171 予告状
予想外の難題に頭を悩ませつつ、1人で中庭から戻った私は、そこで数人の警官に拉致された。
大げさな、と思うかもしれないが、実際そんな感じだったのである。
屈強な男性警官に取り囲まれて、「こちらです」と口調だけは丁寧に、有無を言わさず連れて行かれた先は、狭苦しい小部屋だった。
テーブルと椅子が一組置いてあるだけで、何の装飾もなければ、窓さえない。
まるで取調室みたいなその部屋で、カイト・リウスが待っていた。
「部下が迷惑をかけたね。すまなかった」
開口一番、彼はそう言った。
「おとなしくしていろ、勝手な行動はするなと命じておいたのだが……」
どうやら、カルサのこと――彼が私を連れ出したことを問題にしているようだ。
一応カイヤ殿下の許可をとったとはいえ、あの場所を離れたのは、やはりまずかったのだろうか。
カルサに手渡された青い花は、ハンカチに挟んで持ってきた。今もメイド服の内ポケットに入っている。
……別に深い意味はない。置いてくるわけにもいかず、もちろん地面に植え直すこともできないから、というだけの話。
帰ったらちゃんと水に差しておこうと思ってはいるが、大事にしているとか、そういうのじゃないから。
いったい誰に言い訳しているのか、自分でもよくわからない私をよそに、カイト・リウスはすごい早口でしゃべっている。
「あれは父のお気に入りでね。そのせいか、どうも勝手が過ぎる。私の言うことは聞かない。上司や同僚の言うことも聞かない。従うのは父の言葉だけだ。それでも警官隊の一員である以上、私が面倒を見るしかない。子供が拾ってきた猫の世話を押しつけられたようなものだよ。……いや、子供ならまだいいな。仕方がないと思える。この場合、拾ってきたのは親だから始末が悪い」
と、そこで突っ立ったままの私に気づいたのか、「まずはかけてくれ」と向かいの席を示す。
言われるがまま、席に着く私。
狭苦しい室内には、他に誰も居ない。私を連れてきた警官たちも、部屋の中までは入ってこなかった。
「あの、カイヤ殿下は……?」
さっきは居たのに、姿が見えない。
「殿下なら、式典の会場に向かわれたよ。あれが国王陛下の御前で粗相をせぬよう、本番前に厳しく指導してほしいと頼んだ」
そうなんだ。……あのおっさんの前で粗相をしたからどうしたという気もするけど、一応、警官隊の名誉に関わることだもんね。あと、カイト・リウスは行かなくていいの?
「私は今回の式には参加しない」
「え?」
「騎士団との取り決めでそういうことになった。もとは騎士団長、近衛騎士隊長、それに私の父も出席する予定だったが」
警官隊の手柄を認めない騎士団と、それなら引き渡した犯人を返せという警官隊の間で揉めに揉めた末、当初の予定より規模を縮小し、それぞれ代表1名のみの出席、という形に落ち着いたのだそうだ。
「騎士団からは、殿下の従弟君でもあるミラン・オーソクレーズ。警官隊からは、オニキス・フォレストが参加するはずだったが、数時間前に私の父に追い出されてしまった。よって、あれが代わりに出ることになったわけだ」
手柄を挙げたのは事実だから仕方がないとはいえ、正直言って不安しかない、と愚痴をこぼすカイト・リウス。
「色々大変なんですね」
私の相槌に、カイト・リウスは深くうなずいて言葉を紡ぎかけ、
「……言っても詮無きことだ」
思い直したように口を閉じた。
まあ、ここでまた長々と話し出されても困るしね。いいかげん、本題に入ってくれないと。
「そうだな。本題に入るとしよう」
おっと。心の声を読まれた。
「こちらの用件というのは、君の父親のことだ」
私の中で、複数の感情が瞬時に交錯した。
あ、やっぱり? という納得と、なんで警官隊の偉い人が父のことを? という疑問。
驚きはさほどなかった。騎士団と揉めたこと以外で用件といったら、他にはないだろうなと薄々思っていたからだ。私個人には、警官隊に呼び出される覚えなどないのだし。
「悪いが、君の素性について調べさせてもらった」
ですよね。宰相閣下と同じだ。
王位継承問題で揺れるこの時期に、どこの誰とも知れないメイドを殿下が連れてきたから、怪しい人間だったら困ると懸念して。調べてみたら、7年前の事件のことに行き着いて、疑惑を深めたと。
「君が真っ当で、信用できる人物だということは殿下から聞いたよ」
そう言って、じっと私の瞳をのぞき込む。
犯罪者なら一発で自白してしまいそうな目付きだ。視線をそらせない。どころか、指1本動かせない。
「殿下の人物眼は確かだと思っている。……だが、今はこんな時期だ。何事も慎重に見極める必要がある」
カイト・リウスは懐から一通の封書を取り出し、中身を取り出してテーブルに広げた。
「まずは、これを見てほしい」
そこにはわざと乱暴に書き殴ったかのような汚い文字で、短い文章が綴られていた。
来る青藍祭。
白い魔女に豊穣を祈る儀式にて、お役目を務める第二王子カイヤ・クォーツの命を頂戴する。――巨人殺し。
「暗殺予告状だ。先日、宰相閣下のもとに届けられた。何者かが人目を忍んで、閣下の執務室の机に置いたとみられている」
私は目玉が飛び出そうなほど瞳を見開き、あごが壊れそうなくらい大きく口を開けて、無言のまま驚愕の叫びを上げた。
何なの、これ。いったい何の冗談だ。
「……だいじょうぶかね」
私のリアクションを見たカイト・リウスは、少しだけ厳格な表情を崩して、あきれたように言った。
「どうやら初耳らしいな。それが演技なら女優になれる。見事な顔芸だ」
ちょっと、失礼じゃない? 仮にも女性に向かって。
憤りから正気に戻る私に、
「『巨人殺し』と呼ばれる暗殺者のことは知っているかね?」
と、質問を投げかけるカイト・リウス。
「名前だけなら……」
王都では有名な暗殺者だって、前にどこかで聞いた気がする。
本来「巨人殺し」の二つ名で呼ばれるのは、「ひとつ目の巨人と魔女」というおとぎ話に出てくる英雄のことだ。
竜を駆り、大空を翔る伝説の戦士で、北の国に攻めてきた巨人を死闘の末、打ち倒す。
「そう、それだ」
とうなずいて、カイト・リウスはくわしい説明を始めた。「巨人殺し」と呼ばれる暗殺者について。
正体は不明。年齢も性別も国籍もわからない。
なぜおとぎ話の英雄の名で呼ばれるのかといったら、この暗殺者も不死身だという信じがたい噂があるからだ。
最初にその存在が確認されたのは、百年以上も前のこと。
以来、姿を現しては消えている。犠牲者多数。
「何だか都市伝説みたいですね……」
話を聞いただけだと、あまり本当らしく聞こえない。
そこまで正体不明の暗殺者だというなら、そいつの犯行だってことをどうやって特定したのか。
今回みたいに暗殺予告状を出しているから? そんなの、書くだけなら誰でも書ける。どこぞの駆け出し暗殺者が、「巨人殺し」の名を騙っただけかもしれない。そういう「騙り」は何人も居たかもしれない。
「君はなかなか冷静だね」
カイト・リウスは感心したようにつぶやいた。
「だが、『巨人殺し』は実在する。なぜ、断言できるのか――という根拠については、本題からそれるので今は省かせてもらうが」
問題は、この予告状を出した人間の目的だ、と彼は言った。
「君も指摘したように、『巨人殺し』には偽者も存在する。売名目的だけではなく、脅しにも使えるからだ。むしろ、そちらの目的の方が多いと言った方がいいな。今回の予告状も――」
お祭でカイヤ殿下にいいところを持っていかれたくない誰かの脅し、あるいは嫌がらせかもしれない、とのこと。
確かに、物語の世界ならいざ知らず。
本気で暗殺を実行するつもりなら、わざわざ「予告」などして、相手に警戒させる意味がない。
悪質なイタズラ、もしくは政敵の妨害工作。そっちの方がありそうだ。
「だけど、もしも……」
本当に、暗殺予告だったら。
私の脳裏を、クリア姫の笑顔がよぎる。
「無論、警備は万全にする。予告状が本物であれ偽物であれ、誰が書いたのかも捜査する。悪名高き『巨人殺し』が再び王都に現れたのかどうか、確かめる必要があるだろう」
カイト・リウスのまなざしが鋭さを増す。犯罪者なら五体投地して土下座しかねない目付きになって、
「君に父親のことを問いたいのは、つまりそういうわけだ」
え? つまりどういうわけ?
「君の父親は、貴族の密偵だった」
「……そうです」
「一口に密偵と言っても、その任務は多岐に渡る。敵地の偵察、諜報活動、要人の護衛、そして暗殺」
息を吐くように告げられた言葉に、全身の血が冷たく冷えた。
私は、自分の父親が誰かに命令されて他人の命を奪うような、そんな人間だったとは思っていない。思っていないが。
「後継問題で揺れる今、この時期。王位継承の鍵を握る重要人物のもとに、かつて密偵だった男の娘が現れ、妹姫のメイドになった」
そういう言い方をされると、すごく怪しく聞こえるな。何か裏があるんじゃないかって勘ぐりたくなる気持ちもわかるかも。
「腹を割って話したい。父親の件について、もしも殿下に話した以上の何かを君が隠しているなら、教えてくれないか。今、この場で」
なんてことを、警官隊の偉い人から、すごく真剣な面持ちで頼まれて。
できるものなら協力したいとは思うが、何もないとは言いづらく。……それでも、正直に言う他なく。
殿下には話せることを全部話したし、自分も父親のことはよく知らない。知らないから、調べていると答えた。
カイト・リウスは、私の返答に太い眉をひそめた。
「調べる? 君1人でかね?」
「あ、いえ。殿下の紹介で、『魔女の憩い亭』に……」
「何だって!?」
いきなり、カイト・リウスが声を荒げた。
「まさか、アイオラ・アレイズか!? いかん、とんでもない! 金を積まれれば、敵にでも寝返りかねない人間だ。今すぐ、手を切りたまえ!」
「……や、あの。ですから、殿下の紹介で……」
「殿下は他人を信用しすぎだ。まして、あんなロクデナシのならず者にまで信を置くなど」
お言葉を返すようですが、さっき「殿下の人物眼は確かだ」って仰いましたよね。私の記憶違いですか?
「何事も例外というものはある」
厳格そうに見えて、けっこう適当だな、この人。
「とにかく、あの女の店とは縁を切れ。いいな」
なんで、いきなり命令口調。
「嫌です」
オーナーさんのことは知らない。だって、まだ会ったこともないし。
だけど、少なくともあのお店の人たちはそんな、信用できない相手じゃない。
言い返そうとした私の頭を、刹那よぎったのは。
メチャクチャに荒れた「魔女の憩い亭」。オーナーさんが役人を病院送りにしたという話。セドニスの疲れた顔。
「あのお店はそんな、信用できない店じゃありません」
「本心から、そう思っているかね。ならば、なぜ目をそらす」
うるさいな。とにかく、今日会ったばかりの人に指図されるいわれはない。
「まあ、後悔するのは君の勝手だが」
後悔なんて絶対にしないと、言い返せないところが微妙につらい。
「本当に、隠していることはないのだね。君の父親について、全て正直に殿下に話したのだね?」
念押しされて、私は「話しました」と答えた。
……嘘ではない。「殿下には」話した。父の雇い主が、最高司祭のクンツァイトだったかもしれないと。
でも、今この場では言えない。言えるはずもない。
警官隊の偉い人と、「暗殺予告状」を間に挟んで、「父の雇い主が、暗殺者養成疑惑のあるクンツァイトかもしれないんです」なんて。問答無用で逮捕されそうな気がする。
カイト・リウスは感情の読めない無表情で私を見つめていたが、やがて言った。
「そうか。信じよう」
私は、言葉とは裏腹なものを感じた。
頭から怪しいと決めつけているわけではなさそうだけど、さすがに今のやり取りだけで信じるのは無理だよね。普通はそうだ。
「君の父親の件は、こちらでも引き続き調べさせてもらう。構わないか」
断る理由はない。構うと言ったって、どうせ調べるんだろうし。
「こちらの用件は以上だ。何か質問は?」
カイト・リウスはテキパキと話を進める。質問なんてないと答えたら、即座に席を立って退室してしまいそうだ。
でも、待ってよ。こっちだって聞きたいことはある。
「このこと、カイヤ殿下はご存知なんですか?」
さっきの話では、この予告状は宰相閣下のもとに届けられたということだった。
「それは……」
初めて、カイト・リウスが言葉につまった。
「……閣下も、ひどく悩まれただろうとは思うが……」
結局、話す方を選択したらしい。
「殿下は、自身が重要人物だという認識に欠ける。時には護衛もつけずに1人で街に出たりするだろう」
暗殺者に狙われているかもしれない状況では、あまりに危険な行為だ。「予告状」の指定はお祭の最終日でも、相手が律儀に約束を守ってくれる保証はない。
「今後は気をつけると約束してくださったがね。殿下はああいうお人柄だ。命を奪いに行くという予告状にも、さほど動じてはおられないようだったよ」
狙われるのは今に始まったことではないし、兄のハウライト殿下が名指しされるよりも気が楽だと言ったとか。
「……お疲れのようでしたよ?」
昨夜、お屋敷に姿を見せた時は、ひどく疲弊している様子だった。肉体的にも、精神的にも。
「それはおそらく別件だ。厄介な問題は他にもある」
この上、まだあるんかい。
カイト・リウスは「問題」の中身については話してくれなかった。
「君や妹姫には関わりのないことだ」って。私はともかく、クリア姫にとっては、兄殿下の「問題」は関わりないことなんかじゃないのに。
しかし私が抗議の声を上げるより早く、ノックの音が。続いて、警官らしき男の声がした。
「総隊長。失礼します」
「どうした」
「騎士団の者が、至急面会したいと申し入れています」
「……何の用だ」
「それが、表彰式の際、警官隊と騎士団の代表、どちらが先に名前を呼ばれるべきかを取り決めたいと」
「どうでもいい、好きにしろ」
本気でどうでもいい用件に、カイト・リウスはうんざりした顔で吐き捨てた。
「……と、いうわけにもいくまいな。わかった。行こう」
しかしすぐに表情を引き締め、席を立つ。
「何か思い出したことがあれば、いつでも警官隊に連絡をくれ。待っている」
最後にそう言い残して、彼は出ていった。
私に呼び止める暇を与えず。速やかに。おかげで、少なからぬ混乱と動揺を抱えたまま、私は放置されることになったが――。
間髪入れず、ノックの音がした。
「失礼します」
扉が開く。そこに居たのはカイト・リウスではなく。
どこか疲れたような目をした長身の騎士。救国の英雄にして近衛副隊長、クロサイト・ローズ様だった。




