150 鈴の音2
「別に、手柄を全部譲ったわけじゃないよ?」
唖然としている私に、カルサが声をかけてきた。黒スーツの内側から、紙を束ねた、帳簿みたいなものを取り出し、
「これ、『魔女の媚薬』の売買記録。あの座長が持ってた裏帳簿」
動かぬ証拠だよ、とひらひら振って見せる。
「そんなもの、いつの間に……」
見つけたのかと問えば、カルサは「きのうの夜。あの座長の家に忍び込んで」と答えた。
「ってことは、ここに来る前から証拠を見つけてたの?」
裏はとってないって話じゃなかったか、確か。デタラメの思いつきだって、さっきはそう言ってたはず。
「それでも、10回に1回は当たるって言ったじゃん。今がその1回だよ」
「…………」
私が無言になった時、ずっとやり取りを聞いていたカイヤ殿下が席を立った。
急にどうしたのかと思ったら、どうやらお礼を言うタイミングを伺っていたようで。
「部下が助けられたな。感謝する」
カルサと、それにニックに向かって頭を下げる。
「なっ……、ちょっと。やめてください」
私のためにそこまでしてくれるのはありがたいが、王族に頭を下げさせるなんて、あまりに恐れ多いってものだ。
「はっはっは、苦しゅうない」
鼻高々で胸を張っているニックみたいにはなれない。……ってか、無礼だろ、普通に。
そんな彼を見て、クロサイト様が怒るでもなく淡々と、剣の柄に手をかけている。
「ごめんね、殿下。ニック先輩、調子に乗りやすくてさ」
一応、弁解らしきものを口にしているカルサも、王族相手とは思えない気安さだ。
しかし私の雇い主は、そんなこと気にしない。
「今回の件、俺の方からもジャスパー・リウスに話を通しておこう。おかげで助かったと。見事な手柄だったと伝えておく」
「うん、そうしてくれると助かる。うちのご隠居、殿下のファンだから」
カイヤ殿下の口から事情を聞けば、カルサとニックの復職を許してくれるかもしれない。
せっかくのお手柄を、私のせいでだめにしてしまったんじゃないかと案じていたが、どうやらだいじょうぶみたいだ。よかった。
「ご隠居には、できるだけくわしく伝えてくれたまえ。オニキス・フォレストは百年に1人の逸材だ、王族の地位を譲ってもいいほどだと」
さらに調子に乗るニックを、「先輩、もうしゃべらないで」と出口の方に押しやるカルサ。
「じゃ、俺たち帰るから。ご機嫌よー」
2人そろって部屋を出て行く。それを見届けて、クロサイト様が剣の柄から手を放した。よかった、ニックが無礼打ちにされずにすんで。
「私たちも帰りませんか?」
セレナが言った。「夜も遅いですし、きっとクリア姫が心配していらっしゃるでしょう」
さっと気まずい空気が流れた。主に私と、殿下の間で。
「そう、だな。心配しているだろう――」
私がクリア姫の代わりに宴にやってきたことは、既に話してある。
雇い主に隠れて、勝手なことをしたのだ。当然謝罪はしたが、殿下は怒らなかった。
クリア姫が心配して、心を痛めていることは殿下もわかっているのだ。むしろ妹 (のメイド)にそこまでさせてしまったことを悔いているようだった。
「すみません。本当に、勝手な真似を……」
あらためて頭を下げる私に、
「何度も謝らなくていい」
と殿下は言った。
「おまえは間違っていない。俺がクリアに中途半端な対応をしているのが悪い」
いや、あの。
ゴタゴタばかりのお城に住まわせている以上、中途半端な扱いはかえって酷だって、そう言ったのは確かに私ですけど。
そんな風に素直に認められると困ってしまう。
「それより、2人はどうやって城に戻るつもりだ? 俺たちの馬車に乗るか?」
「そうですね。できれば同行させていただけるかしら」
うなずくセレナ。
お城からこの会場までは、彼女が用立てた馬車で連れてきてもらった。小さいけれど立派な馬車で、身なりのいい老人が手綱をとっていた。今も会場の外で待ってくれているはずだけど。
殿下の馬車に乗せてもらえるなら、その方がいいか。
どうせ行き先は同じお城だし。もう少しフォローもしておきたいし。
「それでは、私が馬車を回して参ります。皆様は入り口の方でお待ちください」
クロサイト様が一足先に部屋を出て行き、代わりに現れた近衛騎士数人に護衛されて、私たちは正面玄関へと向かった。
建物の中はあいかわらず騒がしかった。
騎士団の捜索はまだ続いているのだろうか。主犯らしき3人は見つかっても、まだ探すべきものがあるのか。もしかして、カルサが持っていた「帳簿」を探しているのだろうか。
宴の招待客たちも、一部の身分が高い人を除いては敷地内に留め置かれ、聴取を受けていると聞いた。
私たちが自分の意思ですんなり帰ることができるのは、殿下が「一部の身分が高い人」であるからに他ならない。
正面玄関にはたくさんの馬車が止まっていた。
騎士団が乗ってきたのだろう、飾り気のない無骨な馬車が数台。他は全て、宴の客たちの馬車だった。使用人らしい人々が一様に不安げな表情を浮かべて、主人の帰りを待っている姿が印象的だった。
その中にはお城からここまで送ってくれた老人の姿もあって、セレナの顔を見ると、静かに歩み寄ってきた。
「帰りは送っていただくことになりましたから、先に戻っていてくださいな」
「かしこまりました」
彼女の指示を受けて、去っていく老人。
今回の件でわかったこと。セレナが実はいい家の出身だということ。
王族専用の図書館で司書などしている時点で、一般ピープルではありえないのかもしれないが。彼女って基本、気さくだし。身分とか感じさせない人だし。
「……クロサイトは遅いな」
ぽつりとつぶやく殿下。確かに、いかにも仕事の速そうな彼にしてはちと遅い。
「道が混んでるからじゃないですか?」
「…………」
殿下は一瞬考え込むような素振りを見せたが、本当に一瞬だった。「様子を見てくる。おまえたちはここで待っていてくれ」
あいかわらず、決めるのも動くのも速い人である。誰かに命じて見てこさせようとか、そういうのはまだるっこしい――いや、そういう発想自体が多分ないんだな。
「お待ちを、殿下。そのようなことは我々が」
慌てて引き止めようとする騎士たちを、少し気の毒に思いながら見ていたら。
ふと、何か柔らかいものが私の足にふれた。
「にゃーお」
驚いて見下ろせば、そこには毛並みのいい白猫が1匹。甘えるように鳴きながら、私に体をすりつけてくる。
「まあ、可愛いこと」
セレナが頬を緩めた。
うん、可愛い。でも、なんでこんな所に猫?
「どうしたの、迷子?」
私が白猫に手を差し出したのと、殿下がこちらを振り向いたのが同時だった。
「ミケ?」
驚き混じりのつぶやきに、私の手が止まる。
ミケ? シロじゃなくて?
どこからか、鈴の音がした。
白猫がすばやく地面から飛び上がり、私の腕をつたって、肩の上までのぼってくる。
「ひゃっ……!」
くすぐったさに身をよじる私に、
「エル・ジェイド。動くな」
殿下が言った。先程までとは違う、張りつめた声で。
「え……」
「身動きするな。固まっていろ」
って、なんで?
命令通りに固まったまま、私は五感を駆使して、周囲の状況を知ろうとした。
肩の上に白猫の重み。首筋に、ひやりと冷たいものが当たる感触。
そして、再び響く鈴の音。
――この音。前にも耳にしたことがある。
王立大劇場で。観劇に行った日に。あの時、鈴を持って現れたのは、
「ケイン――」
そう。殿下の幼なじみで、レイシャ・レイテッドの夫。ぱっと見は人畜無害そうな青年、ケイン・レイテッドだった。




