116 新米メイド、街に出る2
次の目的地は、警官隊の詰め所だ。
数人の警官が常時詰めており、街で起きるさまざまなトラブルに対応している。
遺失物処理や道案内、ひったくりやケンカの仲裁、果ては貴族と商人の揉め事の後始末まで。
大抵が人通りの多い道にある、四角い平屋根の建物だ。
「おう、どうした。久しぶりだな」
私が入り口から顔をのぞかせると、中で書類を書いていた警官が顔を上げ、野盗のようなコワモテに愛想のいい笑みを浮かべて見せた。
私がかつてここを訪れたのは、まだ王都に来たばかりの頃。
道に迷ったからでも、落とし物をしたからでもなく、使用人として雇われた貴族のお屋敷で、盗みの疑いをかけられたせいだった。
その時、親身に対応してくれた警官が彼だ。名をカメオという。
年頃は40代半ば、腹回りが窮屈そうな体型、眼光鋭く、頬には刀傷がある。
率直に言って悪人面だが、中身はいい人だ。カルサとかニックとか、問題の多い部下に振り回されている苦労人でもある。
そのカルサとニックの近況について聞いてみると、カメオはもともと怖い顔をしかめて、「さあな」と吐き捨てた。
ユナが言っていた通り、警官隊を追い出されたまま、しばらく音沙汰がないらしい。
放っておいてもだいじょうぶなのかと聞いても、
「あいつらは、1度懲りた方がいい」
と鼻息荒く断言する。
2人の上司に当たる彼は、警官隊の創始者ジャスパー・リウスに監督不行届を責められていた。
同じく巻き添えで説教をくらった私も、深く共感するところだけど。
あいつらが、果たして追い出されたくらいで懲りるのか。……という点については、今は口にしないでおこう。
「こりゃうまそうな菓子だな。あんたが作ったのか?」
おみやげのお菓子はとても喜んでもらえた。彼も彼の家族も、甘い物が好きなんだって。
「にしても、わざわざあいさつに来るとは義理堅いことだな。あんなろくでもない目に合ったんだ。普通は早く忘れたいだろうに」
確かにろくでもない目にあったが、それとこれとは別である。
私の実家は客商売だ。「あいさつ」と「義理」を軽んじてはいけないと、幼い頃から祖父に叩き込まれている。
「むしろ、ごあいさつが遅れてすみませんでした。本当はもっと早くに来たかったんですけど……」
「まあ、城で働いてりゃ、そう簡単に町には出られんだろう」
カメオは納得したようにうなずいてから、仕事はどうだ、と聞いてきた。
「カイヤ殿下に雇われたんだろう。うまくいってるのか?」
はい、うまくいってます、何も心配ありませんと答えるには、いささかためらいがあった。
働き始めてわずか1ヶ月あまり。その間、ルチル姫の事件やら、夜会での事件やら、色々あり過ぎた。
でも、殿下には良くしてもらってるし、クリア姫は可愛い。好きな家事をして、お給料がもらえて、お屋敷での暮らしはとても快適だ。
だから自然に笑って、「だいじょうぶです」と言えた。「お城の留置所は、ここより立派でしたし……」
「……何があったんだ、おい」
「些細なトラブルです」
「…………」
カメオは何だか難しい顔をして、ひげで覆われたあごの辺りをぽりぽりかいた。
「カイヤ殿下は、アレだな。間違いなく善人だとは思うが、ちと変わり者なのが珠にキズだな。ごく普通の人間のはずでも、あの人と関わると、いつのまにか常識をなくしちまう」
ちろり、と私の顔を伺って、
「あんたは普通の娘に見えたがなあ……」
自分でも普通だと思っている。また、「常識」をなくしたいとは思わない。
「ああ、いや。そうとも限らんか」
ここの留置所に無実の罪で入れられた時、私が怒って大暴れしていた――という話を持ち出されて、素知らぬ顔を取り繕う。
「普通はな。あんな状況に陥ったら、顔色を失くして言葉も出ないもんだ。その点、あんたは肝がすわってた。ひょっとしたら、カタギの娘じゃないのかもしれんと思ったよ」
正真正銘、カタギの娘である。ただし、片親はカタギじゃなかったらしい。
ふと、父のことを相談してみようかと思った。カメオなら信用できるし、親身になってくれるかも……。
そう思ったけど、今はやめておこう。
ちょうど道に迷ったらしい旅行客が詰め所に入ってきたので、ここらでお暇することにする。
カメオは「いつでも来いよ」と見送ってくれた。
詰め所を出たところで、私はまたジェーンらしき人を見かけた。
通りを挟んだ向こう側で、何をするでもなく立っている。
今度は確かに目が合った。けれども、ジェーンは無反応だった。表情を動かすこともなく、すぐに背中を向けて立ち去ってしまう。
他人の空似、ってことはないと思う。もしかして、私のことを覚えていない?
気にはなったが、既に立ち去ってしまった人間に聞いてみることもできないし。
若干後ろ髪を引かれつつ、次の目的地へ――。




