145 お姫様の素顔
廊下に出た私は、すぐに後悔することになった。
「淑女の宴」のおかしな空気を避けて、こっちに来たはずなのに。
広間の外も同じだった。先に出て行った人たちが、あちこちでデートを楽しんでいたのだ。
照明を落とした庭。木陰のベンチ。いかにもそれっぽいバルコニー。
さらには使用人らしい女性が廊下を歩き回りながら、「ご希望があれば、個室の鍵もお貸し致しますよ」と触れ回っている。
貴族の婚活パーティーって、こういうものなの? ……正直、ついていけない。
「とりあえず、どこか人の居ない場所を探しましょうか」
とセレナが言うので、歩き出したはいいものの。
一見ひとけのない場所でも、いやそういう場所にこそ、目のやり場に困るような光景があった。
いっそ広間に戻ろうかとも思ったが、戻っても同じだろうし。
私は可能な限り心を無にして、歩き続けた。
人目も憚らず、いちゃつくカップルを見てもスルー。
人目を憚り、物陰で寄り添うカップルもスルー。
別の物陰から、その様子をのぞいている怪しい人影もスルー。
「……ん?」
今のはちょっと、放っておいたらまずくない?
曲者か、不審者か? 警備兵を呼んだ方がいいかな?
「セレナさん、あれ……」
私が指差すと、セレナは「あらあら」と緊張感なくつぶやいた。
その声が聞こえてしまったらしい。怪しい人影がこちらを振り向いた。
曲者と呼ぶにはいささか拍子抜けな、メイド服を着た、小柄な少女だった。
柔らかそうな金髪を大ざっぱにまとめて、サイズの合っていないメイド帽の下に無理やり押し込んでいる。
顔には大きな丸めがね。小顔なせいで、違和感が半端ない。もうちょっと、適当な大きさのやつはなかったんだろうか。フレームも分厚いし、若い女の子が身につけるような物じゃない。
雰囲気も、全体的に垢抜けない。着ているメイド服も地味なものだし、化粧っ気もまるでない。
17か18か、花も恥じらう年頃なのに、敢えて目立たない格好をしているような。
しかし、どこかで会ったことがあるような――。
「フローラ姫じゃありませんか」
セレナが出した名前に、「は?」と間の抜けたつぶやきをもらす私。
いや、違うでしょう。フローラ姫なら、さっき広間に居たし、こんな場所でのぞきなんてしてるわけないし、どう見ても別人……。
…………。
別人、だよね?
柔らかそうな金髪に鳶色の瞳、抜けるように白い肌。顔立ちも、確かに似ている。
私が戸惑っていると、メイド服の彼女は、「はあ」と疲れたようなため息をもらした。
そして、「言っとくけど、こっちの方が素だから」と投げやりに言い放った。
「『魔女の宴』の時とか、さっきの方が作り物。お姫様とか、ガラじゃないし……。仕方なくやってるだけ」
「…………」
お姫様とか、ガラじゃない。
ってことは、あれですか。マジで本物のフローラ姫なんですか。
広間からこの場所に、いったいどうやって移動したのか。
それも謎だけど、私が気になったのは、別人と見間違えるようなその変化。
服装と化粧でここまで変わるものかな……。輝くように美しい姫君の面影がどこにもない。
「…………」
物陰から立ち上がり、スカートの裾を払う「フローラ姫」。
無表情を取りつくろってはいるが、耳まで真っ赤だ。
できるなら、今すぐこの場から消え去りたいという顔をしている。そりゃ、他人の逢い引きをのぞいている所を見られたらね。無理もない。
見なかったことにするべきだろうか。
だけど、さすがにのぞきはよくないんじゃ……。そう思ってカップルの方を見ると、寄り添いながら甘い言葉をささやき交わしているのは、仮面をつけた男性同士だった。
「…………」
なんか、前にもこんな場面を見た気がするな。あれは現実じゃなくて、本の挿し絵だったけど――。
「どうして」
かすれた震え声がした。
「どうして、あなたには……、こんな所ばかり見られるのかしら……」
こっちが聞きたい――という思いをぐっとこらえて、「あの、お1人ですか?」と私は尋ねた。
「……見ての通りよ」
フローラ姫は石のように硬い声と表情で答えた。
「なんでこんな所に居るのかって聞きたいの? さっき着替える時、入れ替わったのよ。……影武者と。仮面舞踏会だし、バレやしないと思って……。ほんの短い時間でもいい、抜け出して休みたかった。疲れたから。宴なんて、もううんざり。人前に出るのって、つくづく苦手。私には向いてない――」
吐き出すように言葉を紡ぐ。その横顔は、本当にひどく疲れているようで。
嘘をついているようには見えなかった。ただ、その成り行きで、なぜのぞきをしていたのか? という疑問は残る。
フローラ姫は心の底から不本意だ、という顔をした。
「誤解しないで。私は本当に疲れたから休みたかっただけ。あの人たちの方が後から来たのよ。私がここに居るのわかってたくせに、お構いなしで……」
そのカップルは、私たちの話し声に興を削がれたのか、既に物陰から出て、立ち去るところだった。
「もういいでしょ。1人にして――」
迷惑そうに頼まれて、どうしたものかと私は迷った。
別にお邪魔する気はない。でも、お姫様がこんな所に、1人で居たら危なくない?
「お戻りになった方がいいんじゃありませんか?」
セレナもそう言った。
彼女は「超」がつく重要人物で、この不安定な政情下、命を狙う者とて居るかもしれないと。
いつものように穏やかに笑いつつ、穏やかじゃないセリフを口にする。
「誰が狙うの?」
しかしフローラ姫は動じることなく、むしろ冷めた顔で言った。
「私を利用したい人なら山ほど居るでしょうけど、私が居なくなって得する人なんて限られてる」
彼女が消えてくれた方が都合がいいのは、「フローラ姫との婚姻」がなくても王位を狙える派閥――つまりハウライト派だけ。
「あの人たちが、若い娘の暗殺なんて考えるわけないじゃない」
まあ、確かに。カイヤ殿下やハウライト殿下はそんなことしないだろう。
一方、セレナの見解は違った。
「王位以外の目的ならわかりませんよ。たとえば、騎士団長殿に復讐がしたいだとか」
フローラ姫はちょっと口ごもった。
そうだ。騎士団長を恨む誰かが、彼を失脚させるためにフローラ姫を狙うかもしれない。
「……もう少し休んだら戻るわ。だから今は1人にして」
って、言われてもなあ。
セレナのセリフを聞いたら、放っておくのも心配になってしまった。
「よければ、少しお話でもしませんか」と、私は言ってみた。「私たち、年も近いですし……」
だから何だ、と自分でもそう思った。
かたやメイド、かたやプリンセス。年が近いからお話しようって、寝言にも程がある。
「…………」
フローラ姫は予想に反して冷ややかな態度もとらず、何やら気まずそうに私の顔を見上げてきた。
「そういえば、あなた……」
もごもごと口ごもり、「あのこと、黙っててくれたのね」
「あのこと?」
「だから……」
フローラ姫は今にも消え入りそうな声で、「前に私が読んでた、本のこと。カイヤ兄さんに言わないでいてくれたんでしょ」
瞬間、美しい男性同士の濡れ場が私の頭をよぎった。
「てっきり、話しただろうと思ってたから……。さっき、ダンスの時に謝ったら、兄さん、『何のことだ』って顔して」
ありがとう、黙っててくれて、と小声で付け加える。
「…………」
私はフローラ姫のセリフを頭の中で反芻した。
やっぱり、あの話のモデルって殿下とクロサイト様なんだな。
別に、男性同士だからどうとは言わない。
ただ、実在の人物がモデルで、内容が事実無根というのはどうかと思う。
ましてフローラ姫にとって、殿下は血縁者なのに。読み物として、普通に楽しめるものなのかな?
「あの……、聞いてる?」
私が急に黙り込んだので、フローラ姫は変に思ったようだった。
「あ、すみません。ちゃんと聞いてますけど」
「けど?」
「…………」
ううむ、どうしよう。メイド風情が苦言を呈するのは失礼かな。
「自分でもどうかと思ったのよ。だから余計、知られたくなかったの」
意外なことに、フローラ姫の方から先に、弁解の言葉を口にした。
「ただ、好きな作家の書いたものだから興味があって……。中身は完全にフィクションだし、本物の兄さんはあんなキャラじゃないって知ってるし! ええそうよ、私はBL好きの腐女子だけど! 身内を傷つけるような楽しみ方はしない――」
しゃべっているうちに興奮してきたのか、真っ赤になってまくし立て、しまいには咳き込んでしまう。
「だいじょうぶですか?」
私は遠慮がちにその背をさすった。
とてもか細い背中だ。さすがにクリア姫ほどじゃないけど、小さくて、頼りなくて――。
フローラ姫は涙目で私を見上げ、「……軽蔑してるんでしょ」と言った。
「そんなことは――」
「嘘。あなたって、クリスタリア姫が喜ぶくらい読書好きだって聞いた。BLなんて、本のうちに入らないって思ってるのよね」
思っていないし、話のポイントはそこではないと思う。
「自分の好きなものを卑下するのはよくありませんよ。男色小説、いいじゃありませんか。古典にだって数多くありますよ」
やはり本好きのセレナが熱心に言う。
だから、そこが問題なんじゃなくて。
私が引っかかったのは、フローラ姫自身が言った通り、「身内をネタにして傷つける」という点であって。
「身内?」
私ははたと気づいた。
「今、カイヤ殿下のこと身内って仰いましたか?」
フローラ姫は、私が何を驚いているのかわからないって顔で、「それが何?」と聞き返してきた。
「…………」
いや、だって。
殿下とフローラ姫は、異母兄妹とはいえ、敵同士みたいなものだよね?
「『兄さん』……」
今更のように気づく。フローラ姫が最前からそう呼んでいることに。
「どうしたの?」
フローラ姫がいっそう怪訝な顔をする。
私はどう言えばいいのかわからず、結果、浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「殿下とフローラ姫って、仲がよろしいんですか?」
「は?」
フローラ姫は一瞬ぽかんとした。
「別に……、仲がいいってほどじゃない。一緒に住んでた頃は優しくしてくれたけど、それだってほんの短い間だし。……最近は、ろくに話す機会もないし。特に、母さんがあのラズワルドって人と養子縁組なんてしてからは」
気のせいでなければ、少し寂しそうに。
自分とカイヤ殿下の関係について語るフローラ姫。
対照的に、あのラズワルドって人、という言い方に含まれた距離感。そっけなさ。彼女にとって、騎士団長は身内と呼べる存在ではないのだと伝わってくる。
「クリスタリア姫と兄さんの方がよっぽど仲いいじゃない。美しくて聡明で気品のある自慢の妹? 親馬鹿ならぬ兄馬鹿」
それは全くその通りなのだけど、私の混乱は増すばかりだった。
フローラ姫の遠慮のない口ぶり。自分とクリア姫を比較するような言い方。
それはまるで、本当に。
殿下のことを、身内だと思っているような――。
「だけど、ルチル姫のことは……」
恨んでないんだろうか。
実の妹が、あんなことになって。
もちろん殿下を恨むのは筋違いだけど、何のわだかまりもないとは思えない。
妹姫の名前に、フローラ姫はびくりと肩を震わせた。
自分のつま先に視線を落とし、やがてそろそろと顔を上げると、
「ルチルのことは、本当にごめんなさい……」
耳を疑った。
ルチル姫の妹いじめについて、まさか彼女の身内から謝罪の言葉が聞けようとは――。
「信じてもらえないかもだけど……。妹のしたことは、本当に申し訳ないって思ってる……。止めてやれたらよかったんだけど……。あの子、私の言うことなんて聞かないし……。私のこと、大人の言いなりだって馬鹿にしてたから」
言いなりになるしかないじゃない、と吐き捨てる。
「あの子は、自分の立場ってものが全然わかってなかった。自分は本物のお姫様だ、って勘違いしちゃってたのよね」
馬鹿な子、とつぶやくフローラ姫。突き放すような言葉とは裏腹に、やりきれない悲しみがそこには滲んでいた。
「私たちなんて、いつお城から追い出されてもおかしくないのに。……実際にそういうこともあったのに、覚えてないのよね。まだ赤ちゃんだったから」
「え」
「知らないの?」
フローラ姫はまじまじと私の顔を見つめた。
やがて得心がいった、と言う風にうなずいて、
「……そっか。あなたって普通の人なのね。何にも知らないんだ。てっきり、腹黒な宰相辺りに仕込まれたスパイで、兄さんのこと見張ってるのかと思ってたけど」
宰相閣下が腹黒なのはおそらく間違いないが、甥であるカイヤ殿下にスパイなんて……あ、いや。普通に送り込んだ実績があった。しかも私と同じメイドだった。
「私は、宰相閣下とは関係ありません。王都の職安で、殿下に雇っていただきました」
簡単にいきさつを説明すると、別におもしろい話でもないはずなのに、フローラ姫はだんだん前のめりになって、
「何だか嘘みたい。街中で偶然、王族に会っただなんて。身分違いの恋が始まりそうじゃない?」
キラキラした目を向けられて、私はふとダンビュラの顔を思い出した。
彼は以前こんな風に言ったことがある。フローラ姫が興味を持っているものは、本よりもドレスや宝石だ、と。
だが実際は、好むジャンルが違うだけで、クリア姫と同じように本好きなのではあるまいか。あるいは単に恋の話が好きなのか。
何にせよフローラ姫にまで妙な誤解をされては困るので、私は「イケメンには興味ない」なんて話や、その理由も説明するハメになった。
それを聞いたフローラ姫は、なぜかいっそう瞳を輝かせた。
「追われる恋より追う恋……。最初はお互いその気がない、って方がおもしろいかも」
何やら意味不明なことをつぶやいている。
「そういえばあなた、どうしてここに居るの? 兄さんと一緒じゃなかったわよね? クリスタリア姫がこんな夜会に来るはずないし」
「……色々ありまして」
「そのバレバレな変装は? 何か意味があってしてることなの?」
「ですから、色々……」
幸い、説明の必要はなかった。
「お嬢様、そろそろお時間ですよ」
柱の影からひょいと現れたのは、懐中時計を持った侍女さん。確か、「魔女の宴」の時にも見た覚えがある。50代くらいの、優しそうなおばさんだ。
「劇が終わったら、またあいさつもあるでしょうし、その前に戻りませんと」
「……わかってるわよ」
心底嫌そうに答えるフローラ姫に、侍女さんは少し困った顔をして、
「お邪魔をして申し訳ありません。せっかく楽しそうにお話しされていましたのにね」
……って、いつから聞いてたんだ。 実はずっと居たとか?
考えてみれば、いくら「休みたかった」と言っても、お姫様が1人きりで居るのは不自然だ。普通のおばさんに見えるけど、実は彼女が護衛だったりするんだろうか。
「別に、楽しそうになんて……」
フローラ姫は侍女さんの登場で我に返ったらしく、さっきまでのテンションが嘘のように陰鬱な声で、
「じゃあ……、さよなら」
目を合わせようともせずに、別れの言葉を口にする。
侍女さんに連れられて、廊下を去っていく。その背を見送りながら。
「おもしろい姫君ですねえ」
とほほえむセレナに、私は同意も不同意もできなかった。




