157 中間報告1
私の父は、貴族の密偵だった。
なんて話を誰かにしたならば、普通は「は?」と怪訝な顔をされるだろう。
もしくはつまらない冗談はやめろ、酒にでも酔っているのかと一蹴されるだろう。
でも、本当なのだ。
私の父は密偵だった。カタギの行商人のフリをして王国中を巡りながら、雇い主の貴族のために諜報活動をしていた。
一方で父は、私の家族にとっては良き父親でもあった。
母との夫婦仲も良く、子煩悩で、私のことも、弟や妹のことも可愛がってくれた。
実際、父との間に、悪い思い出はひとつもない。
口数の多い方じゃなかったけど、そばに居ると不思議と癒されるような、ホッとするような人だった。
私は父のことが好きだった。
だからこそ今、こうして王都に来ているのだと思う。
7年前、突然、家族の前から姿を消してしまった父。その行方と、父が失踪するきっかけとなった事件。その真相を求めて。
「それでは、順を追って説明させていただきますが――」
セドニスが言う。
年頃は20代半ば、黒髪に褐色の瞳、中肉中背で、これといった特徴のない地味な風貌の男である。
私が父のことを調べてほしいと依頼した店、「魔女の憩い亭」の職員、なのだが。
「……まずは、こちらに集中していただけませんか」
どうしても店内の様子が気になってしまう私に、ため息と共に言葉をかけてくる。
や、そう言われてもね。
「魔女の憩い亭」は、王都の一等地に建つ、酒場兼宿屋だ。
まるでパーティー会場みたいに広くて、立派で、いつもたくさんのお客さんでいっぱいの店。……のはずなのに。
今現在は嵐の後のようにメチャクチャに荒れ、私とセドニスの他に、居るのは1人だけ。
私の護衛として、お城からついてきてくれた近衛騎士のジェーン・レイテッドだけだ。
彼女は、私の家族のこととか、プライベートな問題には興味がないらしく、今は離れた席に1人で座っている。
「本当に、何があったんですか?」
「そこまで気になりますか」
「普通はなりますよ」
ドアは吹っ飛んでいるし、割れた窓ガラスは散乱しているし、私がセドニスと向かい合っているカウンターは半壊しているし。
普通は気にすると思う。この状況で、集中して話を聞けって言われても。
「……例の密売事件のせいですよ」
セドニスは仕方なさそうに説明を始めた。
例の、密売事件。
とある劇団の役者と支配人が、とある貴族家と組んで、「魔女の媚薬」と呼ばれるご禁制の薬を王都に広めようとした事件のことだ。関係者は先日お縄になった。
「あの事件が何か……?」
周囲の惨状と、関係があるというのか。
「あの薬は、南の国で作られています。原材料の薬草も、あちらでしか採れません」
それは知ってる。
南の国は、王国の仇敵。薬が王都に持ち込まれたのも、王国を混乱させるための陰謀なんじゃないか、って説があったりするくらいだ。
だから、続くセドニスのセリフにはちょっと驚いた。
「当店のオーナーは、あちらの国とも商売をしておりまして」
「え」
つい4年前まで、戦争をしていた国と商売?
それって、あの。違法行為じゃ……。
「別に、商取引を行うこと自体は違法ではありませんよ。あちらでしか採れない貴重な薬草もありますし、需要はあります」
もっとも、実際に商売を行っている王国商人は極めて数が少ない、とセドニスは言った。相手が敵国だからではなく、「割に合わないから」だと。
南の国は治安が悪い。戦後の復興も進んでおらず、街道は荒れているし、夜盗も出る。
そんな状況で商品を運んでくるためには、大規模な商隊を組んで、護衛も大勢雇って、それでも絶対安心というわけではない。
うまくいけば儲けが見込めるとはいえ、リスクが高すぎるのだ。
「当店のオーナーには独自の輸送ルートがあるので、戦後すぐに商売を始め、それによって財を為したのですが」
そこでセドニスは言葉を切り、ぐるりと店内を見渡した。
王都の一等地に建つ宿屋。
……今はメチャクチャになっているが、もとはとても立派な建物だった。
「当然のことながら、それを快く思わない人間も居るわけです。元・敵国との商売で儲けたわけですからね。国の役人にも、以前から目をつけられていまして。今回の密売事件にも、何か関わりがあったのではないかと疑われ――」
先日、事情聴取のためにお役人が店にやってきた。
……あんまりタチのいいお役人ではなかったそうだ。
国の権威を笠に着て、居丈高に振る舞うタイプ。
しかも1人ではなく、部下を数人、さらにはチンピラまがいの手勢を10人以上、引き連れていた。
「事情聴取に、そんな大勢……?」
おかしいよね。まともな取り調べなら、普通はチンピラなんて連れて来ないはずだ。
「最初から、別の目的があったのでしょう」
とセドニスも言った。
その目的とは、ズバリお金だ。
適当に難癖つけて、従わないなら逮捕するぞと脅して、金銭を巻き上げるつもりだったわけだ。
まるでヤクザみたいな手口である。
「話はわかりました」
私は憤慨しながらうなずいた。
うちの実家も商売をしている。そういうタチの悪いお役人やヤクザの被害にあったことだってないわけじゃない。
「ちゃんと被害届は出しました? あとは、組合に訴えるとか。泣き寝入りは絶対だめですよ、セドニスさん」
私が語気を強めると、なぜかセドニスの目が泳いだ。
「あ、いえ。……あなたが想像しているような事態が起きたわけではなく」
「は?」
「つまり、店内を破壊したのはその役人ではありません。オーナーご自身です」
「はああ?」
セドニスは気まずそうに目をそらしたまま、早口で説明した。
「オーナーは気が短く、しかも反骨心が強く、上から目線の相手に対しては反射的に手が出る人です。多忙なため、平素は店を空けていることの方が多いのですが、折悪しく店内に居合わせている際に役人が来たもので……」
適当に難癖つけて、金銭を巻き上げようとする役人にブチ切れて、大暴れした。
役人とその部下は全員、病院送り。全治数ヶ月の重傷。
で、オーナーさんは現在、まともな役人に連行されて、まともな事情聴取を受けている、と。
「…………」
私はあらためて破壊された店内を見回した。
入り口のドアは吹き飛び、テーブルや椅子が横倒しになり、壁や床が所々へこんでいる、その惨状を。
「ここのオーナーさんて……」
人間か? それとも野獣か何かなのか。
「聞かないでください」
とセドニス。
「そんなわけで、当店は現在、営業停止中ですが、ご依頼の件は滞りなく進めさせていただきますので」
この惨状を見る限り、そうは思えない。まあ、私の依頼の件は置くとしても、
「オーナーさん、だいじょうぶなんですか?」
たとえヤクザまがいの相手であっても、相手はお役人。ケガなんてさせたら、重い罰を受けることになるのでは?
「その点はおそらく、だいじょうぶです」
今回の場合、先に手を出したのは役人の方だ――と言えないこともまあ、ないそうで。
「オーナーは方々にツテがあるので」
どうにかなるだろうと言う。今も従業員たちが総出で、オーナー釈放のために動いているとのこと。
そういえば、と私は思い出した。
先程、私がこの店に来た時、セドニスの方はどこかから帰ってきた様子だった。
「あれはオーナーに差し入れに行った帰りですよ」
なるほど。お役所で取り調べ中っていうなら、差し入れも必要になるよね。身の回りのものとか、色々。
「そうですね。身の回りの物と愛用の煙草、暇つぶしの本とカード、あとは枕が変わると寝られなくなるわけでもないのにダダをこねる人なので、寝具一式とリラックス用のアロマ、寝酒と食事用の酒、それから最上級のツマミと、ブランド物の食器セットを」
……それ、全部届けたの? いったい何往復したの。
「お役所に居るんですよね? 高級ホテルとかじゃないですよね?」
「色々と、注文が多い人なので」
「多すぎですよ。業者に頼んだ方が早いくらいじゃないですか」
「それはできません。何よりもまず、店の人間が顔を見せなければ、怒って暴れます」
どんだけワガママなんだ。
私があきれていると、横合いから声がした。
「店の人間がっていうより、セドニスさんが顔を見せないとね」
振り返れば、コック服を着た初老の男性が1人、お盆にティーカップを乗せて奥の厨房から出てくるところだった。
「こんな時くらい、息子に甘えたいんだろう。オーナーも可愛いところがあるじゃないか」
この店の調理人さんだった。何度かおいしいごはんを食べさせてくれたこともある親切な人だ。
「こんにちは」
「やあ、お久しぶり」
私のあいさつに答えて小さくほほえむと、紅茶のカップを置いて厨房へと戻っていく。
「……程度によりますよ」
その後ろ姿に向かって、つぶやくセドニス。
そういえば、親子なんだっけ。オーナーさんの養子だって話、前にちらっと聞いたな。
「大変ですね」
と私は言った。社交辞令ではない。本心からそう思った。
「ええ、まあ」
セドニスも一応はうなずいたものの、「自分にとっては、これが日常です」という、理解しがたい一言がその後についてきた。
「日常なんですか」
「少なくとも、あの人と出会ってからは」
そのセリフで、ふと頭をよぎる。
今から数ヶ月前、まさにこの場所で出会った王子様の顔が。
本来、非日常だったはずのものが、日常と化してしまう出会い、か。
なんとなく遠い目をしていたら、
「そろそろ仕事の報告を始めてもよろしいでしょうか」
とセドニスが言った。
もとより今日はそのために来たのだ。文句があろうはずもない。
私は「お願いします」と答えて、居住まいを正した。




