113 幼なじみ
ようやく庭園に戻ってこられたのは、真夜中も過ぎた頃。
遠目に見るクリア姫のお屋敷には、こんな時間でも明かりが灯っていた。
――ああ、姫様。待ってくれてるんだ。
それを見た瞬間、心が温かくなって、私は自然と足を速めていた。
距離が近づくと、玄関先に誰かが立っているのがわかった。
クリア姫ではない。護衛のユナ・リウスだ。こちらに気づいて、手を振っている。
「おかえり、エルさん。無事で良かった。カイヤも、久しぶりー」
人なつっこい笑みを浮かべて、幼なじみのもとに歩み寄るユナ。
この展開はハグする流れか、と思ったら予想通りだった。
ぎゅっと抱きしめられて、「数時間前に会ったばかりだろう」と指摘しながら、ユナの手から逃れようとするカイヤ殿下。
私は「おや?」と思った。
なんか、動揺してる? 視線も泳いで、照れくさそうだし。
ユナはツッコミにもめげず、今度は後ろから殿下の首に腕を回し、もう片方の手でわしわしと黒髪をかき回した。
「……仲がいいんですね」
「まあねー。昔から、顔見るといじりたくなって」
ユナは悪びれずに答えているけど、幼なじみにしても、ちょっと度を越してない?
もう少しくわしく2人の関係性について知りたいと思った時、背後に気配が生まれた。
クリア姫が、騒ぎに気づいてお屋敷から出てきたのだ。
幼い姫君は、形容しがたい、何とも複雑な表情を浮かべていた。
突然の事件に対する動揺。兄が来てくれたという安堵。罪人の疑いをかけられ、連行されたメイドへの気遣い。その無事を喜ぶ顔。そして、兄殿下が幼なじみに抱きしめられているという状況に戸惑う顔。
しばしフリーズした後、クリア姫が選択した表情は――私への気遣いだった。
「エル、無事に帰ってこられたのだな」
だいじょうぶか、ケガはないかと心配されて、私はまた気持ちが温かくなった。
「だいじょうぶですよ。何もない部屋にしばらく居ただけで、別にひどいことはされてませんから」
カイヤ殿下も妹姫に歩み寄り、「彼女の疑いは晴れた」と言った。
クリア姫はホッと安堵の表情を浮かべ――またその表情を曇らせて、こう言った。「兄様、叔母様のケガの具合はどうですか?」
やっぱり人のことを心配するのね、この姫様は。
カイヤ殿下は「くわしく説明する」と言って、ひとまず一同、お屋敷の中へ。そこで待っていたダンビュラも含め、全員に事件の経過を説明する。
「魔女の宴」の会場で、アクア・リマが襲われかけたこと。
その場で取り押さえられた犯人は正真正銘の近衛騎士で、フローラ派に属していたこと。動機については推測できる部分もあるが、現時点ではわからない。
例の「薬」のことや、南の国の陰謀がどうこう、なんて疑惑に関しては話さなかった。
ざっと話し終えたところで、誰かのお腹が鳴った。
……誰かのっていうか、私の。
夕食は夜会の会場で軽くつまんだだけで、その後は何も食べていない。そりゃお腹もすくよねってなもんである。
「よかったら、夜食でも食べる?」
そう言って立ち上がったのは、なぜかこの屋敷の住人ではないユナだった。
「さっき、ここの台所を借りて作ったんだ。あたしもお腹すいたし、クリアちゃんも何か食べた方がいいんじゃないかと思って」
「料理など、いつ覚えた?」
カイヤ殿下が意外そうに目を見開く。
「んー、警官隊に入ってから。隊舎では自炊しなきゃいけないから」
ユナの料理は、いかにも独身者らしい、シンプルかつ豪快なものだった。
かたまりのまま茹でた肉を薄切りにして、ざくざく切った野菜と一緒に山盛りのライスに乗せ、ソースをかけてある。
一口食べて驚いた。
「おいしい……」
ちょっとクセのある辛めのソースと、意外にあっさりした茹で肉が絶妙にマッチしている。
「うまいな」
殿下も同じ感想を口にした。私と同じで空腹だったらしく、豪快な料理を豪快に、しかし品良くかき込んでいる。
「それにしても、隊舎で暮らしていたとはな。ずっと実家に居るものとばかり思っていた」
ユナは自分もライスを頬張りながら相槌を打つ。
「実家の部屋はそのままにしてあるよ。でも、やっぱり仕事が忙しくて、うちから通うのは不便でさ」
「父上や母上が寂しがっているのではないか」
「全然。うちは大家族だから、1人欠けたくらい、誰も気にしないよ。上の兄貴にまた子供ができたし、叔父さんがまた結婚したいとか言い出してるし」
リウス家は大所帯で、曾祖父のジャスパー・リウスを筆頭に、祖父母や叔父叔母やイトコたち、大叔父や大叔母まで一緒に住んでいるんだそうだ。
ユナの父親がジャスパー・リウスの4人目の孫で、ユナ自身は5人兄弟の3番目とのこと。……って、マジで何人家族なんだろ。
おかげで家族との関係はさほど密ではなく、子供の頃は実の兄弟たちより、幼なじみ仲間とよく遊んでいた――とユナは語った。
カイヤ殿下を目で指して、
「昔、うちに住んでたんだよね、短い間だけど。いろんな奴に命とか狙われて危なかったから、うちのひいじいさんが匿うことになってさ」
「あの時は世話になったな」
ヘビーな話を、軽い口調で話す幼なじみ2人。
当時まだ生まれておらず、話に参加できないクリア姫は、兄殿下の隣で少し居心地悪そうにしている。
遅い夕食の後、街に帰るというユナを、カイヤ殿下が送っていくことになった。
城門はとっくに閉ざされている時刻なので、お城の中にある「秘密の抜け道」を案内するのだという。
偉い人専用の、緊急脱出路のことだ。本来は気軽に通れる場所ではないが、カイヤ殿下はたまに使っている。その理由については省略。王国民としては、少しばかり情けなくなる話だから。
「ついでに飲みに行かない?」と冗談を言うユナに、「明日も仕事があるだろう」と真面目に返すカイヤ殿下。
「そんなのいいじゃん、久しぶりに会ったんだしさ」
ユナは屈託なく笑って、殿下の肩を叩く。親密そうな空気が伝わってくる。
2人を見送った後、玄関先でじっと動かないクリア姫に、私はためらいがちに声をかけた。
「あの……、姫様? そろそろ休まれた方が……」
びくりとクリア姫の体が震えた。
「そうだな。もう休もう」
言うなり、自分の部屋の方へ走って行ってしまう。
や、別に走らなくても……。
「妬いてるな」
ダンビュラがぼそっとつぶやく。
「……妬いてるんですか」
「殿下もまんざらじゃなさそうだしな」
「それは……」
微妙だと思う。人として幼なじみとしての好意は持っているようだが、恋愛的な意味の好意かどうかまでは――。
「ま、どうでもいいさ」
俺も寝る、と言い捨てて去っていくダンビュラ。
私はしばし玄関先に立ち尽くした。
なんか、すごく重大な事件が起きたはずなのに、ちょっと気が抜けてしまったな……と思った。




