165 気が重い隠し事1
――疲れる休みだった。
夕食後のお茶を用意しながら、私はその日の出来事を回想していた。
護衛のはずのジェーンに振り回されて、結局、お城に戻ってこられたのは、日もだいぶ傾いてから。
レイテッドの別邸からは、特に何事もなく出ることができた。拉致されたり監禁されたり、尋問されたり拷問されたりすることもなく、普通にお茶をして、普通に帰ってきた。
私たちがいきなり現れたことを、ケインが不審に思っていないはずは絶対にない。
なのにどうして、無事に帰ることができたのか。……別に物騒な目にあいたいわけではないが、どうにもすっきりしない気分だった。
ジェーンは「何か企んでいるのでしょう」と確信を込めた口調で言いつつ、具体的に何を、というのはないようで、「殿下に報告しておきます」とだけ言っていた。
――疲れた。心身共に。
本来、休みというのは、心と体をリフレッシュするためのものなのに。こうして仕事をしている時の方が、はるかに心安らぐのはどういうわけか。
「お待たせしました、姫様」
クリア姫のためにお茶を淹れ、手焼きのスコーンと一緒にテーブルに出す。
「ありがとう」
と優しくほほえんでくださるクリア姫。ああ、癒される。あいかわらず、可愛いなあ。
長い金髪を、珍しくポニーテールにして。
いかにも夏らしい、真っ白なワンピースを着て。
あまり出歩かないから、日に焼けた小麦色の肌ではなく、色白のまま。
透き通るような肌に、白い服の組み合わせ。――まるで天使だ。
本当に、とても可愛らしい。疲れる休日の後に、これほど心癒される眺めもあるまいと思う。
「何かあったのか? 1日で10年分くらい老け込んだみたいじゃねえか」
ダンビュラの失礼なセリフはスルー。
「それより、何か召し上がりますか。あっためたミルクとか、干し魚とかもありますけど」
「いらねえよ。俺は猫じゃねえぞ」
と顔をしかめるダンビュラ。
とがった両耳としましまの毛並み、ギラリと輝く両眼、がっしりした手足。
見た目は猫科の肉食獣そっくりな彼だが、猫扱いされるのは嫌らしい。
「ダン、失礼なのだ」
護衛をたしなめるクリア姫。
それから私の方に向き直り、「城下の様子はどうだった?」とお声をかけてくださった。
「祭が近いからにぎやかだっただろう。普段より人の数が多かったのではないか?」
そうですねとうなずきつつ、ふと私の心に影が差した。
今日は何のために、どこに行ってきたのか。
私はクリア姫に告げていない。
そもそも、父親が密偵だったこと、その父親の手がかりを求めて王都にやってきたことも話していない。
密偵の件はともかく、7年前の事件のことは――5人も人が死んだとか、とてもじゃないが12歳の姫様に聞かせられる内容ではない。そう思って、黙っていた。
しかしながら、隠していることにも罪悪感はある。果たしてこのままでいいのかという気がする。
思い返せば雇い主のカイヤ殿下にも、最初は秘密にしていて、だいぶ後になってから事情を打ち明けたため、かなり気まずい思いをするハメになった。
あの時の二の舞は避けたい。かといって、クリア姫を怖がらせたくもない。
ジレンマを抱えつつ、それを顔には出さないように気をつけながら、私は自分が見てきた城下の様子を報告した。
露店がたくさん並んでいたとか、キレイな青いブローチが売っていたとか。
クリア姫は上手に相槌を打ちながら聞いてくれた。
その表情はいつもより明るく、声は弾んでいて、姫様もお祭が楽しみなんだなとわかった。
誰でもなんとなく気持ちがうきうきして、わくわくする。それがお祭ってものだ。
「本番はもっとにぎやかなんでしょうね。私はまだ1度も見たことがないんですけど」
そう言うと、なぜかクリア姫はしゅんとしてしまった。
「……私も、見たことがないのだ」
「え」
「この時期は、いつもより人が多い。治安も悪化して、危ないからと……」
え、そうなの?
せっかくのお祭なのに、ちょっと見に行くだけでもだめなの?
「カイヤ殿下にお願いして、連れていっていだたくとか……」
クリア姫は残念そうに首を振った。
「兄様はこの時期、おいそがしい。というより、城の人間はみんないそがしいのだ」
「青藍祭」は公的行事でもある。
起源は護国豊穣祭で、王国の平和と繁栄を白い魔女に祈願する。
今年は豊作になりますように。宝石や天然石の鉱脈が枯れたりしませんように。どうか末永く恵みを与えてください、と祈るのだ。
お祭りの最終日には儀式が行われる。その年にとれた農作物や宝石を、白い魔女に捧げる、という儀式が。
これは未婚の王族の役目で、大抵は年若い姫君が選ばれる。
真っ白な礼服をその身にまとい、白い魔女に祈りを捧げる姫君の姿は、それはそれは美しく。
毎年、大勢の見物客が集まる、お祭りの目玉らしい。
「是非1度見ておくといいのだ。儀式は王都で1番古い礼拝堂で行われる。白い魔女の像に、たくさんの白い花を捧げて、周囲にランタンを灯して。とても幻想的で、美しい眺めだと聞いた」
聞いているだけで、その光景が目に浮かぶようだった。クリア姫も実際に見たことはないはずなのに、お話が上手だ。
「ただ、さっきも言ったように、祭の時期は治安が悪くなる。1人では危ないかもしれないから、護衛を手配して――」
無礼にもクリア姫のお言葉を遮り、
「んなことしなくても、一緒に行く相手くらい居るだろ?」
と、ダンビュラが言った。
「王都に来て、そろそろ3ヶ月か? 男の1人や2人できたんじゃねえか?」
下世話なセリフはきっぱり無視して、私は気になったことを質問した。
「誰がそのお役目をするんですか?」
今現在、「お姫様」は王国にたくさん居る。10人以上居る。
その中で1番美しいのは誰かと聞かれたら、私は迷うことなく「クリア姫」と答える。
別に全員の顔を知っているわけじゃないが、それでも、そう答える。
こんな愛らしくも気品にあふれた女の子が、他にぞろぞろ居るとは思えないからだ。
でも、そういう「お役目」っていうのは、見た目とかでは決まらないんだろうな、とも思った。
国民だけじゃない。おそらく外国の要人も訪れるだろうお祭のメインイベントで、主役を務めるのだ。すっごい名誉だよね。
権力。力関係。政治的駆け引き。……多分そういうのが物を言うはずだ。
特に今の王国では、第一王子のハウライト殿下と異母妹のフローラ姫の間で、次期王位を巡る後継争いが起きているわけだし。
両者の間で取り合いになりそうなくらい、大事なお役目だと思う。
……そう考えると、ハウライト殿下の妹姫であるクリア姫にお鉢が回ってきたとしても、別におかしくはないのか。
仮にフローラ姫が、なんてことになったら、宰相閣下辺りが猛反発しそうだものね。
「もしかして、姫様が……?」
クリア姫は首を横に振った。ちょっと唇を噛んで。何だか悔しそうに。
「私はまだ子供だから、無理だと言われた」
「殿下は過保護だからな」
ダンビュラが口を挟む。「嬢ちゃんを人前に出したくないんだろ。重度のシスコンだよな」
こんな可愛い妹を、衆目にさらしたくないって? ……気持ちはわかるな。私が殿下でも心配になる。
「記録を見たら、私より幼い者が役目を務めていたこともあったのだが……」
クリア姫は本気で悔しそうにしている。
彼女に嫌われたくないので、私は「殿下のお気持ちは理解できます」という本音は胸の内にしまっておいた。
「じゃあ、もしかしてフローラ姫が?」
クリア姫はまた首を振った。
「そういう提案もあったらしいが、叔父様がつぶしてしまった」
ああ、やっぱり。
「ってことは、誰が……?」
私の知らない、第三勢力のお姫様とかがやるのかな。
「…………」
クリア姫は、なぜか言いにくそうに1度口ごもり、「一昨年は、私の大叔母様がお務めを果たされたのだ」
「姫様の大叔母様っていうと……」
「うむ。王都の聖女と呼ばれている方だ」
「…………」
その人って、確か今年80歳。
「べ、別に年齢に決まりはないのだ。未婚であることが条件だから、若者が多いというだけで」
なるほど。……そうですね。若さばかりをチヤホヤする風潮や、反対に老いを蔑むような物の考え方は、私も嫌いです。
それに「王都の聖女」は長年、王国民のために尽くしてきた女性。名誉あるお役目にふさわしい人物のはずだ。政治的には中立の立場だから、ハウライト派とフローラ派で揉めることもないだろうし。
「ただ……」
と再び言い淀むクリア姫に代わって、ダンビュラが口をひらいた。
「一昨年はすごい不作だったんだと。あんたも知ってるだろ?」
そういや、全国的にそうだったな。
うちの村は宿場で、農村ではないから影響は小さかったものの、農作物の値段が上がって、やりくりに苦労したのは覚えている。
「それでやっぱり、お役目をするのが婆さんじゃマズイだろ、って話になったらしいぜ。……おい、俺が言ったわけじゃねえぞ。んな目で見んなよ」
誰が言ったにせよ、気分の悪くなる話だ。
不作なんて、たまたまだろうに。
婆さんで何が悪い。老人差別反対。
「去年は結局、殿下がやったんだよな」
はい? 殿下って、どちらの殿下ですか。
「うちの殿下に決まってるだろ」
カイヤ殿下は男性ですが……。
「父様がお決めになったのだ」
とクリア姫。
「誰がお役目をするか、いくら話し合っても決まらないので、最後は国王の裁定にゆだねようということになって……」
国王陛下が、殿下を指名した?
「少し違うのだ。父様は、その、自分で何かを決めるということはあまりしない人だから……」
今回の件も、居並ぶ重臣たちから判断を求められて言ったセリフが、
――えー、困るなあ。誰を選んでも角が立つでしょ。私に責任とれとか言われても嫌だし。
という、無責任極まりないものだったらしい。
王様のあんたが嫌なら誰が責任とるんだと、多分その場の全員が突っ込みたかったはずである。
そんな声なき声が聞こえたのかどうか。
ファーデン国王陛下は、名案を思いついたという風に自分の膝を叩いて、
――だったら、こうしよう。未婚の王族の中で、1番美しい人間がやることにしよう。それなら何も問題は起きないよね。
と、問題発言をかました。
美醜の基準なんて人それぞれだ。そんな選び方では余計に角が立つと、極めて常識的な苦言を呈したのは宰相閣下だったらしい。
その場には騎士団長ラズワルドも居たそうだが、彼も政敵の言葉に同意した。そんな基準では選べない、と。
文武のトップにそろって反対されて、しかし国王陛下は「なんで選べないの?」と目を丸くしていたそうだ。
――カイヤがやればいいじゃん。そうすれば何も問題なんて起きないよ。あいつより美しい人間が居るって主張する奴が居たら、連れてきて比べてみればいいんだから。
「……そもそも、男性がお役目をするのはアリなんですか?」
首をひねる私に、
「一応、前例はあるのだ」
とクリア姫。
「歴史書を辿ったところ、過去に3例ほど……」
王国の歴史は千年。そのうち、たったの3回ですか。
「まあ、でも。意外に反対は出なかったんだよな」
ダンビュラが言った。
「殿下の叔父貴はもちろん、騎士団長とやらも」
それは、なぜ? 大事なお役目を、敵にとられてしまったのに。
「祭には山ほど見物人が来るだろ。身元も素性もよくわからん連中が集まって、そこに王族が姿を見せるわけだ」
そういう機会は、滅多にない。……普通は。殿下の場合、わりと頻繁に街に下りたりもしているが、いつどこへ行く、とおおやけにしているわけではないし、一応目立たないようにはしている。……存在自体が目立つ人だけど。
「殿下を始末するチャンスだと思ったんじゃねえ?」
さらっと軽い口調で、クリア姫の前で、なんてこと言いやがる。このどら猫。
首をしめようとした私の手をかわし、
「嬢ちゃんは知ってる話だって」
と弁解するダンビュラ。
クリア姫も沈痛な面持ちでうなずいた。
「去年の祭は大変だったのだ。……カイヤ兄様はもちろん、叔父様もハウル兄様も、護衛の者たちも」
お祭が終わるまでみんな緊張して、ぴりぴりして、心労で痩せてしまった人まで居たらしい。
「そういや、クロムの奴も目の下にクマ作ってたな。おかげで人相の悪さに拍車がかかってた」
幸い、何事もなく儀式は終了し、今年は別の人間にお役目を任せるはずだったのだが――。
「見物人には大評判で、しかも去年は大豊作だ。やめるにやめられなくなっちまったんだと」
その見物人の中には、隣国の大使も居た。
儀式を見て、心から感動した彼は、「この世のものとは思えぬ美しい光景だった」と、かなりオーバーに本国に伝えてしまった。結果、今年は隣国の王太子まで見物に来ることになった。
「それでカイヤ殿下、輪をかけていそがしそうなんですね……」
私は、このところお屋敷に姿を見せない雇い主のことを思った。
本当ならメイドである私の休日は、妹姫のお屋敷に来て、ゆっくり過ごすことになっているのに。
そんなささやかなルールさえ破ってしまったくらい、余裕がないのだろう。
「薄情だよな。嬢ちゃん1人ほったらかして、会いにも来ねえとか」
や、別に薄情だ、とは言ってない――。
「仕方がない。兄様はお忙しいのだ」
「無理すんなって。今日は1日、そわそわしてたじゃねえか。しょっちゅう窓の外を見るわ、意味もなく屋敷の周りをうろつくわ。実は期待してたんだろ?」
「……そんなことはない。気のせいなのだ」
硬い表情で否定するクリア姫。
1人、兄の訪れを待つ妹姫の姿を想像して、私は胸が痛くなった。
そうと知っていたなら、私用で外出なんかしないで、おそばに居て差し上げればよかった。
一方のダンビュラは、なぜか不機嫌そうに顔をしかめて、
「一緒に暮らせば、いつでも会えるだろうにな」
吐き捨てるように口にしたセリフに、空気が張りつめた。
カイヤ殿下は、もう何年も前から、妹姫を自分のお屋敷に引き取りたいと望んでいる。
しかしクリア姫は同居を拒んでいる。
理由は謎だ。いつもは素直で、ちょっと良い子過ぎるくらいで、大人を困らせるようなことなんてしない姫様なのに、なぜかこの件になると頑なに口を閉ざしてしまう。
「…………」
今もクリア姫は、硬く口を閉ざしたまま、護衛の顔を見つめていた。にらんでいる、と表現してもいいような強い視線で。
ダンビュラもひるまずにらみ返す。
どうしよう。どっちの味方をすればいい?
私も理由は知りたいけど……。カイヤ殿下には、無理に聞き出す必要はない、それよりクリア姫との信頼関係を大事にしてくれ、と言われている。
迷っているうちに、クリア姫が席を立った。
無言のまま。硬い表情を浮かべたまま。
1人、リビングから出て行ってしまう。
その姿が廊下に消え、足音も聞こえなくなってから。
私は、ダンビュラと顔を見合わせた。
「……怒ってましたね」
「だな」
「あの、ダンビュラさん。……知ってるんですか?」
クリア姫が、大好きな兄殿下と暮らすことができない理由を。
ダンビュラは否定しなかった。
「まあな」
と軽くうなずいた。
やっぱりね。クリア姫と仲いいし。殿下も、ダンビュラは察しているフシがある、とか前に言ってたものな。
「嬢ちゃんが重度のブラコンだからさ」
「…………?」
何、それ。ブラコンが関係あるの?
「よくわかりませんけど……。理由がわかっているなら、どうにかしてあげられないんですか? 殿下もクリア姫も、このことでは随分悩んでるみたいなのに」
傍目にも仲睦まじい兄妹がギクシャクしている姿は、見ていてつらい。可能ならどうにかしてほしい。
しかしダンビュラは、「無理だな」とあっさり首を振った。
「俺にはどうしようもねえよ。嬢ちゃんが自分で解決するしかない」
どういう意味なのだろうか。
「ってなわけで、俺は寝る」
いやいや、待って。そんな思わせぶりなことだけ言って行かないで。
とっさに虎じまのしっぽをつかむと、ダンビュラは迷惑そうに振り向いた。
「知りたいなら、俺じゃなくて直接本人に聞けよ」
「……私が?」
「何だかんだでけっこう打ち解けたみたいだし、あんたになら話すんじゃねえか?」
そう言われても。
こっちはダンビュラほど長い付き合いじゃない。そんな大事なことを打ち明けてくれると思えるほど自惚れられない。
尻込みする私を、ダンビュラはほんの一瞬、透かすように見て。
「俺は寝る」
しっぽを振りほどき、リビングから出ていってしまった。
そんな彼を引き止めることもできずに立ち尽くす私は、肝心な時にクリア姫のお役に立てない、情けないメイドだ――。




