148 事情のわからない事情説明
――で、案の定。
私の説明を聞いたカイヤ殿下は、とても困った顔になった。
「魔女が、居たのか」
「居たんです」
「その魔女は、おまえ以外の人間には見えていなかったと?」
「そうみたいなんです」
「…………」
こんな話、信じられませんよね。ええ、わかってますよ。当然でしょうとも。
「それは興味深いですねえ」
なんて、目を輝かせて聞いてくれるのはセレナくらいのものだ。
事情を話すために連れてこられたのは、「淑女の宴」の会場となった、お城みたいな建物の一室。
普段は何に使われているのか、テーブルと椅子、小さな姿見とクローゼットしか置いていないこじんまりした部屋だ。
気まずい沈黙に支配された室内とは対照的に、部屋の外からは騒ぎの気配が伝わってくる。
あんな事件が起きたのだから、騒がしいのは当たり前なのだが、理由はそれだけじゃない。
騎士団が来ているのだ。
事件の一報を聞いて駆けつけたにしては、現れるのが早すぎる。
それもそのはずで、彼らは全く別の目的でやってきたのだ。
他でもない。エマ・クォーツを逮捕するために。
容疑は、禁止薬物である「魔女の媚薬」で近衛騎士のヒルデ・ギベオンを操り、要人暗殺を企てたこと。
彼女に薬を売った容疑で、劇団員も何人か逮捕されたらしい。
ただ、主犯と見られる花形俳優と北の国の魔女を演じた女優、さらには座長の姿がどこにも見えないとかで、現在捜索中。
チェロ・クォーツをはじめとして、エマの関係者も事情聴取を受けているんだとか。
まったくもって驚きである。
何が驚きかって、「主犯と見られる花形俳優」の部分だ。
……つまり、ニックのデタラメが当たっていたってことだ。仮に事実だとしたら、つくづくこの世は奇異な場所である。
騎士団がエマを捕らえに来たこととか、その他の部分にはさほど驚きはしない。
前にカイヤ殿下が、宰相閣下やレイテッドの人たちから聞いたという「真相」のまんまだし。
ただ――騎士団が現れる直前に、エマ・クォーツが倒れたことについては、どう解釈すればいいんだろう。
私が見た「魔女」は、騎士団長に雇われた暗殺者ではなかったのだろうか?
1人であれこれ考えていたら、
「その『魔女』について、もう少しくわしく聞かせてくれないか」
と殿下が言い出した。
「まず、外見は? 年齢や体格、顔立ち等は見えたか?」
うん。そういうこと聞くよね。ちゃんと答えられたら、話の信憑性も多少は増すところだったんだけど。
「……それが、わからないんです」
私は小さくなった。
「わからない?」
「はい。全身すっぽりローブで覆ってたから、顔は見えませんでしたし。それだけじゃなくて、こう……記憶がはっきりしないんです。思い出そうとしても印象がぼやけて、まるで夢の中の出来事みたいに……」
「…………」
再び沈黙する殿下。
それは実際夢だろう、また寝てたんじゃないのか、寝ぼけて騒いだのか、このアマ、ふざけるな。
そう責められることも、一応は覚悟した。
殿下は優しいし、同じ責めるにしても、もうちょいお上品な言葉を使うだろうけどね。できるだけ悪い想像をしておいた方が、後で受けるダメージも少なくてすむ。
「……ひとつ、確認したい」
困り顔のまま、口をひらく殿下。身構える私。
「その『魔女』というのはつまり、以前、おまえが故郷で――」
と、そこまで言いかけて口をつぐみ、ちらりとセレナの方を見る。
この話を、人前でしてもいいのか。迷っている様子だったので、私は言った。
「いいですよ、気にしなくても」
誰彼なしに話されては困るが、ここに居るのはセレナだけ。その彼女は、見かけによらず情報通で、既に色々知られてるみたいだし。隠し事とか、しても無駄っぽいし。
「私が故郷で会った『魔女』とは違います。それは間違いありません」
きっぱり断言すると、殿下は意外そうに瞳を瞬いた。
夢の中の出来事のようにはっきりしないのに、なぜ言い切れるのか。そもそも、故郷で見た「魔女」だって、ほんの短い遭遇だったんじゃないのか。
色々突っ込みたい気持ちはわかるが、実際そうなのだから仕方ない。
受けた印象が真逆なのである。
正と邪。光と闇。導きと迷い。無謀と恐怖。清浄と不浄。
ほんの一瞬見ただけだとしても、太陽と月を見間違う人は居ないだろう。
何を言ってるのかよくわからないかもしれないけど、とにかくそんな感じなのである。あの「魔女」は故郷で会った黒い魔女じゃない。それは断言できる。
殿下は椅子から身を乗り出すようにして、私の顔をまじまじと見つめた。
それから、ふっと背もたれに体を預けて、
「驚いたな」
むしろ感心したような声でそう言った。
「おまえはどうやら、『魔女』という存在と縁が深いらしい。あるいは、魔女の血を引くと言われるクォーツの人間よりも」
「……信じてくださるんですか?」
こんな与太話。普通、信じるっていう方がどうかしてると思うけど?
「嘘をついているようには見えないからな」
と殿下は言った。
言ったきり黙っているところを見ると、理由はそれだけらしい。
不思議だ。なぜ、私自身わけのわからない説明を、すんなり受け入れることができるのか。
殿下には、他人の嘘を見抜く力がある。そう言っていたのは、叔父の宰相閣下である。
殿下本人はそんな魔法みたいな真似はできないと否定していたが、実際そんな力のせいでもなければ納得できないくらい、不思議でしょうがない。
「セレナさんはどう思いますか?」
彼女に話を振ったのは、少しでも常識的な答えが聞きたかったからだ。
もしくは、驚いたり疑ったり心配したり、そういう普通の反応がほしかった。
その意図は伝わったと思う。セレナは小さくほほえんでこう言った。
「あなたが故郷で見たという魔女のお話、今度くわしく聞かせてくださいね」
伝わった意図は無視された。ここに私の味方は居ないのだろうか。
誰か来てほしい。この気持ちを共有してくれる誰か。
そう思って扉の方を見ると、まるで白い魔女が私の願いをかなえてくれたかのようなタイミングで、ノックの音が響いた。
「私です」
聞こえた声は、クロサイト様。
「入れ」
「失礼致します」
室内に入ってきた腹心の部下に、「どうだった?」と殿下が短く問う。
「謝罪は滞りなく終了しました。今は会場の外で待機させています」
「そうか、わかった」
安堵の表情を浮かべるカイヤ殿下。
何の謝罪かといえば、ジェーン・レイテッドである。
私を連れて舞台に駆けつけるどさくさに、宴の客やら警備兵やらを吹っ飛ばしてしまったため、関係者に謝りに行っていたのだ。クロサイト様は上司として、その付き添いに。
ジェーンの行動は私のせいでもあるから、本当は一緒に謝りに行った方がよかったのだろうが、今は殿下への事情説明を優先しなきゃいけなかったので。
「エマ・クォーツの方はどうだ?」
私は思わず身を固くした。
「先程、医師の治療が終わりました。現段階では、命に別状はないと報告を受けています」
「あ……」
そう聞いた途端、体の緊張が解けた。
殿下も同じく緊張していたみたいで、「そうか」と大きく息を吐き出した。「よかった……」
もしも、エマが亡くなっていたら。
前に殿下が言っていたみたいに、分家筋が報復に出たはずだ。そうなれば、騎士団長ラズワルドとの間で、血で血を洗う報復合戦にもなりかねない。
そうした事態を回避することができて、よかったと。
思っているのも当然あるだろうし、もっと単純に、人死にが出なくてホッとした、というのもあるだろう。
私だって別に、エマ・クォーツとは何の関係もない。
それでも、目の前で無惨に殺されたりするのは見たくない。できれば助かってほしいと本気で願っていた。
「そういえば……」
私は気になっていたことを口にした。
「あの時、倒れたエマに何か飲ませてましたよね?」
殿下はついと視線をそらした。
「ああ、あれは……、いつも持ち歩いている解毒剤だ」
そうですか、解毒剤。
それって、毒の種類によっても違うものですよね。どんな毒にも効く万能の薬なんてない。なのに、迷わず飲ませたのはなぜ? 王国ではメジャーな毒だったとか?
だとしたら、目をそらすことはないと思う。
この人って基本、嘘はつかないけど、隠し事はあんまりうまくないみたいだ。
ま、無理に聞いたりはしないけどね。
殿下がそう言うのなら信じよう。殿下も私を信じると言ってくれたのだし。
しかし世の中、信頼だけでは回らない。それを思い知らされる出来事が直後に起きた。
再び響く、ノックの音。
扉の前に立っていたクロサイト様が様子を見に行き、程なく戻ってきた。
「騎士団の者が来ております」
「騎士団? 何の用だ?」
殿下が問い返すと、クロサイト様は静かに私を見た。
「エマ・クォーツが倒れた際、怪しい動きのあった彼女を取り調べたい。ただちに身柄を引き渡すように、と要求しています」




