170 青い花
目を白黒させている文官の男性を横目に見つつ、私はカイト・リウスから離れて、一緒にやってきた警官たちの方に近づいた。
その中に、知った顔が居たからだ。今はカイヤ殿下と話している、10代半ばの少年。こちらに気づくと、ぱっと顔を輝かせる。
「姐さん、久しぶりー」
「久しぶり、元気だった?」
「もちろん。元気、元気」
カルサである。王都に来て以来、なぜか縁あってちょくちょく会っている少年警官だ。
今日は密売事件で手柄を挙げた警官が表彰される。実行犯を捕らえたカルサとニックも、当然来ているだろうと思っていた。たとえ謝罪の必要はないと言われても、一応2人にも謝っておこうと思ったのだが。
「ニックさんは?」
事件解決の功労者なのに、姿が見えない。
「先輩? またご隠居に追い出されちゃったよ」
「……なんで」
お手柄を挙げて、復職を認められたんじゃないの? なのに、また追い出されたって。
やっぱり、私をかばったりしたからか。仲の悪い騎士団に手柄を譲ってしまったことが問題にされて……。
「違うよ。ご隠居、怒ってなかったし。むしろほめてたし。よくぞ殿下のお役に立ったな、おまえたちにしては上出来だって」
だったら、なんで?
「えっとね。出がけにゴネたから。今日は王様から『おほめの言葉』と『ご褒美』がもらえるらしいんだけど、おっさんにほめられても嬉しくないじゃん? だから、先輩さあ」
宴の時に見かけた美しい姫君( フローラ姫のことらしい)にお言葉をいただきたい、褒美など姫君の口づけで構わないと。
そう言ったせいで、ジャスパー・リウスの逆鱗に触れた。
……馬鹿だ。でも、追い出されるほどのこと?
すると、横で話を聞いていたカイヤ殿下が口をひらいた。
「仮にフローラが親父殿の名代をすることにでもなれば、それは後継者として認められたようなものだな」
警官隊は民間の組織だ。王様の後継問題と、直接の関わりはない。
しかしジャスパー・リウスは王族の剣術指南役を務めたこともあり、昔、ハウライト殿下とカイヤ殿下を自邸に匿っていたこともあり、今も懇意にしている。
付け加えると、フローラ姫を王位に推すラズワルド率いる騎士団と、警官隊は犬猿の仲だ。水と油の関係だ。
そりゃ怒るわと、私は結論づけた。
おそらく、いや確実に、ニックには政治的な意図などない。おっさんよりも美人の方がいいと、単純に思っただけなのだろう。
やっぱり、馬鹿だ。ちょっと気の毒な気もするが、どうしようもない。
「ねえねえ、そんなことよりもさあ、姐さん――」
カルサは周囲の警官たちを目だけで見回して、「話があるんだ。ちょっと、こっち来て」
「何? 話って」
「だから、こっち」
くいくい、私の袖を引く。なぜか2人きりで話がしたいようだ。
「ちょっと、何なの? 今じゃなきゃだめなの?」
これから、カイト・リウスと話が――でも、まだ文官の人に向かって、すごい勢いで何かしゃべってるな。
「すぐだから。時間とらせないから」
珍しく真面目な顔で頼まれて、私はどうしましょうかと殿下に尋ねた。
「そうだな。少し話すくらいの時間はあるだろう」
殿下はすぐにうなずいたものの、
「しかし、何の用だ?」
とカルサを見た。
「殿下には全然関係ない話」
「…………。そうか」
他に言い方はないのか、カルサよ。「無礼」という単語は、おまえの辞書に載っていないのか。
殿下は殿下だから怒りはしなかったけど、さすがにちょっと微妙な顔をしてるぞ。
ともかく私は、カルサと共に中庭に下りた。
さっき回廊から眺めたのとは別の庭。でも、見た目はよく似た庭。
赤い花、青い花、黄色い花。
季節の花々が風に揺れている。夏の暑さの中でも、みずみずしさを失うことなく。きっと、腕のいい庭師が世話してるんだろう。時間があったら、ゆっくり眺めたいところだけど。
カルサは花には目もくれず、すたすた歩いていく。かと思えば急に足を止めてこちらを振り向き、
「あのさ、姐さん。今度、一緒にお祭りに行かない?」
前置きも何もなく、話を切り出してきた。
「は?」
少し前におっさんに誘われた、嫌な記憶が蘇る。
しかしカルサは王様と違ってふざけている様子もなく、
「だから、お祭り。青い石とか用意してないけど、だめ?」
中庭に咲いている花の中から、小さな青い花を一輪つんで、
「だったら、これ。代わりに」
と差し出してくる。
王宮の花を勝手にむしるんじゃない、というツッコミすら思い浮かばなかった。
予想外の出来事に、思考が停止してしまう私。
「姐さん、聞いてるー?」
カルサが顔の前で手を振っている。
「聞いてる、けど……」
これは、あれか。
もしかしなくても、デートの誘いなのか。
それともカルサのことだし、単に「遊びに行こう」的なノリ?
……わからない。どっちだ。
硬直した私を、カルサは小首を傾げて、しばし眺めていた。
風が吹いて、花々が揺れる。
どこか遠くから小鳥の鳴き声がする。
静かに時が流れる王宮の中庭で、私は固まったまま、いつまでも動けない。
「別に、今すぐ返事しなくてもいいよ?」
やがて、カルサはそう言った。待つことに飽きたのか、あまり時間がないと気づいたからか。
「次会う時までに考えといてね。そのうち、また顔見せるからさ」
勝手に決めて、くるりと身を翻す。
「じゃ、戻ろう。総隊長が待ってる」
「ちょっと……!」
呼び止めても、カルサは振り返らなかった。
弾むような、しかし意外にすばやい足取りで、来た道を駆け戻っていく。
残された私の手には、受け取った覚えもない一輪の花――。




