130 鈴の音
その後はせっかくの劇にもイマイチ集中できなかった。
少しでも気を抜くと、目の前に怪しい黒衣の女性の姿が浮かんでくるのだ。
おかげで、手に汗握る巨人との戦いにも、魔女と戦士の永遠の別れにも感動することができず。
幕が下り、カーテンコールが鳴り響く中、1人だけ置いてけぼりをくったような気分でぼんやりしていた。
「すごいな、エル。すばらしかったな」
興奮で頬を紅潮させているクリア姫に相槌を求められても、「はあ……」と上の空な返事をしてしまう。
気もそぞろな私を、カイヤ殿下も変に思ったらしい。
「……疲れたのか? どこかで休んでいくか?」
クロサイト様やジェーンも私に注目している。
って、ぼけっとしてる場合じゃない。今はお仕事中だ。
「いえ、だいじょうぶです」
ぺちぺち。両手で頬を叩く。しゃんとしろ、と自分に気合いを入れる。
「ちょっと寝ぼけてただけです。別に何でもありませんから」
べしべし。さらに力を入れて自分の顔を叩く。ついでに両頬をつまんでぎゅうっと引っ張ってみる。
「本当に、だいじょうぶなのか……?」
そんな心配しなくても平気だってば。
「……あ、そうだ。余ったお菓子、持って帰ってもよろしいでしょうか?」
観劇前にお茶と一緒に出された、クッキーとかスコーンとか。かなり上等なお菓子で味もよかったし、このまま置いて帰るのはもったいない。
「構わないだろう」
と殿下が言うので、いそいそとハンカチに包む。
そんな私を見て、「よかった、いつものエルだな」とクリア姫も安心してくれたようだった。……いつもの私、とはいったい何だろうか。
などと思いながら、お菓子を包んでいた時だった。
にゅっとテーブルの上にのびてきた手が、私のハンカチの中からクッキーをかすめとろうとした。
「1枚、ちょうだい」
幼い子供の声。しかし、この声はクリア姫ではない――。
何気なくそちらを向いた私は、恐怖で硬直した。
そこには見知らぬ誰かの目があった。感情の読みにくい黒目がちの瞳が、縦にひらいた瞳孔が、わずか数㎝の距離から私を見つめている……。
唐突なホラー展開に、全身が総毛立つ。
「……っ!」
叫び声を上げるより早く。
「曲者っ!!」
一瞬で近づいてきたジェーンが武器を抜いた。
突風が、私の体をかすめて吹き抜けていく。ゴッ、と鈍い音を立てて、刃が床にめり込む。
すさまじい威力を帯びた一撃だった。
しかし、ほんの一瞬前までそこに居たはずの人影は、気がついた時には数メートル後方まで飛び下がっていた。
私はあっけにとられた。
「メイドさん?」
白いメイド帽、ひらひらフリルのついたエプロン、ミニスカートにしましまのニーハイソックス、そして小柄で敏捷そうな体。
黒目がちの瞳の正体は、黒髪をショートカットにしたメイドさんだった。
……いや、正確にはメイドのコスプレをした少女、と呼ぶべきか。
フィクションの世界ならいざ知らず、ミニスカとニーハイのメイドなんて普通は居ない。
「ケガはありませんか」
私の様子を横目で確認しつつ、怪しいメイドさんに向かって剣を構えるジェーン。
いや、ケガはないけど……。
「許可なく武器を抜くなと言ったはずだ」
クロサイト様が冷静に突っ込む。うん。正直、そっちの方がびっくりした。
しかしジェーンは鋭いまなざしをメイドさんに向けたまま、
「この曲者、ただのメイドではありません。先日、宰相閣下のお屋敷に現れ、物陰から矢を射かけてきた者です」
「何だと?」
そのセリフには、カイヤ殿下も黙っていられなかったらしい。
物陰から矢を射かけた……って。
あれか。お城で「魔女の宴」があった日のことか。
カイヤ殿下と護衛のジェーンが叔母上様を迎えに行って。夜会に向かおうとした時、何者かに矢で狙われて。
ジェーンが叔母上様を突き飛ばし、叔母上様が腰を痛めてしまった。
「だが、曲者の顔は見なかったのだろう? そう報告を受けているが……」
殿下の言うように犯人は捕まらなかったので、その目的も正体もわかっていなかったはずだ。
しかしジェーンは、わずかな迷いも見せずに断言した。
「気配でわかります」
「………。そうか」
殿下は何か言いたげな沈黙を挟んで、怪しいメイドさんの方へと視線を移動させた。
「部下はこう言っているが、本当か? ミケ」
ミケ? って猫みたいな名前……。
じゃなくて、え? ……知り合い?
ミケと呼ばれたメイドは答えなかった。ちらっと殿下の方を見ただけで、知らん顔をして手の甲を舐めている。
仕草まで猫みたいだ。この人、いったい何者?
「エル・ジェイド。その包みを取ってくれ」
「え?」
「菓子の包みだ」
殿下はそう言って片手を差し出してくる。
こんな時にお菓子? と困惑しながら包みを手渡すと、殿下はクッキーを1枚取り出し、メイドさんの鼻先にちらつかせた。
「これをやる。質問に答えろ、ミケ」
んな、小さな子供じゃあるまいし、と思ったら、ミケと呼ばれたメイドは「わーい、クッキーだー」と嬉しそうにぱくついた。
もぐもぐ咀嚼しながら、
「そうだよ。そこのノロマと追いかけっこして遊んだ」
指差されたジェーンは、当然のように剣を振りかぶる。
「いいかげんにしろ。殿下のお話の邪魔だ」
殺気立つ彼女を、クロサイト様が止める。
「申し訳ありません、隊長」
と口では謝りながら、ジェーンの視線はメイドさんから離れない。剣の切っ先も、相手の方を向いたまま。
騒がしい外野をよそに、殿下は怪しいメイドさんとの会話を続けている。
「なぜ、叔父上の屋敷に矢を射るような真似をした?」
「クッキーもう1まーい」
殿下が手渡そうとすると、メイドさんは直接その手に食いついた。およそ上品とは言えない仕草に、不思議と愛嬌がある。
満足そうに咀嚼してから、
「矢じゃないよ。矢文だもん」
「……矢文?」
「カイヤに教えてあげようと思っただけだよ。ウタゲで悪いことが起きるから行かない方がいいよ、って」
第二王子殿下のことを呼び捨てた。呼ばれた方は別に気にもせず、「文など見当たらなかったが……」
「うん。つけ忘れちゃったの」
って、阿呆かい。
「文がついていない矢文は、ただの矢だな」
殿下はあきれたように嘆息して、「つまり、叔母上を狙ったわけではなかったということか?」
「狙わないよお。ちゃんと人に当たらないようにした」
「……そうか」
一応は納得したようにつぶやきつつ、殿下は微妙な表情を浮かべている。
いくら「狙ってない」って言われても、身内がケガをしているのだ。内心は複雑だろうね。
メイドさんの方は悪びれることもなくマイペースで、
「それでね。もう1回、射ようとしたら、そこのノロマに邪魔された」
再びジェーンを指差す。暴れ出しそうなジェーンを取り押さえるクロサイト様。
殿下は餌付けするように3枚目のクッキーを取り出し、
「宴で悪いことが起きると、なぜ知っていた。おまえの飼い主に聞いたか?」
そこは雇い主と言うべきじゃないのかな。
メイドさんは気分を害した様子もなく、三度クッキーに食いつこうとしてひょいとかわされている。
「質問に答えろ、ミケ」
「うん、そうだよ。ケイン様に――」
その時、貴賓席に響いた鈴の音が、2人のやり取りを断ち切った。




