182 お告げの真意
それからどうやってお城に戻ったのか、よく覚えていない。
突然の魔女の出現と、意味深なお告げ。真昼の礼拝堂で起きた信じがたい出来事が、何度も頭の中で繰り返されて。
「急にどうしたんだ?」
クロムには不審がられたが、説明のしようもない。
だって、彼には「魔女」の姿が見えていなかったようなのだ。同じ時に、同じ場所に居たはずなのに。
「今、ここに魔女が居ましたよね?」
と尋ねても、
「……疲れてるのか? それとも、暑さにやられたのか?」
と、気の毒そうな目を向けられただけだった。
「おかえりなさーい」
困惑と混乱を抱えたままクリア姫のお屋敷に戻った私は、やたらハイテンションな声に出迎えられた。
相手はもちろんクリア姫ではない。私の留守中、遊びに来ていた叔母上様だ。
王妃様の妹姫で、宰相閣下の奥方。カイヤ殿下と同じ黒髪に黒い瞳の、とびきり美しい中年女性である。
「お久しぶりね、会えて嬉しいわ。おいしいお菓子があるのよ。召し上がる? 外は暑かったでしょう。冷たいお茶もありますよ」
ぐいぐいと私の手を引いてリビングまで連れて行き、お茶とお菓子でもてなしてくれる。
あいかわらず少し強引で、以前にも増してテンションが高い。
その理由は、すぐにわかった。
「今日はねえ、相談があってきたの。ほら、外務卿夫人のバザーのことで。クリアちゃんも参加してくれるって聞いて嬉しくて。それなら一緒にお店をやりましょうって話していたのよ」
クリア姫もこっくりした。同じテーブルを囲んでお茶を飲みながら、
「バザーでは自分の店を出すこともできるのだ。品物は主催者に預けて、売るのを任せてしまうという方法もあるが……」
「それじゃつまらないじゃない。どうせならお店屋さんもしましょうよ。ね?」
叔母上様の説明によると、ベテランの参加者はみんな会場の一角を借り切って、小さなお店を建てて、品物の陳列から飾り付けまで自前でやるんだって。
言っては悪いが、すごくぜいたくなお店屋さんごっこみたいだな……。
「売り子の服も作ってきたのよ。サイズが合うといいのだけど」
フリフリひらひらのついた青いエプロンドレスを取り出し、私の胸にあてがう。
「色はいいわね。でも、少し大きめかしら。スカートの丈も直さないと……」
小声でつぶやきながら、私の周囲をくるくる回る。
私はその間もずっと「魔女」のお告げのことが気がかりで上の空だったのだが、叔母上様がお帰りになった後で正気に戻り、頭を抱えることになった。
……なんだこの、異様なまでに可愛い売り子服は。
これを人前で身につける? そんなの、私にとっては精神的拷問に近い。
とはいえ、叔母上様がわざわざ用意してくださったものを断るなんてこと――。
「エル、どうかしたのか?」
クリア姫が心配そうに近づいてきた。
「……何でもありません。とっても可愛らしいお洋服だなあって」
ひきつった愛想笑いを浮かべる私に、
「無理をしなくていい」
と返すクリア姫。
「叔母様に頼んで、もう少しシンプルなものに変えてもらうから大丈夫だ。聞きたかったのはそこではなくて、帰ってきた時からずっと、様子がおかしかっただろう? 気になっていたのだ」
「やっぱり、あのチンピラ野郎に何かされたのか?」
一緒にくっついてきたダンビュラも言う。
「いえ、何でもないです。別に変わったことなんて……」
反射的にごまかしかけて、すぐに反省した。
だめだなあ、自分。この上はもう、隠し事などすまいと決めたのに。
私は姿勢を正してクリア姫に向き直った。
「実は、今日の帰り道で……」
再び魔女に会い、意味深な言葉を告げられたと話すと、クリア姫は知的興奮で瞳をキラキラさせた。
「魔女の霊廟? 知っているのだ!」
それから息を弾ませて説明してくれたところによれば、「魔女の霊廟」というのは王城の北にある小さな墓地で、なんと伝説の白い魔女の亡骸が葬られている場所なんだそうだ。
「と言っても、本当に遺体があるわけではない。空っぽの石棺が納められているだけだ」
かつて魔女だった女性が最期を迎えた――という伝説のある場所に後からお堂を建てて、神聖な場所として祀るようになったらしい。
一般人は立ち入り禁止。王族ですら、特別な時しか立ち入りを許されない。
「そんな神聖な場所なんですか……」
つまり、「そこに求めるものがある」とか言われても、行くのは簡単じゃないんだな。
「そうだな。簡単ではないと思う」
難しい顔でつぶやくクリア姫。
「そもそも、行ってどうすんだよ」
と突っ込むダンビュラ。「要は墓なんだろ? あんたの親父と、何の関係があるんだ?」
それを聞かれても、私には答えようがない。
「わからないが、意味はあるはずなのだ。『魔女』がその場所に行けと言ったのなら、きっと、いや必ず」
クリア姫は確信に満ちた声で言い切った。
「少し待っていてくれ」
1度リビングから出て行って、
「これを、見てほしい」
分厚い本を抱えて、すぐに戻ってきた。
「エルに魔女の話を聞いてから、私も調べてみたのだ。と言っても、屋敷に置いてある魔女関係の本を読み直してみた、というだけだが」
そんなことしてたんだ。このお屋敷にある魔女関係の本って、10冊や20冊じゃないのに。
「これは著名な学者がまとめたものだ」
差し出された本の表紙には、「魔女のお告げ」というタイトルが印字されていた。
「王国には、魔女の出てくる言い伝えや民話、伝承が各地に残されている」
その中でも、魔女が人間の前に現れ、何らかのお告げを残していったという伝承のみをまとめた本で。
そのお告げの通りに行動した、あるいはしなかった場合、結果としてこういうことが起きた――という話が記録されている。
「中には、魔女のお告げのおかげで、尋ね人に再会できたという話もある」
思わず前のめりになる私に、
「言い伝えだろ。実話じゃないだろ」
と横から指摘するダンビュラ。
クリア姫が反論する。
「この本の著者は、ちゃんと現地調査も行っているのだ。いいかげんな作り話とは違う」
魔女のお告げが確かにあったと、証明するのは難しい。
だが、お告げによって引き起こされた何か――たとえば、生き別れになった家族が奇跡のような再会を果たした、という事実の方なら、それが比較的近い時代の話なら、記録が残っている場合もある。
「この本の中には、何百年も前の言い伝えもあれば、ほんの数十年前の出来事についても記されている。おとぎ話としか思えないような話も確かに多いが、もっと身近で、信憑性の高い話もたくさん載っているのだ」
魔女は物語の中にだけ存在するものではない。今もこの王国に居て、私たちを見守っているかもしれない――とクリア姫は力説した。
「あのおとぎ話でも、白い魔女は最後に人間になるが、黒い魔女は違うだろう?」
人々が願い事をしにノコギリ山に行っても、姿を見つけられなかったという記述があるだけだ。
「どこかに行ってしまったという解釈もできるが、私は違うと思う」
クリア姫は8歳になるまで、ノコギリ山のふもとにある離宮で暮らしていた。
離宮のそばには小さな村がある。そこでは今も言い伝えられているそうだ。ノコギリ山のてっぺんには魔女が居て、どんな願い事でもかなえてくれると。
その言い伝えを信じて、山を登っていく人もごく稀に居るらしい。
好奇心か、本当にかなえたい願いがあるのか、ワラにもすがるほど追いつめられているのか、理由はともかくとして。
立て板に水の如く流れるクリア姫の話に圧倒されて、いつのまにか正座して傾聴する私。
ダンビュラは床に丸まって寝ている。
話が途切れたタイミングで、顔を上げてあくびをひとつ。後ろ足で首のつけ根をかきながら、
「要するに、嬢ちゃんは本物の魔女だって思うのか?」
私の見間違いや思い込み、気の迷いではなくて。
「ダンは違うと言うのか」
「…………」
ぎょろりとした鋭いまなこが、私を睨めつける。
「……そんな慌て者でも、肝っ玉でもないだろうな」
けどな、と彼は続けた。疲れたような、気だるいような声で、
「魔女は神様じゃねえぞ、嬢ちゃん」
もっと気まぐれで、厄介なものだ。その「お告げ」とて、親切や善意の忠告ではないかもしれない。言う通りにしたからといって、良い結果が訪れるとは限らない。
すごく実感のこもった言い方をされて、私は――今までは深く聞こうとしなかった、聞いてもまともに答えてもらえなかった質問を敢えて口にした。
「ダンビュラさんて、本物の魔女に会ったことがあるんですよね?」
昔、魔女に姿を変えられたという話は本当なのか。
「さあな」
今回もまともな答えは得られなかった。
「すまない。ダンはあまり話したくないようなのだ」
当人の代わりに、クリア姫が申し訳なさそうな顔をする。「何か事情があるらしいのだ。私もくわしくは聞いていないのだが……」
よっぽどひどい目にあわされたのかな? ……いや、姿を変えられた時点で、十分「ひどい目」だけど。
ダンビュラは同情的な空気になるのが嫌だったらしく、「別に、事情なんてない」と吐き捨てた。
「この姿も気に入ってる。嫌なのはむしろ、それより前の……」
そう言いかけて、我に返ったように口ごもり、
「とにかく、魔女なんてアテにすんな」
強引に話を変えて、リビングから出て行ってしまった。
「…………」
クリア姫もいくらか興奮が冷めた様子で、本を抱えて自分の部屋へと戻っていった。
そろそろ夕方だ。夕食の支度を始めなければいけない時刻になっていた。
※次回は他者視点の間章になります。




