14 赤いカラスの見下ろす道で
そこには、通りの一区画を丸々占拠するほど大きな建物があった。
外壁は赤レンガ。正面に仰々しい観音開きの扉。今は開け放たれており、建物の中の様子が見えている。
大理石のロビーに、黒壇の机。かっちりした制服姿の職員や、身なりのいい客たち。
そんな中、ひときわ異彩を放つのは、見るからにくたびれた外套をまとった中年の男と、いかにもガラの悪そうな禿頭の大男。
中年男は必死に頭を下げ、それを大男が怒鳴りつけている。話の内容までは聞こえないけど、何か揉めているのは間違いない。
この建物、なんだろう。何かのお役所?
私は目の前の建物を観察した。
正面扉の両脇に鉄製のポールが2本。そのてっぺんに、くちばしをひらき、羽を広げた赤いカラスが鎮座している。
カラスは、この国の守り神である「白い魔女」の使い魔として知られており、財産を守るという言い伝えもある。中でも赤いカラスは、金融業のシンボルだ。
「質屋……?」
にしては大きすぎる建物だと思ったら、
「金貸しだよ」
とカルサが答えた。「『ヴィル・アゲート商会』っていう、王国一あくどい高利貸しの店」
「金貸し……」
「帰れ! この貧乏人が!」
再び、罵声がとどろく。
見れば、立派な黒壇のカウンターの前で、くたびれた中年男がガラの悪い大男に胸ぐらをつかまれ、締め上げられている。
「あらら……」
借金の申し込みでもしたのかな、あの人。それで断られちゃったとか?
私とカルサが見ている前で、中年男はまるでゴミみたいに引きずられて、店の外に放り出されてしまった。
それでもあきらめずに、大男の足もとにすがりつく姿が哀れだ。
真っ昼間の往来である。騒ぎに気づいたのは私たちだけじゃない。道行く人々も、何事かと足を止め、見物している。
大男が舌打ちした。
「おい、手を貸せ!」
店の中に向かって怒鳴る。するとどこからともなく黒スーツに身を包んだコワモテの集団が現れ、大男に加勢した。
男たちにもみくちゃにされ、中年男の姿はこちらから見えなくなってしまう。
「ねえ、あれって止めなくていいの?」
私は横に居る警官見習いに聞いてみた。
弟とそう変わらない年頃の少年に、コワモテ男の集団をどうにかしろ、と言う気はない。ただ、警官隊は、市民の安全を守るのが仕事のはずだ。見ているだけでいいんだろうか。
「えー、俺が?」
カルサは露骨に顔をしかめた。状況に怯んでいるのかと思えば、騒ぎの現場を眺める少年の横顔は、単に面倒くさそうだった。
「別に、ほっとけばいいよ。あのおっさん、多分貴族だし」
あのおっさんとはどのおっさんのことかと問えば、カルサはくたびれた中年男を指差した。
「警官隊って、貴族とか騎士様には嫌われてるからさ。関わると面倒なことになりそう――」
少年のセリフを断ち切るように、背後で泣き声がした。
騒ぎに驚いたのだろう。子供が泣いている。
「……とか、言ってられないか」
ふっとため息をつくカルサ。
「姐さん、ここに居てよ。ちょっと詰め所まで行って、応援呼んでくるからさ」
「え、応援?」
「だってさ、俺みたいな小僧が止めに入っても、誰も聞いてくれないでしょ」
もっともだ。
ただ、あの様子じゃ多勢に無勢、戻ってくるまでに騒ぎはおさまってるかもしれないけど。
「じゃあ、待っててね」
軽く手を振って、身を翻すカルサ。その姿は、あっという間もなく往来に消えた。
そういえば。
カルサはなぜ、中年男が貴族だとわかったのだろう。男の身なりは、控えめに言ってもかなり質素だ。
ふいに、悲鳴が上がった。遠巻きに見物していた通行人の中から。
コワモテの男たちが大騒ぎしている。うち1人は、肩から血を流していた。
さっきまで一方的に虐げられる側だった中年男が、血走った目で男たちをにらんでいる。……その手に、抜き身の刃を下げて。
王都の市街地では、許可なく帯剣することは禁止されている。旅人はだいたい護身用の武器くらい持っているものだし、守らない人間の方が多いルールではあるが、一応そうなっている。
例外は市街地の警備にあたる兵士と、貴族及び王族の護身用武器。
カルサは気づいていたんだろうか。男が外套の下に身につけていたものに。
それは一振りの短剣だった。柄の部分に、立派な意匠が施されている。それが貴族の家紋だということは、後で知った。