142 宴の前に
それは数日前のことだった。
自室で休憩中だった私は、コンコンというノックの音に振り向いた。
「俺だ。少し時間をとれるか?」
聞こえたのは雇い主の声。別に断る理由もないので、「はい、どうぞ」と気軽に応じる。
すぐに扉が開いて、カイヤ殿下が……、殿下が?
「どうしたんですか、その服?」
いつもの黒ずくめの格好とは違う。あれも怪しいけど、今日は別の意味で怪しい。
赤い石のついたサークレット、片耳に複数のピアス、裏地が真っ赤な黒マント、金ぴかのシューズ。
中に着ているのは軍服みたいな動きやすそうな服だけど、その上にやたらと装飾がついている。
「用件はそれだ。この服装について、率直な意見を聞きたい」
そう要望されたので、私は率直な意見を述べた。
「仮装大会にでも出場されるんですか?」
「ダメか」
「ダメっていうか……。まあ、似合ってないとは申しませんけど」
どっかのダンスホールとか、クラブとかに行くっていうんなら止めない。
でも、今、このタイミングで聞きに来たってことは、「淑女の宴」にその格好で出るつもりなんだよね?
ああいう場所の正装って、男性の場合は燕尾服とかタキシードなのでは。
「国賓を招いた宴などではそうだが、王国限定の場合は、もっと自由だ」
「自由過ぎますよ。レイルズ様でしたっけ? あのレイテッドの当主様ならともかく」
まさにレイルズの服装を参考にした、と殿下は言った。
「レイルズがいつも見ているという本を借りた。『究極にして至高のファッション』という書名だった」
その本、興味あるな。……怖い物見たさ的な意味で。
「もしかして、クリア姫にもお会いになりました?」
その姿で、ここに来る前に。
「ああ。悲しいものを見るような目をされた」
「お兄ちゃん子の姫様には、酷だったかもしれませんね……」
「酷とまで言うか」
殿下は元がいいのだから、究極も至高も必要ない。普通の装いで十分だろうに。
「相手を探しに行くわけではないからな」
殿下は宴とかあんまり好きじゃないのか、既に若干疲れたような顔をしていた。
「昨年、レイリアが主催する夜会に招かれてな。色々と……大変だった」
何が大変だったのかというと、つまり、女性に好かれ過ぎたらしい。
レイリアが次々と紹介する女性たちに囲まれ、おしゃべりやダンスのお相手で休む間もなく。
さらに宴の後も、手紙やら贈り物やら女性本人やらが来て、その対応に追われたと。そうした事態を避けるためには、
「気安く近寄りがたい方がいい。見る者が引くくらいの方が」
「殿下は普通にしていても近寄りがたいですよ」
「…………」
「あ、変な意味じゃないです。つまり……、普通じゃないオーラがあるっていうか」
ほめ言葉には聞こえなかったらしく、殿下は憮然としている。
普通じゃないって表現がまずかったか。「凡人とは違う」とか言うべきだった?
幸い、殿下はすぐにいつもの無表情に戻って、
「おまえの意見は参考になった。礼を言う。宴の衣装については、もう少し検討を重ねることにする」
そして用はすんだとばかりに、出ていこうとする。
「あ、待ってください」
「?」
足を止め、こちらを振り向く殿下に。
実は私も、その宴に行くつもりなんです。セレナのメイドとして、こっそりまぎれ込むつもりなんです、と。
打ち明けるべきか、少し迷った。
クリア姫が秘密にしていることを、私が勝手にしゃべるわけにはいかない。
それでも、殿下に隠し事をしている状況というのは、やはり後ろめたかった。……前にも、それで痛い目にあったし。
「どうした」
呼び止めた後、そのまま黙り込む私を、殿下は急かすでもなく見つめている。
「えーと、その……」
「?」
「だから、つまり……。今度の宴って、どうしても参加しないとだめなんですか?」
また事件が起きるかもしれない宴に、殿下自ら足を運ばなければだめなのだろうか。
「クリア姫、殿下の前では言わないようにしてるみたいですけど、本当はすっごく心配してますよ」
だからこそ、私が代わりに見に行く、という流れにもなったわけだし。
「…………」
殿下は複雑な表情で口を閉ざした。クリア姫が心配していることくらい、殿下とて無論わかってはいるのだろう。それでも、そうせざるを得ない事情があるわけで。
「すみません、差し出がましい口を。でも、本当に。見た目よりずっと、我慢していると思うので……」
「……そうだな」
やがて、殿下はつぶやいた。
「クリアが心を痛めていることはわかっている。俺にも、似たような経験があるからな」
「似たような経験、ですか」
「ああ。昔……と言っても、それほど昔の話ではないが。俺が離宮に、兄上が王都に、分かれて暮らしていた頃のことだ」
実際にその頃のことを思い出したのか、殿下のまなざしが遠くなった。
「どうして別々に暮らしてたんですか?」
軽い気持ちで聞いたのだが、返ってきたのは、とんでもなくヘビーな答えだった。
「わかりやすく言えば、人質だ」
「ひと……」
「クォーツの正統な当主、つまり俺たちの母上が、現在の国王、つまり親父殿に対して、謀反など企てることがないように、息子を人質にして――」
「ちょ、待ってください」
それって親子の、夫婦間の話だよね? なんで謀反だの人質だのって話になるの。
疑問ではあったが、くわしく聞くのは怖かった。
「あの、別々に暮らしてた理由の方はいいです。クリア姫と似た経験、のところだけ教えてください」
「そうか? わかった」
私の希望に、あっさりとうなずく殿下。
「あの頃は、兄上ばかりを矢面に立たせて、自分は安全な場所に居ることが歯がゆかった。自分にも何か役割があればいいのにと思っていた」
何度も手紙を書いたそうだ。王都のハウライト殿下や、宰相閣下に。自分もそこに行きたい。何でもいいからやらせてほしいと。
しまいには兄の意思を無視して、離宮を飛び出してしまった。
……それって、セレナの言ってた話かな? 7年前、ラズワルドに幽閉された兄殿下の身を案じて、王都に出てきたっていう。
「今は兄上の気持ちもわかる。自分が同じ立場になったからな」
幼い妹を、できるなら危険から遠ざけておきたい。王都のゴタゴタに関わらせたくない。
そう願いつつ、現実はうまくいかないという悩みを抱えている。
……気の毒だけど、仕方がないんじゃないかな。
クリア姫にとって1番大切なのはカイヤ殿下で、そのカイヤ殿下はゴタゴタの真っ只中にいる、あるいは自ら飛び込んでいくのだから。
いっそ、クリア姫だけ王妃様の離宮に戻す――とかできるならまだしも、王宮で暮らしている以上、1人だけゴタゴタから遠ざけておく、ってわけにはいかないだろう。クリア姫は聡い子だし、色々察してしまうはずだ。
だったら、中途半端な扱いはかえって酷だと思う。
教えられることは、教えてあげた方が。
「今回の件は、ただ聞くだけでも嫌な事件だ。クリアの耳には、できれば入れたくなかった」
家と家とが、陰謀を仕掛け合い、泥仕合を繰り広げている。
それだけなら、いい。
けれども、そのために利用され、人生を壊されそうになっている人間が居る。
「ヒルデ・ギベオンのことですか」
セレナの話が本当だとしたら、確かにあまりにも気の毒な被害者だ。
彼女は今後どうなるのか。罰を受けることになるのか、私は尋ねてみた。
「極刑は免れるよう、働きかけている」
と殿下は答えた。
「だが、最終的に決めるのは俺ではないからな。ヒルデの家がラズワルドの派閥に属している以上、下手にかばい立てすると逆効果にもなりかねん」
場合によっては――実行犯のヒルデは処刑、実家は取りつぶし、などという処分がくだることもありえなくはないらしい。
私は、「魔女の宴」で会った彼女の姿を思い浮かべた。
あんなカッコイイ、いかにもエリートって感じの女性だったのに。本当なら、将来安泰、順風満帆の人生だっただろうに。
権力者に利用され、振り回されて、最後は処刑?
なんて理不尽なのか。
そんな話、クリア姫には確かに聞かせたくない。私だって、自分の弟や妹に聞かせたいとは思わないし。
でも、クリア姫はもう知っている。自分で望んで、知ろうとした結果だ。
「殿下もそうだったんですか?」
私の質問の意味がわからなかったのか、殿下は「うん?」と眉をひそめた。
「だから、子供の頃からそんな話ばかり耳にしてきたんですか?」
「そんな話ばかり、ということもないが……。まあ、特別珍しいというほどではなかったな」
むしろ自分にとっては身近なものだった。そう答えられて、
「つらかったですか?」
と私は問いを重ねた。
「つらい……」
殿下は真面目に考え込んでいたが、ほどなく首を横に振った。
「いや。特別つらい目にあったという認識はない」
ハウライト殿下や宰相閣下、叔母上様や幼なじみたちも、味方になってくれた。何かと気にかけ、守ってくれようとした。
「俺はむしろ恵まれている方だろう。客観的に見ても、主観的に見ても」
「だったら、クリア姫も――」
だいじょうぶ、なんて軽々しく言うべきではないかもしれない。
王族として生まれた彼女には、きっと人並み以上の苦労が待っているはずだ。
人の成長に困難はつきものだが、絶対に乗り越えられるという保証はない。たとえ乗り越えられても、心に傷を負うことになるかもしれない。
「おまえの言いたいことはわからなくもない」
殿下はふっと音を立てて嘆息した。
「結局、俺のワガママだ。クリアの意思を尊重すべきだと思う。一方では、可能なら箱の中にでもしまっておきたいと思う」
「無理ですよ」
わりと容赦なく突っ込んでしまう私。
「本当に、無理ですからね。クリア姫はお人形じゃないんですから」
「……そうだな、すまん。もう言わない」
殿下は叱られた子供みたいに神妙な顔で、素直にうなずいて見せた。
早く大人になりたいと願っていたクリア姫。そのためにはまず、この過保護な兄の壁を越えなきゃいけない。
率直に言って、大変そうだと思う。
とはいえ、子供の自立と成長に、最初に立ちはだかるのが身近な大人、というのは別に珍しい話じゃない。むしろ健全なくらいだ。大抵は親だけど、年の離れた兄や姉というパターンだってあるだろう。
この兄妹の場合、ちゃんとお互いの気持ちを尊重したいと思っている――自分の気持ちを押しつける気はないのだし、大切に想い合っていることは間違いないのだし。
変にこじれたりしないよう、周囲が生温かく見守っていけばいいんじゃないかな。
私もメイドとして、微力ながら力を尽くそう。




