音に手を止めた。


「お疲れさま。少しは休憩したら?」


 銀のトレイを掲げて、扉から入ってきたのはエンジェラだった。今年26歳になる、ミゲルの娘である。

 いきいきとした青い瞳。色素の薄い肌によく映える淡い山吹色のドレス。柔らかな茶髪が、ふくよかな体をふわりと覆っている。

 父親似だと妻は言うが、ミゲルはそう思わない。自分の若い頃と比べれば、よほど美しいと思っている。

 娘は長年、音楽の道に打ち込んできた。今では隣国のヴァイオリン・コンクールで入賞するほどの腕前だ。

 努力に裏打ちされた自信が、彼女を輝かせているのか。あるいは単に、親の欲目だろうか。


「体の温まるお茶らしいわよ。どう?」

 お気遣いどうも、とミゲルは答えた。「それにしても、珍しいね?」

 日頃は父親のために、わざわざ茶を淹れてくれるような娘ではない。特別仲が悪いわけではないが、基本的に互いのことには干渉せず、それぞれしたいことをしてきた。そういう父娘関係だ。


 案の定、「自分が飲みたかったから、ついでに淹れただけ」とエンジェラは肩をすくめた。

「輸入物の珍しいやつなのよ。2、3日前に、ミランが持ってきたの」

「ミランが?」

 意識せず、怪訝な声が出た。

 エンジェラの弟、20歳になる息子のミランは、現在実家を出て、騎士団の兵舎で暮らしている。親から自立するためではなく、特別仲が悪い父親に反発してのことだ。


「心配しなくても、毒なんて入ってなかったわよ?」

 そう言って、ミゲルの前にティーカップを置く。その口元がおもしろそうに笑っている。

 今のは冗談か、皮肉か、果たしてどちらなのだろう。

「ほら、しばらく前に母さんが夏風邪ひいたでしょ。それを誰かに聞いて、心配したみたい」

 あいかわらずのマザコンぶりね、とエンジェラはまた笑う。

「母さんのこと、好きでしょうがないんだから。そこだけは父親に似たのね」

「…………」

 自他共に認める仕事人間のミゲルは、実は娘に冷やかされるほどの愛妻家でもあった。

 自邸に仕事部屋を構えているのも、妻の希望による。

「お仕事が忙しいのは仕方ないけど、何日もお会いできないのは寂しいわ。ほんの少しの時間でいいから、毎日お顔が見たいの。だめかしら?」とお願いされて。


「なんで黙ってるの? ひょっとして照れた?」

「…………」

 ミゲルは無言のままティーカップを口に運んだ。

 少し、クセのある味だった。ジンジャーの香りが強い。正直あまり好みではないが、体は確かに温まりそうだ。


 一息つくと、疲労がたまっているのを嫌でも自覚した。

 軽く肩を回し、体をほぐす。その様子を見て、

「大変そうね」

とエンジェラが言った。

 すぐに立ち去るでも、腰を据えて話し込むでもなく、立ったまま室内を見回し、

「けど、これ……。人が見たら、絶対誤解するでしょうね」

「どんな誤解?」

と聞き返しつつ、娘の言わんとすることはミゲルにもわかった。

 さほど広くもない室内に所狭しと並べられているのは、美しく着飾った女性の肖像画。それも10代から20代前半の若い女性ばかりだ。


「アブナイ趣味がある中年親父の部屋だって」

 遠慮なく口に出すエンジェラ。さすがに、ミゲルは憮然とした。

 お堅い執務室に、美女の絵がずらりという光景は確かに異様だが、その絵がどういうものかは娘も知っているはずだ。


「ハウルのおきさき探し、急がなきゃマズイの?」

 そう。絵の中に描かれているのは、次代の妃候補たちだ。かなうならば、一族の娘を第一王子に輿入れさせたいと願う貴族たちから、頼みもしないのに送られてきたものである。

「マズイね」

 そっけなく返し、手元の書類に視線を落とす。そこには令嬢たちの経歴、家族構成、人としての評判等が事細かに記されている。こちらは勝手に送ってきたものではなく、ミゲルが手勢を使って、ひそかに調べさせた。


「いいかげん、のんびりしてはいられないよ。決まった相手が居ないってことが、敵に付け入る隙を与えることにもなるから」

「ちなみに、ハウルの希望は?」

 特にないよとミゲルは答えた。

「愛情じゃなくて、打算で結婚してくれる相手なら誰でもいいってさ」

「……普通、逆じゃない?」

「貴族や王族の結婚なんてそんなものだよ」

「自分はバリバリの恋愛結婚のくせに」

 エンジェラはまた冷やかすように笑う。それから少し真顔になって、

「ヤケになってるわけじゃないわよね? 例の彼女と、結局別れることになって――」

 娘の言葉に、ミゲルは一瞬考え込んだ。

「……多分、そういうんじゃないんだよ」

 小さく首を振る。


 愛した女性との別れを引きずっているとか、そんな普通の理由ではあるまい。

 物心ついた頃からずっと、普通とは言いがたい生き方を強いられてきた甥のことだ。

 考え方も、人生における優先順位も、余人とは大きく違う。

 自身の恋愛感情など、二の次三の次。

 守るべきものを守る。そのために王になる。それこそが重要なのだ。


 ……もっとも、甥は自分と違ってまともな人間だから。

 愛情よりも打算、という考え方に基づく結婚が、「結婚」というものの本来あるべき姿から遠く離れているという認識はあるのだろう。

 だからこそ、相手にも「打算」があり、結婚によって利益が得られる形が望ましい。

 間違っても、甘い結婚生活を夢見て失望し、失意のまま、不幸な一生を送ることなどないように。


「それにしても、愛情より打算での結婚がいい、だなんて」

 エンジェラはふっとため息をついた。

「本当に、心底結婚ってものに夢を見てないのね。やっぱり実の親のことがトラウマになってるのかしら?」

 小首を傾げて、こちらを見つめてくる。


 ミゲルは答えなかった。

 正確には、答えられなかった。

 ハウルの実の親。王国の王と王妃。その婚姻に、愛があったかどうかなど知らない。知りたくもない。

 確かなのは、2人の間に生まれた王子が、ハウルとカイヤが、さんざん苦労してきたこと。それだけだ。

 ミゲルはよく知っている。時に歯がみしながら、自分の無力を噛みしめながら、ずっとあの兄弟のことをそばで見てきたのだから。

 たとえ娘の言う通りだとしても認められない。怒りとやり切れなさでどうにかなってしまう。


 黙り込む父親の姿に、エンジェラは何を思ったのか。

「ま、過労死しない程度にがんばって」

 そう言い残し、軽やかな足取りで部屋から出て行った。


 娘の足音が消えてから、ミゲルはあらためて自分に言い聞かせた。のんびりしてはいられない。

 今までもそうだったが、ここに来てさらに状況が変わった。

 例の密売事件で、主犯と目されているエマ・クォーツ。その甥にあたるチェロ・クォーツが、ひそかに接触してきたのだ。

 自分の妹を、ハウルに輿入れさせたいと言って。


 その妹というのはまだ13歳で、ハウルの幼い妹とひとつしか違わないのだが、問題はそこではない。

 チェロ・クォーツが持ちかけてきたのは、長年敵対してきた本家と分家の和解。

 共に力を合わせて、敵を倒そうと。

 いずれは中立派のレイテッドや、ハウライト派に近い警官隊の協力も得て、力づくで騎士団長ラズワルドを、ついでにファーデン国王のことも排除してしまおうという。

 控えめに言っても、わりとトンデモナイ話だった。


 一般的に、それを謀反むほんと呼ぶ。あるいはクーデターと呼ぶ。

 計画が洩れれば、即逮捕。謀反人として処刑される以外の道はない。


 まだ10代半ばのチェロ・クォーツを、そんな過激な計画に走らせたのは復讐心らしい。母親のように慕う伯母を毒殺されかけたことが、あの少年の憎悪に火をつけたのだ。

 愚かというか無謀というか。そもそもエマ・クォーツの件は自業自得だろうに。


 無論ミゲルは、そんな計画に乗ってやる気はさらさらない。

 いっそ、チェロ・クォーツをとっ捕まえて突き出してしまいたいくらいだが、そうすれば分家筋を完全に敵に回してしまう。


 もとから敵ではある。それでも、ラズワルドという共通の敵を持つ同士。共闘の余地すらなくしてしまうのはまずい。

 計画には乗れない。縁談も断る。しかし関係そのものは断ち切らないよう、うまく交渉していかなくてはならない。

 面倒で、厄介な仕事だ。しかも厄介なのはその件ばかりではなく。


 密売事件の後始末もある。時同じくして起きたサギ事件のこともある。

 ただでさえ寝る間もないほど忙しい中、トドメを刺すかのように届いた「巨人殺し」の予告状。

 本物か、偽物か。脅しか、嫌がらせか。いずれにせよ、放置できない問題だ。

 もしや敵の狙いは、ミゲルを過労死させることにあるのではないか。投げやりに、そう考えたくもなる。


 軽く頭をかきむしりながら、ミゲルはひとそろいの書類を手元に引き寄せた。

 令嬢たちの調査書類と、似ているようで違う。

 見出しは「シム・ジェイドに関する調査報告書」。

 すばやくページをめくり、整然と並んだ文字列に目を走らせながら、ミゲルは三度みたび、自分に言い聞かせた。


 ――のんびりしてはいられない。

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