181 再び
クンツァイトの名前に、私は動揺した。
「……また? よくお城に来るんですか?」
平静を装いながら尋ねると、クロムはしかめ面のまま、「このところ毎日だよ」と答えた。
「どっかの親馬鹿が、クソガキの平癒祈願に呼び寄せてるんだと」
さらにくわしく話を聞いてみると、その親馬鹿とは国王陛下のことであり、クソガキはルチル姫のことだとわかった。
「平癒祈願?」
いつの間に、病気にでもなったのか、ルチル姫は。あの事件以来、「ショックで閉じこもりがち」という話は聞いてるけど……、だからって普通、最高司祭をわざわざ呼んだりはしないよね?
「聞いてないのか? 城では今、兵士もメイドもその話で持ちきりだぜ。あのクソガキが、タチの悪い死霊に取り憑かれたってな」
「……しりょう?」
クロムはふざけている様子もなく、うなずいた。
ここ最近、ルチル姫の様子がおかしい。
突然叫び出したかと思えば、ふいに意識を失って倒れたり。
昼間はあいかわらず自室に閉じこもっているが、夜になるとふらふらと徘徊する。
偶然その姿を目撃したメイドの話によれば、ルチル姫は別人のようにやせ細り、瞳は虚ろで、土気色の顔をしてさまよっていたんだとか。
「その顔が、まるで死人みたいで――」
「ちょ、やめてください」
私は慌てて彼の話を遮った。「そういう話、苦手なんです。幽霊とか、お化けとか、怪談とか」
実話系も苦手だし、ホラー小説とか、フィクションであっても苦手だ。
クロムは心底意外そうに目を見開いた。
「マジかよ。あんた、幽霊なんて平手打ちでもかまして、追っ払いそうに見えるが」
「どういう意味ですか。私にだって、苦手なものくらいありますよ」
誰にでもあるだろう。怖いものや苦手なもののひとつやふたつ。
「まあ、そうかもしれんが……。そっち系が苦手で、よく城で働く気になったもんだな」
王城の歴史は古い。その分、そういった話には事欠かないとクロムは言った。
たとえば、空飛ぶ怪しい光とか、すすり泣く声とか、動く甲冑とか。いわゆる七不思議系のネタが、掃いて捨てるほどあるんだそうで。
「あんたが今住んでる屋敷だって、夜になると先代国王の亡霊がさまようって噂が……」
「やめてください、本当にやめてください!」
私は両耳を押さえて悲鳴を上げた。
通行人が振り返る。そして、一応は若い女性である私と、三十男のクロムを見比べて、いかにも不審そうに眉を寄せた。
「おい、変な声出すなよ」
クロムは目に見えて慌て出した。
「噂だよ、ただの噂。そんなに怖いなら、ほれ、そこでお祓いでもしていくか?」
微妙に的外れな提案をしつつ、彼が指差したのは、街角の礼拝堂。
「こんな場所に……」
私は少し驚いた。
普通の商店の横に、当たり前のような顔をして建っている祈りの場。入り口は開け放たれ、誰でも自由にお参りができるようになっている。
「知らなかったのか? 王都じゃ珍しくもないぜ」
とクロム。
仮にも白い魔女の建てた国だ。
そこに暮らす人々は皆、信心深い――わけではないが、それでも何かあれば魔女に祈る。そのための場所も、身近に用意されている。
「ほれ、行くぞ」
クロムは通行人の視線から逃げるように、早足で礼拝堂の中に踏み入っていく。
別に、お祓いなんてしなくていいんだけど。
1人で先に帰るわけにもいかないし、私は仕方なく彼の後を追った。
中は、外から見た感じよりも広かった。
数人掛けの長椅子が2列に並んでいる。正面奥に祭壇があって、白い魔女の像が優しくほほえんでいる。
天井は高く、窓から差し込む陽の光が、明るく澄んでいて――。
街中の喧噪も、この場所にはあまり届かないようだ。いかにも祈りの場らしい、おごそかな空気が満ちている。
平日の昼間だからか、人の姿は見当たらない。礼拝堂の管理者であるはずの、司祭様の姿もない。代わりに。
魔女が居た。
黒いローブをまとい、黒いフードをかぶった、長い黒髪の魔女が。
あまりに唐突で、すぐには反応できなかった。
――魔女だ。
数ヶ月前、故郷の村で出会い、私の父が王都に居ると告げた。既に白昼夢かと思いかけていた記憶が、鮮やかに蘇る。
「魔女の霊廟に行くがいい」
しわがれた声が告げた。まるで老婆のような、それでいて鋭く、力強いその声が、私の耳を、心を震わせる。
「そこに、おまえの求めるものがあるだろう」




