154 黒幕4
さすがに、ちょっと待ってと言いたくなった。
そう次々と新事実を出さないでほしい。頭を整理する時間がほしい。
私の心の声が、ケインに届くはずもなく。
もとより彼の目には、カイヤ殿下以外の存在はうつってもいないようで。
「僕はね、カイヤ。レイテッドにもラズワルドにも、味方するつもりはないよ」
協力しよう。
あいかわらず熱っぽい瞳で殿下を見つめながら、キラキラと輝くような笑顔を浮かべて見せる。
はっきり言って、うさんくさい。怪しい宗教の教祖様みたいだ。
「……それは、兄上が王になるのを手伝ってくれるという意味か」
あまり本気ではない口調で問い返すカイヤ殿下。
ケインはまさか、と首を横に振った。
「僕は、君に王になってほしいんだ」
「うん?」
「君に王になってほしいんだよ」
力を込めて、そう繰り返す。
「あの名君と謳われた先々代の、クォーツの正統な血筋に、王冠を返すんだよ。彼の肖像画を見たことがあるだろう? 君によく似てるじゃないか」
王国に、あの美しい王を再び――。
マジで怪しい宗教みたいなことを言い出した。カイヤ殿下教の教祖様だ。
「無理だ」
殿下は一言で斬って捨てた。
冷めたまなざしとドライな声。ケインのそれと、温度差がすさまじい。
「人には向き不向きというものがある。俺に王は無理だ」
「そんなことないよ。君ほど王の資質にあふれた人間は居ないって」
「…………」
「そのたぐいまれな美貌、カリスマ性、行動力、勇気と知性――」
力説するケインを、殿下は変わらず冷めた目で見つめていたが、
「……人には、向き不向きというものがある」
やがてもう1度、同じセリフを繰り返した。
「俺に王は無理だ。その時々の感情に流されて、己の立場を考えるということがどうしてもできない」
ちらりとクロサイト様の方を見て、「何度説教されても、改善できなかった」
「仰る通りかと」
同意するクロサイト様。そして戦場に居た頃の殿下が、「その時々の感情に流されて」行動してしまった例をいくつか挙げた。
当時の殿下は10代半ば。
誰でも多少は馬鹿なことをしでかす年頃だと思うけど、そんなレベルではすまないような話が次々と――。
「……もういい。十分だ」
自分で言い出したにも関わらず、途中でいたたまれなくなったらしい。話を打ち切ろうとする殿下に、
「これだけは言わせてください。あれは砦に来て半年ほどたった頃、敵に捕らわれた部下を救おうとして、自身が重傷を――」
「だから、もういいと……」
クロサイト様は構わず言い切った。
「あの件は率直に言って、無事にすんだことが奇跡です。あれでは助けられた方も苦しみを負うことになる」
殿下はバツが悪そうに顔を伏せた。「……わかっている」
「事実、クロムは今も気に病んでおります」
あ、クロムの話なのね。敵につかまって、殿下に助けられて、代わりに殿下が大ケガした、なんてことがあったんだ?
「本当に、わかっている。反省している。2度としない」
「そのお言葉は嘘ではないのでしょう。しかし、その約束が守られたことはない」
淡々とした責め苦に耐えきれなくなったのか、殿下は視線をケインの方に戻し、
「とにかく、そういうことだ。そんな手前勝手な人間は王になれない。民がたまったものではないだろう」
ケインは納得した様子は全く見せなかった。
「ハウルより、君の方が玉座にふさわしい」
「くどいぞ、ケイン」
「なんで。そう思うのは僕だけじゃないと思うけど?」
国民も、貴族や騎士たちの中にも、「救国の英雄」が王位に就くことを願っている者は数多く居る、とケインは主張した。
「本当は、4年前にそうするべきだったんだ。凱旋帰国と同時にクーデターを起こして、現国王とラズワルドを権力の座から追いやるべきだった」
わりととんでもないことを、軽々しく言ってのける。
クーデター。政権転覆。
そんなの、口にするだけでもヤバイ話だ。違法薬物の売買どころの騒ぎじゃない。バレたら即刻逮捕、ヘタしたら処刑ものだ。
「言葉はつつしむべきだ、ケイン」
と、カイヤ殿下ですら警告した。
ケインは動じない。冷ややかに目を細めて、
「君を見ていると、たまにじれったくなるよ。もっと手っ取り早くカタをつける手段はいくらでもあるだろうに、味方はもちろん、敵にまで慈悲をかけるんだから」
「そんな酔狂な真似はしない」
と殿下は否定したが、ケインは首をひねった。
「そうかな? 君、さっきエマのこと助けたよね。何の義理もない、仮に殺されたとしても自業自得の人間をさ。そういうのを慈悲って呼ぶんじゃないの? 違う?」
「違うな。まるで違う」
自分はエマを救おうとしたわけではない。人死にを出すまいとしたのは、分家筋とラズワルドの間で報復合戦が起きるのを避けるためだ、と殿下は言った。
たった1人の死をきっかけに、取り返しのつかない悲劇を招くことがある。
人の死というのは、それほど重い。
7年前の事件もそうだった。後継ぎ候補筆頭だった王子の事故死を発端にして、王都が混乱し、多くの悲劇を招いた。
そして、王国の歴史に暗黒の1ページを刻んだ、あの30年前の政変の時も。
始まりは、王太子の暗殺事件だったのだ。
「暗君として知られる先代国王は、実は政治にさほど関心がなかったと言われている」
先代の舅に当たる五大家の当主が、王を傀儡として権力を握ろうとし、それを阻もうとした勢力と泥沼の争いになり、暗殺が横行した。
敵も味方も疑心暗鬼にかられ、互いに策謀を巡らし、殺し合った。そうした愚行を積み重ねて行き着いた先が、
「あの30年前の政変だったと聞いている」
……それって、私が学校で習った歴史と随分違う。
30年前の政変は、先代国王が、自分に逆らう者を粛正しまくったんだって、そう教えられた。それ以外の話は全く聞いたことがない。
しかし30年前の当時も、今と同じく王城に居たというセレナが、殿下の話を肯定した。
「お若い方はご存知ないでしょうね。王国の威信と名誉を守るため、ほとんどの事実が闇に葬られてしまいましたから」
私やケインの顔を見て少し笑うと、「でも、近衛副隊長殿はご存知ですよね?」
水を向けられたクロサイト様は、静かにうなずいた。
「私の場合、直に目撃したものは多くありませんが……、王城が凄惨な争いの現場になったことは存じております」
30年前の政変の時って、クロサイト様は10歳くらい?
セレナと違って平民出身のはずだけど、お城に上がる機会なんてあったんだろうか。
ケインは軽く目を細めて、クロサイト様とセレナの顔を見比べた。
やがて、ついと視線をそらすと、
「あの男が寿命でくたばるのを待つ気でいるなら、甘いよ」
まるで何も聞かなかったかのように、話を元に戻した。
騎士団長ラズワルドは老兵だ。
だが、老いを理由に、おとなしく消え去るような男ではない。
「奴は執念深い。病的なまでの力への執着と、弱き者への軽蔑と嫌悪。それがラズワルドだ。自分が弱者の身に落ちるくらいなら、国を滅ぼすことさえ厭わないだろうね」
ケインは騎士団長のことを「ラズワルド」としか呼ばない。
さっき耳にした「後継ぎ」という言葉が聞き間違いでないのなら、おそらくは血縁者――多分、父親なんじゃないかと思うが。そこにはいっさいの親しみも肉親の情も感じられなかった。
身内なのに仲が悪いという例なら、私はついさっきも見ている。
宰相閣下に反発して、騎士団に所属しているというミラン・オーソクレーズ。
それでもまだ、親子げんかみたいな雰囲気はあったと思う。
ケインの場合は違う。本当に、赤の他人の話をしているようにしか聞こえなかった。
「いずれ奴との対決は避けられない。だったら、先手必勝、相手より先に動くべきだ。君の叔父上だけなら、過激な手段も迷わず使うだろうね。でも、あの人は君に大きすぎる借りがあるから」
カイヤ殿下の甘さ、優しさが、味方の足を引っ張っている。それは今すぐ改めるべきだとケインは言った。
「優しいのは美徳だよ。そういう君の性格、僕は好きだけどさ。やらなければやられる時もある。自分や味方の命を守るためなら、手段を選んでいられない時だってある」
「話が回りくどいぞ」
ケインの長い語りを、殿下は再び一言で斬って捨てた。
「結局のところ、おまえは何が言いたい。俺にラズワルドを暗殺しろとでも?」
「実家に復讐したいのなら、お1人でやってはどうですか」
クロサイト様も言う。
しかしケインは、「そんなつまらない目的のためじゃない」ときっぱり否定した。
「さっきも言ったろ。僕は君に王になってほしいんだ。そのために何が必要なのかを、君に考えてほしいだけだよ」
さすがに、殿下はうんざりした顔になった。
「何度も言わせるな。俺に王は無理だ」
「僕はそう思わない」
「…………」
「君が王を目指すというなら、助力は惜しまない」
「……その気持ちは一応ありがたいと言っておく。目指すつもりは全くないが」
「…………」
平行線の会話に、口をつぐむ殿下とケイン。
ゴトゴトと馬車が揺れる音と、ミケが飼い主に甘えてゴロゴロと喉を鳴らす音だけが聞こえて。
「……そろそろ王都に着くね。名残惜しいけど、お別れだ」
話を打ち切る宣言をしたのは、意外にもケインの方だった。「忠告はしたからね。僕が話したこと、次に会う時までによく考えておいてよ」
殿下は黙ったままだ。不本意そうな顔をしているけど、それでも言い返さないのは、これ以上、不毛な会話を続けたくないからか。
私も、突然現れて、人質をとって脅して、言いたいことだけ言って話を終わらせようとするケインに抗議したいことは多々あったが、それ以上に、今は疲れを感じていた。
ただでさえ、今夜はたくさんのことがあり過ぎた。今は何もかも忘れて、頭をからっぽにして眠りたい。
「忠告は3つ。レイテッドが君の味方じゃないこと。必要な時は、手段を選ぶべきじゃないってこと。それから」
ケインはまだしゃべっている。聞くとはなしに耳を傾けていたら、その視線がふいに私の方を向いた。
「父親が密偵だか暗殺者だかいう野蛮な暴力メイドは、早くクビにすべきだっていうこと」
唐突に父の話を持ち出されて、私は固まった。
いや、違う。正確には、「暗殺者」という言葉の方に動揺したのだ。
ついさっき目撃したばかりの暗殺未遂事件。その印象は生々しく。あの舞台で見た怪しい「魔女」の姿が、脳裏にちらついて。
体が凍りつくような寒気に襲われ、身動きができなくなってしまった。




