138 名家の凋落
「今度の宴で、何が起きるのか、ですか」
セレナは小首を傾げた。
「さあ、未来のことは何とも……。何かが起きるかもしれないけれど、何も起きないかもしれませんしねえ」
そんな、ミもフタもないことを言わないでほしい。
「魔女の宴で起きた事件の報復に、ラズワルド殿がエマ殿を狙っていると聞いた」
クリア姫はひたとセレナを見すえた。
「エマ殿がアクア殿を狙ったというのも本当なのか。先日の、ルチル姉様が行方知れずになった事件が、そのきっかけになったというのも」
「きっかけは確かにそのようですけど――」
セレナはゆったりした動作でティーカップを持ち上げ、私が淹れ替えたお茶を一口飲んだ。
「あら、おいしい。淹れ方がお上手ですね」
「ありがとうございます」
口ではお礼を言いつつ、早く話を進めてほしいと私は思っていた。きっかけはルチル姫の事件だけど――の続きは何?
「7年前」
セレナの発した一言にどきりとする。
「あの年に起きた事件のことを、クリア姫様はご存知かしら」
7年前の事件。それは私の父が失踪した事件――のことではなくて、魔女の憩い亭のセドニスが言っていたあれ?
側室の息子で、次期国王候補の筆頭で、騎士団長ラズワルドにとっては甥に当たる王子が、事故で亡くなったっていう。
「確か、落馬事故だったと聞いているが……」
口ごもるクリア姫。
多分、私と同じ疑問をいだいているはずだ。というか、誰でも同じことを考えるだろう。
ぶっちゃけ、それって「事故」だったの?
次期国王候補筆頭の、超がつく重要人物の死。
どうしても「暗殺」の2文字が頭に浮かんでしまうんですが。
「ええ、そうですね。……事故だったんですよ」
セレナは言った。彼女にしては珍しく、どこか悲哀のこもった声だった。
騎士団長ラズワルドも当然のことながら暗殺の可能性を疑い、徹底的に調べさせた。
少しでも怪しい所はないか、絶対にあるはずだと、血眼になって。
それでも、不審な点は出なかった。
落馬事故といっても、王子は走っている馬から落ちたわけではないらしい。
馬を止め、地面に下りようとしたその時、馬具に足を引っかけてバランスを崩したのだ。
真っ昼間に、見通しのいい場所で、大勢の護衛や侍女たちが見守る中、起きてしまった事故だった。
「人の命は、本当に儚いものですから……」
セレナは少し悲しそうに首を振る。
子供って、注意力散漫なところがあるしね。下に弟と妹が居る私にはよくわかる。
彼らはふいに突拍子もない動きをする。なんで急にそんなことを、と首を傾げたくなるような行動に出ることも多い。その全てを予想し、完全に守るというのは難しい。
「運が悪かったんでしょうね」
本人か、ラズワルドか、護衛の人々か。
果たして誰の運が悪かったのかはわからない、とセレナは言った。
騎士団長にとっては、いっそ誰かの陰謀というならまだマシだったのかもしれない。その「誰か」に怒りと憎しみの矛先を向ければいいのだから。
事故では、誰も恨めない。
溺愛していた甥を失った悲しみと怒り。政治的にも重要な駒を失ったショックと失意。
行き場のない感情を持て余してしまったのか。その後の彼は、いささか暴走する。
当時、王都の宰相閣下のお屋敷で、つつましく静かに暮らしていた第一王子のハウライト殿下は、この件で拘束された。
「謀反を企てた」という、ほとんど言いがかりでしかない容疑で捕らえられ、王子の事故死に関わっていないかどうか、厳しく調べられたのだ。
抗議した宰相閣下も同じく。城の北塔に幽閉され、取り調べを受けることになった。
さらに、ラズワルドの暴走は敵だけでなく、味方にも害を及ぼす。
事故が起きた時、王子を守れなかった護衛は特に厳しく罰せられたが、それだけではなく。
王子の侍女や世話役、家庭教師にまで、理不尽極まる命令を出した。その命令とは。
「殉死ですよ」
セレナはさらりと言った。
「自分の命と、それに息子が居る場合は、その命も差し出せという命令だったんです。亡くなった王子は、生きていれば王になっていたはずの高貴な身の上なのだから、彼に仕えた者が殉じて死ぬのは当然だろうと仰ってね」
そんなムチャクチャな、と私は思った。
殉死なんて、いつの時代の話だ。偉い人が亡くなるたびに死んでたら、命がいくつあっても足りないし。まして、自分の子供の命まで差し出せ?
「ええ、本当に。馬鹿げた命令ですね」
最愛の甥を失った騎士団長にしてみれば、少しでも事件に関わりのある者は、自分と同じ苦しみを味わうべきだと思えたのかもしれないが。
いくら何でもありえないと、多方面から抗議が殺到し、命令は撤回された。……ただし、それには数日のタイムラグがあった。
わずか数日である。
けれど、当事者となった者にとってはあまりに長い、その数日の間に。
こんな命令は必ず撤回されると、最初から相手にしなかった者も居た。
使えるコネを使い、各所に働きかけ、冷静に立ち回った人間も居た。
子供だけをひそかに王都から逃がす者も居た。
だが、心理的に追い詰められ、早まったことをした人間もわずかながら居たのだ。
「王子の護衛だった騎士の1人は、最愛の妻と子を道連れにして……」
自分の屋敷に火を放った。家族だけでなく、逃げ遅れた使用人にまで犠牲が出たそうだ。
その悲惨な出来事は、ラズワルドの手によってもみ消され、表沙汰になることはなかったが。
噂は流れた。
騎士が、家族が、なぜ死ななければならなかったのか。詳細な噂が王都に流れ、ラズワルドの評判は地に落ちた。
「あの頃の騎士団長殿は、国王陛下を凌ぐほどの力を持っていると噂されていましたから、すぐに失脚することにはなりませんでしたけど」
味方だったはずの人々の恨みを買い、潜在的な「敵」を数多く生み出した。その結果として。
4年前、カイヤ殿下が「救国の英雄」として王都に凱旋した際、彼の派閥からは寝返りが横行した。
そうして彼の権力は失墜し、のちに平民女性のアクア・リマと養子縁組を結ぶところにまで追いつめられる。
クォーツの分家筋が陰謀を仕掛けた背景には、そういう事情があるのだ。
「今の騎士団長殿には、かつてほどの力も勢いもありません。お年もお年ですしね。フローラ姫はある意味、最後の切り札と言えるかしら」
でも、だからこそ。
自分に楯突く相手には容赦しないだろうと、セレナはこの上なく静かな口調で言い切った。
「体面もありますし、プライドもあるでしょう。彼は必ず、分家筋に報復しますよ」
カイヤ殿下や、レイテッドの人たちも話していた通り。
その舞台となる可能性が極めて高いのが、間もなくひらかれる「淑女の宴」なのだ。




