137 近衛騎士の受難
セレナは違わず、事情を知っていた。
王室図書館の2階にある小さな部屋。読書の合間に、集まってお茶をしたり、おしゃべりしたりするための談話室。
そこでお手製のお菓子とお茶を振る舞いながら、彼女は私たちの知りたいことに答えてくれた。
まずは、昨夜から今朝までの間に何があったのかということ。
クロムが伝えに来た通り、ヒルデ・ギベオンが「また」毒を飲んで倒れた。
彼女はずっと騎士団に拘束されている。当然、見張りもついていたのだが、さすがに24時間ずっと完璧な監視をされているわけじゃない。
見張りが目を離した、ほんのわずかなスキに、彼女は倒れていたらしい。
幸いにして一命は取り留めたそうだが、毒を飲んだのも2度目とあっては、彼女が自分でという可能性は低い。1度目の時に徹底して調べ直されているのだ。毒など持っていたはずがない。
「やはり、何者かが彼女の命を狙ったということか……?」
考え込むクリア姫に、セレナは楽しそうに相槌を打った。
「それがどうもはっきりしないんですよ」
彼女はいつも楽しそうにしている。たとえ物騒な話をする時でも、穏やかに、にこにこと。
ヒルデは「魔女の宴」で起きた事件の実行犯だ。
あの事件に黒幕が居るなら、その人物が誰なのかを知る重要参考人でもある。
騎士団としても、彼女に死なれては困る。当然、厳重に警備していたはずなのだ。
にも関わらず、2度も同じことが起きてしまった。
とにかくこのままでは、ヒルデの命が危ない。もっと安全な場所に移すべきじゃないかと。
カイヤ殿下は騎士団に要求した。それも騎士団のトップである騎士団長ラズワルドに直接、交渉したんだそうだ。
殿下はああいう人だから、純粋に善意で、人死にが出ることを避けようとしての行動だったんだと思うけど、騎士団長の立場にしてみれば、殿下は敵である。重要参考人の身柄を奪うつもりかと、要求を突っぱねた。
そこに出てきたのが宰相閣下だった。
重要参考人の命を、2度も危険にさらすという失態を演じたのは、他ならぬ騎士団ではないのか? と。
痛いところを突かれて、騎士団長は憤慨した。
そもそも事件の捜査は騎士団の領分だ。なぜ王族だの宰相だのが首を突っ込んでくる。……実はおまえたちが毒を盛ったんじゃないのか。
これは異なことを。
そんなマネをして、何の得があるというのか。
そちらに探られては痛い腹があるから、妙な勘ぐりをするのでは? 彼女の口から、不都合な真実がもれることを危惧しているのではないか? と、宰相閣下が言い返し。
ものすっごく険悪な空気になったらしい。
「それで、結局どうなったんですか……?」と私。
どうもこうもなりそうにないけどね、その様子じゃ。殿下も大変だ。
セレナはいっそう楽しげにほほえんだ。
「話し合いは夜明けまで続いたそうですよ」
うわあ。マジですか。
「結局、近衛騎士殿の身柄は、施療院に移されることに決まったようですけど」
「施療院に?」
と聞き返すクリア姫。その声には、なぜそうなるのか解せない、という響きが含まれていた。
施療院とは、先々代の国王陛下が設立した、貧しい人でも医療が受けられるというありがたい施設である。
事件の容疑者を留置する場所ではないはずだが……?
「ひとつには、今の院長がとても身分の高い女性で、なおかつ政治的には中立の立場をとっておられるからでしょうね」
セレナが言うには、その院長というのがすごい人で。
王族として生まれながらその地位を返上し、一看護師として民のために尽くしてきた、「王都の聖女」と呼ばれる人物なんだって。
ちなみに現在、80歳。
……誰だ、(元)聖女、とか聖なる老女、とか考えたのは。いくつになっても、聖女は聖女じゃないか。
「もうひとつの理由は、近衛騎士殿の容態が思わしくないからですね」
とセレナは続けた。
「容態が……?」
私とクリア姫にとっては、初めて聞く話だった。
実は、ヒルデ・ギベオンは事件以来ずっと体調が悪く、騎士団の取り調べも思うように進んでいないんだそうだ。
2度に渡る服毒のせいもあるが、それだけではない。
原因は「魔女の媚薬」だ。
麻薬の一種であり、南の国から闇商人が持ち込んでいるという噂の薬を、事件前、彼女はかなり過剰に摂取していたらしく。今は禁断症状のため、ろくに話すこともできなくなっているんだとか。
私は違和感を覚えていた。
事件の日、廊下でぶつかりそうになったヒルデは、理知的でかっこよかった。
体調が悪そうでもなかったし、まして危ない薬を大量に摂取しているようになんて全然見えなかったけど?
私の疑問に、セレナは静かにうなずいて見せた。
「それがあの薬の怖いところなんですよ。傍目には異常がわからない。けれど、ひとたび薬が切れると、恐ろしいほどの禁断症状に襲われてしまうの」
そのため、古くから忌まわしい使われ方をしてきたのだ、と彼女は言った。
まずは自分の利用したい相手に薬を盛る。
徐々に量を増やし、中毒にする。
頃合いを見て、薬の供給を断つ。禁断症状に陥った相手は、その苦しみから逃れるため、必死で薬を得ようとするだろう。あとは薬を与えてくれる人間の言うがまま、というわけだ。
しかも、禁断症状が出ていない時はごく普通に見えるため、周りの人間は異常に気づきにくい。
たとえば、敵対する人間の部下とか家族とかをこの方法で操って、ひそかに情報を流させることだってできる。手っ取り早く暗殺者に仕立て上げることすら可能かもしれない。
人知れず人を操り、傀儡にするために、「魔女の媚薬」は使われてきたのだ。
「惨い話だ」
クリア姫がぽつりと言った。12歳の少女には似つかわしくない、重く、苦い口調だった。
「ヒルデ殿もそうやって利用されたのか。エマ殿は彼女を手駒にするために薬を盛ったというのか……」
姫の言葉を聞きながら、私の胸にも苦いものが満ちてきた。
他人を駒にして、利用して。
何とも思わないんだろうか。偉い人たちにとっては、それが当たり前のことだとでも言うんだろうか。
ヒルデ・ギベオンはルチル姫の事件でも迷惑を被っているのだ。
母親のように慕う姉が、あの事件で深く傷つけられた。ヒルデ自身は、謹慎を余儀なくされた。
かと思えば、今度は別の相手に薬で操られて、暗殺未遂事件の実行犯にされて。その上、処罰でも受けることになったらひどすぎる。
他人事でもそう思うのだ。まして、自分の身内とかだったら――。
そこまで考えて、私の脳裏に父のことが浮かんだ。
貴族の密偵だったという父。仕事で「失敗」をして姿を消すしかなくなったんだと母は言っていたが、本当にそうなのか。そこに偉い人の都合や、思惑はなかったのだろうか――。
「エマ殿が直接、手をくだしたかどうかはわかりませんけどね」
セレナの声に意識を引き戻される。今は個人的なことより、事件のことだ。
「そういえば、ヒルデ・ギベオンと彼女の家族は観劇が趣味で、さる劇団に足繁く通っていた、という噂もありますけど」
ふと思い出したという風に彼女が口にした噂は、私とクリア姫にとっては、心当たりのあり過ぎるものだった。
「レイシャ殿が話していた。あの劇団も事件と関わりがあると……」
「あら、ご存知でしたか。情報がお早いですね」
ほほえむ彼女に、いや、それはあなたの方では、と心の中でツッコミを入れる私。
今日の彼女は膝が痛むとかで、夏だというのに厚手の膝掛けをしていた。最近はろくに外出もしていないんだって。
なのにどうして、あれこれ知っているんだろう。今更だけど、不思議な人である。
「とりあえず、昨夜の事件について、私が知っているのはこのくらいかしら」
セレナはよっこらしょと立ち上がった。
「すっかり冷めてしまいましたね。今、新しいお茶を――」
私は慌てて立ち上がった。膝が痛むという彼女に無理させられない。
「座っててください、私がやります」
「ありがとう、お願いしますね」
元通り席についたセレナは、
「他に、何か知りたいことはありますか」
とクリア姫を見た。
「…………」
黙り込むクリア姫。
知りたいことはある、だけど何か理由があってためらっている……という感じの沈黙だった。
「今更遠慮すんなよ、嬢ちゃん」
ずっと部屋の隅で丸まっていたダンビュラが顔を上げた。「ここまで来たんだ。知りたいことは全部聞いちまえよ」
わかっている、とクリア姫は答えた。
「間もなくひらかれる『淑女の宴』で、何が起きるのか――知りたい」




