123 貴人の訪問3
「それじゃエンジェラ様って、プロの演奏家なんですか?」
驚く私に、当のエンジェラ嬢はティーカップを傾けながら悠然とうなずいて見せた。
「王立大劇場は知ってる? あそこのホールで、たまに演奏会なんかもしてるのよ。……まあ、本当にたまにだし、稼ぎはそれほどでもないから、酒場でバイトとかもしてるんだけどね」
そう言って、ちらっと舌を出す。
「ははあ……」
貴族のご令嬢が、酒場でバイト。普通はあきれるところなのかもしれないが、
「何て言うか、たくましいですね。さっきの演奏もすごかったし……」
あれだけの腕前を身につけるのは、一朝一夕の努力では成しえないはずだ。プロの演奏家って、1日に5時間も6時間も、場合によってはもっと長い時間練習するって聞くし。
尊敬に目を輝かせる私に、いやいや、とエンジェラ嬢は手を振って。
「確かに努力はしたけど、そこまでほめられたものじゃないのよ。……もともとの動機がね。かっこ悪いの」
リビングの奥、台所の方を目で指して、
「母親がほら、あれでしょ?」
そこに居るのは、彼女の母親、殿下とクリア姫の叔母上様。
彼女はドレスの上から三角巾とエプロンを身につけ、鼻歌交じりにフライパンを振っている。お手製のおやつを作ってくれるんだそうだ。
確か、腰を痛めたって話だったけど、見た感じは元気そう。
クリア姫もおそろいのエプロンと三角巾を身につけ、おやつ作りを手伝っている。
王族2人が台所に立ち、メイドがテーブルについてお茶を傾ける、という図式。よくよく考えれば異常であるが、
「あれって?」
私はエンジェラ嬢の話に引き込まれていた。
「つまり、あの顔でしょ? ちょっとくらい似ててもよさそうなものなのに、全然だから。小さい頃から、けっこうコンプレックスだったのよ」
貴族には貴族の付き合いがある。
年頃になるまで表に出ない、いわゆる箱入りの令嬢というのも居るらしいが、エンジェラの場合は違った。
母親の社交的な性格や、父親の仕事の関係もあって、幼い頃から人前に出る機会も多く。そのたびに母親と容姿を比べられ、エンジェラいわく、「露骨にがっかりされた」。
お年頃になると、その相手は自然と年の近い、貴族の男性たちに変わり。
「やっぱりね。人並みに、切ないロマンスとか。憧れたりもしたの」
だから彼女も努力した。
身だしなみに気をつけるのは当然、食べるものから日々の生活習慣まで気を遣い、容姿を磨いた。が。
それでも母親の美貌と比べると、否応なしにかすんでしまう。
「だからね、考えたのよ」
何かひとつ、母親に負けない「美しいもの」を身につければ、生まれ持った容姿の差を越えられるんじゃないか、と。
エンジェラが選んだのは音楽だった。楽器の演奏は、貴族のたしなみのひとつ。彼女も10歳の頃からヴァイオリンを習っていた。それを本格的に始めたのだ。
朝も昼も夜も努力し。
音楽の喜びと苦しみを知り、挫折の痛みを味わい、乗り越え、ついには隣国の音楽コンクールで優秀な成績を収めるまでになる。
ヴァイオリンを奏でる彼女の姿は、さっき私も見た通り、それは美しい。
そんなエンジェラに、想いを寄せる男性も現れた――。
「けど、結婚はしなかったの」
音楽の道に打ち込むうち、当初の目的はどうでもよくなってしまったのだそうだ。
恋に憧れたのは、年頃の少女のはしかのようなもので。
結局のところ、結婚自体にそれほど興味はない、と気づいたのだという。
「まだ先の話になると思うけどね。やってみたいことがあるの」
それは、王都に音楽専門の学校を作ること。
「今は音楽なんて、暮らしに余裕のある貴族の遊びでしょ。生まれに関係なく、才能のある子供が集まって学ぶことができる、そういう場所を作りたいの」
目下、そのための資金集めに奔走しているのだそうだ。
「宰相閣下はご存知なんですか?」
知っているなら、果たして賛成しているのか、反対しているのか。
もしも賛成して応援してくれているなら、学校作りの資金も出してくれるのでは?
「そりゃ、ね。現実的に考えたら、親父に金を出させるのが1番手っ取り早いけど」
軽く肩などすくめて、宰相閣下を親父呼ばわりするエンジェラ嬢。どこから見ても貴族の令嬢っぽくない。
「あの人、敵が多いでしょ。この先、失脚するかもしれないし」
軽い口調で、シビアなことを言う。
「そうなった時、あの人の建てた学校が無事ですむかどうかね。わからないから」
大勢の若者の未来を預かることになる学校だ。できるだけ危ない橋を渡りたくない、とエンジェラは言った。
「ハウルが王様になって、王立の音楽学校でも建てて、ついでに私を校長にしてくれたら言うことなしだけどね。それだって、今はどうなるかわからないし」
まずは地道にこつこつ貯蓄していく。
無論、それだけでは何年かかっても無理だろうから、貴族のサロンにも積極的に足を運んでいる。彼女の演奏で有閑マダムたちを魅了し、あわよくばパトロンになってもらうために。
「貴族の奥様たちの世界も、政治の世界とはまた違う力関係があってね。馬鹿にできないのよ」
「ははあ……」
私はまた感心した。
音楽の学校なんて、それこそ金持ちの遊びだ、道楽だって言う人も居るかもしれない。
でも、結果的に大勢の子供が学べる場所ができるならいいんじゃないかな。作ったのが誰でも、道楽でも。
「エンジェラ姉様、お待たせ致しました」
クリア姫が台所から戻ってきた。
エプロンと三角巾を身につけ、給仕よろしくお皿を差し出す姿は、とても可愛らしい。
お皿の上には色よく焼けたパンケーキ。ベリーを煮つめたジャムと、クリームが添えられている。
「さあさ、みんなで食べましょうか」
叔母上様もやってきた。
すっかり話に夢中になっていた私は、恐縮しながら立ち上がった。
「申し訳ございません、すぐに新しいお茶を――」
そんなことはいいのよ、と叔母上様。
「お茶は私が淹れてきたから、あなたは座って」
立ち上がりかけた私の肩に手を添え、椅子に押し戻す。
か細い見た目のわりに力が強い。私は肩を縮めて、「申し訳ありません……」と繰り返した。
「本当に、気にすることないと思うけど」
エンジェラが言った。
「あのカイヤに雇われてここに居るんでしょ? 王族なんて、聞くほど偉そうでもない、って思わなかった?」
確かにそうだが、それに順応しすぎるのも不安である。何より、18年間積み上げてきた自分の常識が失われてしまいそうで、それが怖い。
「本当に、硬くならなくていいのよ」
私の隣の席につきながら、叔母上様が笑いかけてくる。くらくらするような美しい笑顔で、間近で見ると、つくづくカイヤ殿下に似ていた。叔母というより、母親みたいだ。
「私、あなたとお話ししてみたいって前から思っていたの」
へ? 自分と? 殿下の叔母上様が?
そりゃまたなんで、と思ったら。
「だってあなた、カイヤが自分で探して連れてきたメイドさんなんでしょう? これってチャンスだと思って」
何のチャンスですかと尋ねる暇もなく。叔母上様は、まるで恋する乙女のように瞳をきらめかせて、とんでもないセリフを口にした。
「ねえ、あなた。うちの子のお嫁さんになるつもり、ない?」




