135 深夜の知らせ
「……眠れん」
ベッドの上で、私はがばと身を起こした。
観劇に行った、その日の夜である。
レイテッドの人たちに会ったこと、馬車の中で殿下に聞いた話。
それらがぐるぐると頭の中を巡って、床についてからおそらく何時間もたっているはずなのに、眠れない。
殿下とクリア姫は、あの後もやっぱり微妙な空気のままだった。
バラの花が咲き誇る中央公園を散歩する時も、素敵なレストランでお食事する時も、あんまり楽しそうじゃなくて――。
「あー、うー」
私は意味もなく唸った。
偉い人たちのイザコザとか、報復合戦とか。
別に勝手にやってろって感じだし、そもそも一市民の私が案じたところで、どうなるものでもない。
そのイザコザが、私の身近な人を悩ませているという状況さえなければ。
……どうにかしてあげたい、なんて思うこともなかったのに。いや、だから思ったところで、どうにもならないんだって――。
だめだ。このままでは、明日の仕事に支障が出てしまう。
私はベッドから起き出した。
寝間着の上にカーディガンを1枚羽織って、部屋を出る。
足音を立てないように気をつけながら、玄関ホールまで歩き、外に出た。
初めてこのお屋敷に来た日、同じように目が冴えて眠れなかった私に、殿下が教えてくれた。
お屋敷の周りには、いつも何かしら花が咲いている。クリア姫も寝つけないことがあると、月明かりを浴びながら夜のお花見を楽しむのだと。
あの時は山桜が満開だった。
今は、花が終わってしまったルピナス、まだ咲きかけのラベンダー、つぼみさえついていないひまわり、と微妙な感じ。しかも雲が出ているようで、月も星も見えなかった。
それでも、夜風に吹かれていると、いくらかスッとした。煮詰まっていた頭が空っぽになる感じがした。
ガサ、ガサ。
不審な物音にハッとする。
――今のは? 風の音?
いや、違う……。
私は息をひそめ、暗闇に目をこらした。
誰か、居る。
足音を殺し、気配も殺し、お屋敷の周りをうろつく不審な人影が――。
すうっと息を吸い込み、大声を上げようとした時。
「ぐえっ」と悲鳴を上げて、人影が地面に転がった。
「このチンピラ、何してやがる! ついに本性現しやがったか、夜這い野郎!」
「ふざけんな、化け猫! 何が本性だ! いいから放せ! どきやがれ!」
何だか聞いたことのある言い争いが聞こえる。
とっさに駆け寄ってみると、そこには地面にうつ伏せに倒れた近衛騎士のクロムと、彼の背中に四つ足を踏ん張って取り押さえているダンビュラの姿があった。
「……何やってるんですか?」
2人は私のことなど見向きもしなかった。ただお互いに怒鳴り合い、罵り合うのでいそがしい。
「殿下に急ぎの知らせがあって来たんだよ、早くどけ! 人を不審者扱いしやがって、能なしの用心棒が!」
「夜中にこそこそしてたら、立派な不審者だろうが! 真っ当な用があるなら、普通に玄関から入ってきやがれ!」
「殿下ならまだ起きてるかと思って、明かりのついてる窓を探してたんだっての!」
確かに殿下は宵っ張りな方だ。別に夜更かしが好きなわけじゃなく、夜中まで忙しいからだけど。
「できるだけ殿下にだけ知らせろ、姫君には気づかれるなって命令だったんだ!」
などというセリフを大声で叫ぶものだから、その姫様も起きてきてしまった。
「どうしたのだ、2人とも。何があったのだ?」
「お2人とも、いいかげん落ち着いてください」
『…………』
ようやく我に返ったらしく、気まずい表情をうかべる1人と1匹。
「ダン、クロムを放してくれ」
「……おう」
命じられては仕方ないと、クロムを解放するダンビュラ。
クロムは即座に飛び起き、忌々しそうに自分の体を払った。
「ああ、くそ。獣くさくなっちまった」
ダンビュラはダンビュラで、
「気色の悪いものを踏んで、足が汚れちまった」
と毒づいている。
また言い争いが始まりそうになったところで、カイヤ殿下が姿を見せた。
「クロム? なぜここに?」
時間も時間だし、さすがに寝てたんだろう。黒髪に寝癖がついてる。
いつもの暑苦しい外套だけは、きっちり着込んでいたけど。もしかして寝間着の上に着てきたのかな、とどうでもいいことを考える私。
「この状況はどういうことだ?」
殿下に問われて、クロムが伝言を持ってきたこと、それをダンビュラが不審者と間違えて取り押さえたことを、それぞれ怒りと悪態を交えつつ、説明する2人。そしてまた険悪ににらみ合う。
「知らせとは何だ?」
クロムは答える代わりに殿下に歩み寄り、何事か耳打ちした。
「!」
殿下の瞳が見開かれる。
「何かあったんですか?」
私の問いに、殿下は答えなかった。
「すまん。戻ってから説明する」
それだけ言うと、クロムを連れて、すぐに出かけてしまった。「クリアのことを頼む」
「おう、いってらっしゃい」
緊張感なく送り出すダンビュラ。一方のクリア姫は――。
きっとまた心配そうに見てるんだろうな、という私の予想に反し、意外にも落ち着いていた。
兄の背中を見送るまなざしは、何だかちょっと静かすぎるくらい静かで。私はかえって胸騒ぎを覚えたのだった。




