126 真夜中の台所
――気にするなと言われたって、あんな言い方をされたら嫌でも気になるのである。
結局のところ、エンジェラは何が言いたかったんだろう。
私が妙な野心を持っていないかどうか、確かめようとしたのか。
それとも、私の気持ちなんてハナからどうでもよくて、ただ釘を刺すことが目的だったのか。
何を考えているのか真意が読めなくて、そういうところも彼女は父親似だ。
机に向かったまま、いらだち混じりのため息を繰り返していると、コンコンと扉がノックされた。
「はい」
「俺だ。まだ起きていたか」
この声は、カイヤ殿下。急用で出かけたって聞いたけど、帰ってきたんだ。
私は椅子から腰を上げ、扉に近づいた。
「何か御用でしょうか?」
扉越しに尋ねると、
「少し話したい。リビングまで来られるか?」
まだ着替えてもいなかったし、別に構わない――と、いつもなら答えるところであるが、
「……今からですか?」
叔母上様に妙な誤解をされてしまったことや、その後エンジェラに言われた言葉が、私の胸にトゲのようにひっかかっていた。そのせいで、ややつっけんどんな物言いになってしまったようだ。
私の返事に、殿下は一瞬沈黙し。
「……すまん。非常識な時間だったな」と謝ってきた。
そういう配慮が、全くできないわけではないんだよな、この人。常識が足りないのは、王族という特殊な生まれのせいなのかもしれないし……。
「話は明日にしよう」
素直に引き下がられて、私はちょっと後悔した。
叔母上様やエンジェラが私のことをどう思っていようと、別にどうとも思っていなかったとしても。
殿下自身には関係ないよね。
よく考えたら、前にもこのくらいの時間に会って話したことあるし。
急に文句を言ったら、殿下も戸惑うかもしれない。
後悔し、ついでに反省もした私は、「ちょっと待ってください」とドアを開け、呼び止めた。「話って何ですか?」
殿下は不思議そうに私の顔を振り返る。気まずさで目をそらしつつ、「やっぱり気になるので……。今、お伺いしてもいいですか?」
今更なんだとあきれるでも怒るでもなく、「おまえがそれで構わないのなら」と殿下は言った。
さらに気まずくなった私は、
「あの。……よろしかったら、お夜食でも作りましょうか」
と申し出た。
急いで出かけたって言うし、また夕食を抜いたんじゃないかな、という推測は当たりだったようだ。
「本当か? 助かる」
殿下の顔が輝いた。
そんなわけで、リビングに移動。
お鍋に湯をわかし、乾燥キノコでダシをとり、残りご飯と卵を入れて手早く雑炊を作る。
小腹がすいていたので、私もご相伴に預かることにした。
「あつっ……」
キノコのいい香り。ふわふわ卵が目にもおいしい。
殿下は「うまいな」と感極まったようにつぶやいている。
「こういう物が空腹の時に出てくるのはありがたい……。疲れた胃にしみる……」
なんか、年に似合わない感想を口にしている。
この人、いそがしいと食事を抜くことがあるんだよね。はっきり言って、良くない癖だと思う。
「おかわり、ありますけど」
「頼む」
雑炊をよそってあげながら、
「そういえば、急用って何だったんですか?」
何気ない口調で尋ねると、殿下も何気ない口調で返した。
「騎士団に拘束されていたヒルデ・ギベオンが毒を飲んだ」
「…………」
「幸い、大事には到らなかったが」
うっかり雑炊をこぼすところだった。そういう衝撃的な話をするなら、できれば事前に警告してほしい。
「問題は、毒の入手経路だ」
と殿下は言った。
事件を起こして逮捕されたわけだから、当然、身体検査くらい受けている。
彼女が自分で毒など持ち込めたはずがない。そもそも、自分で飲んだのかどうかも怪しい。
「それは、いわゆる……口封じ、的な……」
こんな言葉を、まさか使う日が来るとは思わなかった。
ミステリー小説の話をしているわけじゃない。ヒルデ・ギベオンは現実に存在する、一応は会って話したこともある相手だ。
「わからん」
殿下は重いため息をついた。
「仮にそうだとしたら、ヒルデに毒を飲ませた下手人は、『魔女の宴』で起きた事件の真相を闇に葬りたい人間、ということになる。実行犯を始末し、責任の所在をうやむやにしたい人間、ということに」
「事件の真相って……?」
何か、わかったのだろうか。
雑炊のおかわりを手渡しながら尋ねると、殿下は器を受け取り、目にも止まらぬ速さで中身をたいらげてしまった。
「本当に、うまいな」
おほめいただき、光栄です。それより、話の続きを早く。
視線で催促されて、再び口をひらくカイヤ殿下。
「あの事件の真相――というかヒルデに命じた人間の正体及び目的については、およそ判明した」
「ええっ」
「しっ、静かに。クリアが起きる」
「あ、すみません……」
慌てて謝ったけど、驚くのも無理ないんじゃないかと思う。
だって、ヒルデは黙秘してるとか、まだ何もわかってないとかクロムは言ってたのに。
「実は宰相閣下が黒幕だった、とか?」
それなら、スピード解決するのもわかるけど。
「ありえなくもない読みだが、今回は違う」
「……じゃあ、騎士団長とか?」
「なぜ、そう思う」
「や、別に……。根拠はないですけど……」
宰相閣下じゃないなら、その敵の騎士団長かなって、なんとなく思っただけ。
ヒルデに剣を向けられたのはアクア・リマで、騎士団長はその養父だからありえない――とも、言い切れない気がする。
一見怪しくない人が真犯人、っていうのはミステリーの定番だし。
そもそも、両者の仲は良好なのだろうか。元・酒場の歌姫と、超がつく名家のご当主様が。
殿下は感心したようにうなずいて、「なかなか鋭いな」
「え。本当にそうなんですか?」
「事実はともかく、噂がある」
騎士団長ラズワルドが、邪魔になったアクアを始末しようとして事件を起こした、という噂が。
「おまえの言う通りだ。もともとあの2人の仲は良好とは言えなかった」
ラズワルドは「貴族」としてのプライドが極端に高いタイプで、アクアとの縁組みも、養子を迎えるというよりは、主従関係を結ぶのに近い感覚だったらしい。
五大家のラズワルドと、庶民の女性。本来なら、その立場は天と地ほども違う。違って当然だとラズワルドは考えた。
だが、彼にとっては残念なことに、アクア・リマは貴族ならおとなしく従うってタイプじゃなかった。
むしろ相手が誰でも利用して成り上がろうっていうくらい、野心の強い女性だったのだ。
ラズワルドにしてみれば、恩知らずな上、身の程知らずな女。
内心、苦々しく思っていたところに、ルチル姫の事件が起きた。
ワガママ王女の恥ずべき行いは、義理とはいえ身内であるラズワルドの顔にも、盛大に泥を塗りたくった。
怒り心頭のラズワルドは、母子に制裁を加えるべく行動を起こした――。
「と、いうのが仮に真実だったのなら、わざわざ宴の場を選んで事を起こしたりはしないだろうがな」
軽く肩をすくめて見せるカイヤ殿下。
そうだよね。王国にとっては重要な公的行事で、名家の女性ばかりが集まる宴なのだ。そんな場所で事件を起こしたりしたら、恥の上塗りだよね。早い話が、内輪揉めなんだし。
「つまり噂は間違いで、犯人は騎士団長じゃない、ってことですよね?」
「……わからない」
「わからない?」
さっき、犯人は判明したって言ってなかった?
「ヒルデに誰が命じたのかは判明した。だが、その人間を動かしたのが誰かがわからない」
命じた人間を動かしたのが誰かって。
つまり、黒幕のさらに黒幕が居る? 何だかややこしいな。
「いずれ話す。今はもう少し待ってくれ」
「はあ、わかりました」
待つのは構わない。というか、本来なら、メイドの私に事件の真相なんて教えてもらえないはずだよね。私がそれを知ることができるのは、単に雇い主が変わり者だからだ。
「もう一杯おかわりをもらえるか」
「あ、はい」
差し出しされた器に雑炊をよそって手渡すと、殿下はまたあっという間にたいらげてしまった。
「やはり、うまい。絶品だ」
そんなに何度もほめてくれなくていい。
「殿下が置いていってくださったお夕食もおいしかったですよ。今度レシピをいただけますか?」
王族が作ったとは信じられないような、「おふくろの味」って感じの素朴な煮込み料理だった。多分、例の離宮のメイドたちに習ったものなんじゃないかな。
「構わんが、それこそほめるほどのものではなかっただろう」
「そんなことないですよ。クリア姫もおいしいって喜ばれてましたし」
殿下の表情が固まった。
「どうかしました?」
私が首をひねると、殿下は微妙に視線をそらし、
「……クリアは、怒っていなかったか」
「怒る?」
「……また約束を守らなかった」
今日は1日、一緒に過ごすはずだったのに、急用で出かけてしまったから。
「あー、それですか……」
クリア姫はきっと、すごくがっかりしたはずである。兄殿下とゆっくり過ごせるのを、何日も前から楽しみにしていたのだから。
でも、そこが姫様らしいところと言うべきか。
傍目にはいつも通り振る舞っていた。
クリア姫は大人だから、拗ねたり怒ったり、不満を態度に出すってことをしないんだよね。
聞き分けがよくて、良い子で……。見ていて心配になる。
「何か、埋め合わせをしたらどうでしょうか」
仮に殿下が謝罪したとしても、気にしなくていい、自分のことは構わないでと、かえって無理をしてしまうのがクリア姫だ。
それよりも、今日の埋め合わせになるような、彼女が喜ぶことを一緒にしてあげた方が。
「パイラさんに聞いたんですけど、たまに買い物とか遠乗りとか連れていってあげてたんですよね?」
そういう時はすごく嬉しそうにしていたと聞いた気がする。
私の言葉に、殿下は少し考えて、
「外出か。確かに、しばらくしていなかったな」
「連れていってあげてください、是非」
「……わかった。近いうちに、考えておく」
殿下がうなずいてくれたので、私はホッとした。……結果的に、それが仇になるとは露ほども思わずに。




