159 聖職者の裏の顔
「魔女の憩い亭」を出ると、強烈な真昼の陽差しが頭上から降ってきた。
一瞬、くらりとめまいがする。
今は夏だ。暑いのは当然だが、それにしてもキツイ。普通に立っているだけでも疲弊してくるくらい、とにかく暑い。
「この後はどうなさいますか」
一緒に店を出たジェーンが話しかけてきた。「どこか寄る所や、人に会うお約束などは?」
私は特にないと答えた。
町に出たのは久しぶりだけど、買い物や観光をする気分じゃない。依頼のことで殿下に相談もあるし、まっすぐお城に帰るつもりだった。
ではお送りします、というのが、正しい護衛の反応だと思う。
しかしジェーンは、「すぐに帰ってしまうのですか?」と不満そうに眉をひそめた。
並の男性よりさらに背が高いので、見下ろされるとプレッシャーを感じる。
大柄な体躯と比べて小さな顔、さらりと揺れる銀髪と銀の瞳。
まるで彫像のようにキレイな人だが、まるで彫像のように人間らしさを感じさせない人でもある。
かつては最前線の砦で戦っていたという彼女、ジェーン・レイテッド。
その美貌に似合わぬ怪力、豪腕で、数多の敵兵を葬ったという狂戦士。通称「処刑人」。
基本的に、敵と戦ってこらしめること以外、あまり興味がないらしく。
私の護衛としてついてきたのも、「先日、あなたが目撃した暗殺者らしき女が、口封じのために現れるかもしれませんので」というのが理由だ。護衛対象のはずの私を、微妙におとり扱いしているのである。
「……帰ったらまずいんですか」
ジェーンは勢いよくうなずいた。
「実は、先程のお話を伺っていて、少し気になることが」
待て。いつの間に、どうやって話を伺っていた。
私のプライベートには興味がないって、離れた席に座っていたはずじゃなかったか。
「そんな些事よりも」
人の家の事情を勝手に聞いておいて、些事扱い。
「例のクンツァイトについてです。最高司祭を代々務める身分でありながら、黒い噂が絶えないという話をしていたでしょう」
確かにしてたけど、それが何か――。
「王都ではここ最近、暗殺未遂事件が立て続けに起きていますね」
起きている。『魔女の宴』と『淑女の宴』。王国の貴族が集まる2つの宴で、国王陛下の愛妾と側室が殺されかけたのだ。
この2つの事件、前者を仕組んだのが後者の被害者で、しかも黒幕は別に居る、というややこしさ。
付け加えると、『淑女の宴』の方は、まだ犯人が捕まっていない。未解決事件だ。
その話題を、ジェーンがこのタイミングで持ち出してきたということは、
「クンツァイトが何か関係あるんですか?」
ジェーンは我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「その可能性はあります。なぜならクンツァイトという家には、最高司祭という職務の裏側で、古くから暗殺者を育て、世に送り出してきたという黒い噂がある」
いきなり、とんでもないことを言い出した。
聖職者が人殺しを育てるなんて、ムチャクチャだ。普通はありえない。
「もちろん秘密裏に、です。クンツァイトは聖職者。表ではさまざまな社会奉仕活動を行っている」
貧しい人々への施し、病気やケガで働けない人たちへの支援、そして孤児院の運営。
10年続いた南の国との戦争が終わって、まだ4年。世間には戦災で親を亡くした子供があふれている。
そうした子供たちを引き取り、育てているのだ。
「すごく真っ当な活動じゃないですか」
と私は言った。
それと暗殺者の育成とかいう話が、どうつながると? ……まさか。
「ですから、引き取った子供たちをひそかに暗殺者に仕立て上げ、裏仕事をさせているのですよ」
おいおいおいおいおいおい。
「いくら何でも、悪質すぎるでしょう!」
「それだけではありませんよ。さすがに王国民の子供を暗殺者にするのはためらわれたのか、単に足がつくのを恐れただけか。隣国からひそかに子供を買いつけて養成しているという、人身売買の疑惑さえあるのです」
どこの闇ブローカーだ。そんなの、どっから見ても聖職者のやることじゃない。
さすがに信じられなくて、「本当の話なんですか?」と尋ねると。
「やはりあなたも、くわしく調べてみる必要があると思いますか」
だいぶズレた反応が返ってきた。そんな必要があるなんて、こっちは一言も言ってないのに。
「クンツァイトには、『アベント商会』という御用商人が居ます」
私の困惑をよそに、ジェーンは話を進める。
その「アベント商会」とやら、表向きは非常に評判がいい老舗の商会なんだそうだ。
売り上げの一部を社会奉仕活動にあてたり、貧しい人には安く品物を売ったりしてるんだって。
しかしながら、仮にクンツァイトの人身売買の噂が事実だとしたら、全くの無関係とは考えにくい。
「というわけで、今からアベント商会のことを調べに行きましょう」
――私が? なんで? どうやって?
真っ当なツッコミに、答えはひとつも得られなかった。
「さあ、行きましょう」
ジェーンは私の手を引いて歩き出す。ものすごい力だ。半ば引きずられながら、私は叫ぶ。
「ちょ、待った! 今からその商会に行って、どうするんですか!」
関係者を締め上げて話を聞き出すつもりだとかいうなら、力づくでも止め……るのは無理だから、私だけでも逃げねば。
ジェーンは立ち止まり、怪訝な顔を作った。
「行くのはアベント商会ではありませんよ。私の兄の所です」
「はああ?」
兄? 兄の所? なんで、いきなりお兄さん。
「兄が商人だからです」
再び歩き出しながら、私の疑問に答えるジェーン。
「王都では5本の指に入る商会に勤めています。アベント商会の噂も、何か知っているかもしれない」
いや、ちょっと。
突っ込みたい部分は多々あるけど、そのお兄さんだって、昼日中に妹が押しかけてくるとか、予想できないよね?
普通に仕事中なんじゃないの? 迷惑では? 買い付けとか行ってて、今は居ないかもよ?
「不在ならそれまでです。どうせこの近所ですし」
……この近所? それで、王都で5本の指に入る大きな商会って……。
「まさか、アゲート商会とか……」
言わないよね、と思ったら。
「その通りですが、何か?」
涼しい顔で答えられて、絶句した。
アゲート商会というのは金融業者で、王都一あくどい金貸しとして有名だ。
経営者の名はヴィル・アゲート。
金に汚く、儲けになることなら何でも手を出すという噂の男だ。
目付きのギラギラした派手な装いのおっさんで、私は2度ほど会ったことがあり、2度とも災難に巻き込まれた。できれば、3度目は遠慮したい。
「聖職者の皮をかぶった外道を、卑劣な暗殺者ともども一網打尽にする機会です。行きましょう」
私が行ったって何もできない。ジェーン1人で行ってほしい。
抗議の声は聞き入れられることなく、私はできれば遠慮したかったアゲート商会に足を踏み入れることになった。




