124 貴人の訪問4
何を言われたのか、理解できなかった。
これは、アレか。貴族の女性特有のジョークなのか。
だったら笑わなきゃ悪いと思い、私は「あはは……」と乾いた声を上げた。
「あら、笑うところ?」
叔母上様が眉をひそめる。
子供みたいにくるくる表情が変わる人だ。顔立ちは似ていても、そういうところはカイヤ殿下と違う。
「ちょっと母さん、暴走しないの」
エンジェラが母親をたしなめる。
「あら、だって」
叔母上様は拗ねたように唇を尖らせて、
「いつも言ってるでしょう? 私はね、あの子に恋の喜びってものを知ってほしいの。そして、理想の伴侶と暮らす幸福ってものを――私があの人と出会ったように――」
うっとりと宙を見上げてほほえむ叔母上様。そんな彼女を、クリア姫が少し心配そうに見つめている。
「気にしないでね」
エンジェラが私にささやきかける。「深い意味はないの。ただ、ちょっと変なだけ」
「エル、このパンケーキ、おいしいのだ」
空気を変えようと思ったのだろう。クリア姫が私に言う。
「あ、そうですね。せっかくなので、いただきま――」
フォークを持ち上げようとのばした手を、矢のようにすばやく、叔母上様の手が握りしめる。
「ひえっ!?」
思わず身をすくめる私を、叔母上様はひたと見つめて。
「あなた、うちのカイヤのこと、嫌い? 好き?」
「はああ!?」
「自慢じゃないけど、いい子なのよ? とっっっても優しくて、思いやりがあるの。次男だから国を継ぐ必要もないし、誠実で嘘はつかない、女遊びだって絶対しないわ。うちの旦那様ほどイケメンではないけど、顔だってそう悪くないでしょ?」
「いや、あの……」
私はあっけにとられて、叔母上様の顔を見返した。
冗談――だったらいいと思うのだが、その目は恐ろしいほど真剣だ。
「本当に、気にしないで」
エンジェラが疲れた声で言った。
「その人、5人きょうだいの末っ子でね。年頃になるまで、家族以外の男の人とは話したこともない、いわゆる箱入り娘だったの。おかげで恋愛観とか、美的感覚とか、変なの。ズレてるのよね」
失礼ね、と叔母上様がつぶやく。私の手を握りしめたまま、顔だけ娘の方に向けて、
「お母様は箱入りなんかじゃありません。少なくとも恋の喜びについては、あなたよりずっとよく知っていますよ」
「あー、はいはい」と投げやりに手を振る娘。
叔母上様はまた私の方に視線を戻し、
「ね、どうかしら。ちょっと考えてみてくれない?」
「……や、待ってください」
「どうして? 嫌なの? もしかして、自分がメイドだからとか気にしてるのかしら。そんなこと全然だいじょうぶよ! 身分違いの恋って、むしろ定番じゃない?」
素敵だわ、と続ける叔母上様。そんな、物語の話を今されても困る。
叔母上様はちょっと意味深に笑って、「それにね」と付け加えた。「あの子、昔から、メイドさんが大好きだから!」
はい?
「……母さん、その言い方。カイヤが誤解される」
エンジェラがちょんちょん、と母親の肩をつつき、
「違うから、引かないでね。メイド萌えとか、そういうんじゃないから」
正直どん引いていた私だったが、その言葉でひとまず話を聞く体勢に戻った。
クリア姫も、自分の兄に妙な性癖があると誤解されたくなかったのだろう。早口で説明する。
「兄様は昔、母様の離宮に居た時、メイドたちにとても世話になったのだ」
「離宮のメイドって……」
確か、隣村の主婦がほとんどだったとかいう?
「……そうだ。兄様に聞いたのか?」
「ええ、まあ」
聞いたのはカイヤ殿下じゃなくて、ハウライト殿下からですが。
「カイヤ兄様は、それに私もだが、彼女たちからたくさんのことを学んだ。料理や家事、さまざまな生活の知恵……」
それって、王族が学ぶべき知識なのかな。
「メイド長には勉強も教わった。彼女はとても物知りで、教えるのも上手だった」
そのメイド長だけは隣村の主婦ではなく、王妃様が王城に居た頃から仕えていた人らしい。
貴族生まれで、王立大学に通っていたこともある才媛で、少年時代のカイヤ殿下にとっては、尊敬すべき師のような存在だった。
そうした経験から、メイドや家政婦イコール尊敬の対象、といった図式が殿下の中にはあるのだと。
言われてみれば、まあ。出会った時から、殿下はわりと丁重に接してくれたと思う。
言葉遣いや態度はナチュラルに尊大だが、それは王族なら当たり前のこと。少なくとも、メイドごときと軽んじるような態度をとられたことは1度もない。
「そのメイド長っていうのが、カイヤの初恋の君なのよ」
にこにこ笑顔で叔母上様の発した一言に、私はせき込んだ。
「初恋っていうか、憧れみたいなものでしょ」
エンジェラが冷静に突っ込む。
「その人、母さんと大して変わらない年だっていうじゃない。カイヤはほんの子供の頃よ?」
母親の方は全くめげることなく、
「そんなの、どうだっていいじゃない。とにかく、これでわかってくれたでしょう?」
と、キラキラした目で私の顔をのぞき込む。
あいにく、何をわかればいいのか、それすらもわからない。
困った。
なんで私ごときにこんな話をするのか知らないが、叔母上様は冗談のつもりではないようだ。
私の方から「その気はない」とか、まして「殿下は好みのタイプじゃない」なんて言うわけにはいかない。メイドの分際で、何様だって思われるだろう。
「もったいないお話ですけど、私ごときではとてもつり合いませんので……」
できるだけ無難なセリフでお断りすると、叔母上様は勢いよく首を横に振った。
「そんなことないわ。あの子、あなたのことほめてたもの」
「……殿下が?」
「ええ。よく気がつくし、仕事も早くて、料理が上手だとか」
「…………」
「あとは本が好きで、クリアちゃんとも気が合ってるみたいだとか。あの子、シスコンだものね。妹と仲がいい、っていうのは重要なポイントよね!」
私は無言でこめかみをもみほぐした。
それは女としての評価ではない。妹のメイドに対しての評価だろう。
「第一あなた、カイヤが自分で連れてきた人なんでしょう?」
それ、さっきも言ってたよね。単に職安で偶然会った、ってだけの意味なんだけどな。
「街中で男性が女性に声をかけることを、確か『ナンパ』っていうのよね?」
「違います」
さすがに、これ以上は黙っていられない。
叔母上様の誤解を解くため、私は殿下との出会いを一から説明するハメになった。




