152 黒幕2
「信じられないよ。まさか本当に殴る? 傷ひとつ付けたわけでもないのに。こっちは一応謝ってるのに。普通はさあ、理由とか聞くものじゃない? なのに、いきなり殴るとか。本当の本当に、理解できないよ」
王都へと向かう道すがら。
静かに揺れる馬車の中で、先程から聞こえるのはケイン・レイテッドの声だけだ。
わずかに腫れた左の頬をさすりながら、もう片方の手で白猫をなでながら。
ケイン・レイテッドはひたすら文句を言い続けている。
馬車は広く、乗り心地は悪くない。
5、6人は楽に座れる座席が、ちょうど乗合馬車のような感じで向かい合わせに設置されている。
あちら側には、ケイン・レイテッドと猫。
こちら側には、他全員――私とセレナ、カイヤ殿下とクロサイト様が座っている。
「カイヤさあ、なんでこんな野蛮人を雇ってるの。妹のメイドとか、嘘でしょ? もっとマシなのを雇い直したらどう?」
「彼女はよく働いてくれているが――」
殿下が反論しかけるのを遮って、わざとらしく嘆息するケイン。
「そういう話じゃなくてさ。こんな野蛮なのがそばに居たら、妹に悪い影響があるでしょってことだよ。口より先に手が出るような、野蛮な性格がうつったらどうするわけ?」
野蛮、野蛮としつこい。
……まあ、冷静になってみれば? カッとなって殴ったのは多少問題だったかもしれないけど。
「いきなり人を脅迫するのは野蛮じゃないんですか」
私が言い返してやると、ケインは大げさにのけぞって見せた。
「脅迫って! こんな可愛いミケの何が怖いっていうのさ」
そのミケはケインの膝の上に乗っかって、「もっとなでて」というように主人のてのひらに体をすり寄せている。
すごく可愛いし、愛らしい。
でも、その可愛いミケに、私は人質にされたんだよな。
「……なんで」
猫なのに、言葉を話すのか。先日、メイド姿で劇場に現れたミケと同一人物なのか。だとしたら人間に化けることができるのか。ついでに、白猫なのにミケという名前なのはどうしてか。
問いただしたいことは多々あった。
だけどケインに尋ねたりしたら、またぐちぐちと嫌味を言われそうな気がする。なので私は、カイヤ殿下に聞くことにした。まずは、白猫の素性と正体から。
「……ミケの素性か。それについては、俺もケインも、はっきりしたことは答えられない」
まだてのひらに乗るくらい小さな仔猫の時に、ケインの暮らす屋敷に迷い込んできた猫なんだそうだ。
その時は言葉を話すことは愚か、自力ではミルクも飲めないほど弱々しくて、明らかに親とはぐれた様子で。
「でも、賢い子だったからね。ためしに言葉を教えてみたら、すぐに話せるようになったんだよ」
ケインは自慢げにしているが、普通どんなに賢い猫だって言葉を覚えることなどできないし、そもそも普通の飼い主なら、教えること自体しないはずだ。
「ミケは他にもいろんなことができるよ。人に姿を変えたり、普通の猫を操ったり」
その言葉に反応したのはクロサイト様だった。
「では、『あれ』もあなたの仕業ですか。我々の乗ってきた馬車に――」
「そうだよ、もちろん」
彼のセリフにかぶせるように、うなずくケイン。「そっちの馬車が使えなくなるように、罠を仕掛けておいたのさ」
「罠って」
私はぎょっと目を剥いた。いったい何をしたんだ、こいつ。
そういえば――。さっき、馬車を取りに行ったクロサイト様が戻ってくるのが遅かった。
「何があった?」
殿下の問いを受けて、クロサイト様は答えた。
彼が馬車のもとに行ってみると、馬車の上にも周りにも、ついでに馬の背中にも、
「大量の猫が」
……居たんだそうだ。
白猫、黒猫、茶猫にぶち猫。見た目もさまざまな猫たちが、とにかくたくさん。
「追い払おうとしても、逆にまとわりついてくるので、らちが明かず」
仕方がないので1度建物の中に戻り、適当な大きさの箱を借りてきて、寄ってくるそばからつまんで箱に入れて。
そうして完成した猫の箱詰めは、
「今はジェーンに預けて、面倒を見させています」
「…………」
話を聞きながら、私は頬が震えそうになるのを懸命にこらえていた。
笑い事じゃないとは知りつつ、淡々と猫たちを回収するクロサイト様の姿を想像すると、どうしても……。
ケインは笑わなかった。むしろ懸念を示すように眉を寄せて、
「ジェーンって、あの銀髪の近衛騎士だよね。そこの白い髪に輪をかけて凶暴そうだけど、だいじょうぶ? 猫の世話なんてできるの?」
「心配ない。ジェーンは人間以外のものには暴力を振るわない」
とカイヤ殿下。
一方、そこの白い髪、と指差された私は、揺れる馬車の中で腕まくりをしながら立ち上がった。
「待て、エル・ジェイド」
即座に止めに入るカイヤ殿下。「ケイン。今の発言は撤回を要求する。彼女を侮辱するな」
ケインの眉間のしわが深くなった。
「……今の発言って、髪の色のこと? 別に侮辱したつもりはないけど」
「確かに、彼女の白い髪は美しいと、俺は思っているが」
「…………」
「身体的特徴をあげつらうような言い方は侮辱と同じだ。……どうした、エル・ジェイド。だいじょうぶか?」
赤面して震えている私を、殿下が怪訝な顔で見やる。
「何でもありませんっ!」
あー、もう。いきなり「美しい」とか、やめてほしい。そういうセリフ、言われ慣れてない人間にとっては刺激が強すぎるんだぞ。殿下に他意がないことはわかってるけど!
「何を赤くなってるのさ。君、妙な勘違いとかしてないだろうね?」
人がせっかく気恥ずかしさに耐えているのに、余計なツッコミを入れてくるケイン。
「してませんっ!」
「どうだか。カイヤもさあ、よくご覧よ。美しいものなら他にあるだろう? たとえば、このミケの美しい毛並み。本当に美しい白って、こういう色だよ」
ズレていく会話を、誰も正してくれない。唯一、話に参加していないセレナも、ただおもしろそうに耳を傾けているだけだ。
こんな話をするために、ここに居るのか? 否。
そもそもはケイン・レイテッドが、意味ありげな誘いをかけてきたから――。
「話がずれているな」
私の気持ちを察したわけでもないのだろうけど、ようやくカイヤ殿下がそう言ってくれた。
「そろそろ本題に入らないか? ケイン」
「そうだね、時間も惜しいし。いいかげん、くだらない話はみんな飽きただろうしね」
なぜか迷惑そうな視線を私に向けてくる。
おまえのせいだと言わんばかりの態度が納得いかない。自分だってどうでもいいことばかり話してたくせに。
真っ当なツッコミは、続くケインのセリフで飲み込まざるを得なくなった。
「『魔女の宴』でエマ・クォーツを焚きつけて事件を起こさせ、『淑女の宴』では醜い茶番劇を演じさせた。その黒幕は誰か、って話をね」




