112 理由
「クリア姫を、叔母上様が引き取る?」
「ああ」
「つまり、宰相閣下のお屋敷に住むってことですか?」
「そうだ。叔母上は以前からそれを希望していた」
なぜなら、可愛い姪のことが心配だから。
最大の懸念事項だったルチル姫の妹いじめはおさまった――とはいえ、お城で暮らしていれば、いつ何が起きるかわからない。
まさに今日のように、重大事件の現場に居合わせたり、巻き込まれたりするかもしれない。
「もしもの話ではあるが、その時はクリアと共に叔母上の屋敷に行ってくれるか」
殿下はひたと私の目を見すえる。
……そりゃ、行けと言われれば行くけど。宰相閣下のお屋敷には、メイドなんて大勢居るだろうし。
何より、あの宰相閣下が私を雇ってくれるかどうか――多分、無理だな。そうなったら、私はクビだ。
「殿下のお屋敷に引き取るって話は……」
どうなったのか聞くと、殿下は暗い顔をした。
「そうしたいのは山々だが、本人に拒絶されている以上はな」
殿下は以前から妹姫を引き取りたいと考えている。1度は強引にお城から連れ出したこともあるらしいが、クリア姫は自ら食事を断ってまでそれを拒んだ。
なぜなのか、理由は不明だ。
私の見る限り、いやおそらく誰の目で見ても、クリア姫はお兄ちゃん子で、兄上様のことが大好きだ。
それなのに、どうして。
「殿下のお屋敷って――」
ケバケバの贅沢な御殿で、美女や美形やひげのおっさんをはべらせて暮らしている、というのが王都に来る以前に、私が耳にした噂だ。仮に事実なら、嫌がられても無理はないと思う。
でも、さすがに嘘だよね。王子様が1人で住んでいるわけはないから、使用人くらいは居るんだろうけど――。
「ああ。執事とメイドと、あとは屋敷の管理を手伝ってくれている者たちが居る」
「その人たちとクリア姫に面識は?」
ある、と殿下は言った。それから、私が何を案じているのかわかったらしく、「皆、信用できる者たちだ」と付け加えた。
アテにならないな、と私は思った。
殿下の言う「信用できる者たち」には、自称300歳のしゃべる山猫もどきや、チンピラ上がりのクロム、処刑人ジェーンも含まれるのだから。それに、父親が正体不明の密偵だったメイドも。
「クリアは幼い頃から使用人と暮らしてきた。今更それを理由に拒むはずがない」
それは、確かに。
クリア姫は積極的に人混じりをするタチではないかもしれないが、コミュニケーション能力に難があるとか、人嫌いというわけではない。
むしろ、年齢のわりにちゃんとしている方だと思う。
初対面の時も、普通に接してくれたし、話しやすかった。あの年頃の子供は、まだまだ見知らぬ大人に対してはうまく話せなかったり、ぶっきらぼうになったりするものなのに。
「そもそも、姫様が今のお屋敷で暮らしてるのはどうしてなんでしたっけ?」
そう聞いてから、「あまり弟に質問するな」とハウライト殿下に言われたことが頭をよぎる。
まあ、しょうがないよね。もう聞いちゃったし。別に野次馬根性で知りたいわけじゃない。必要な情報だからだ。
「有り体にいえば、成り行きだな」
そんな、アバウトな。
「もとは王妃様の離宮にいらっしゃったんですよね?」
「ああ。4年ほど前、城に呼び寄せられた」
「王様が使者を遣わして――」
「……そうだ。まだ休戦協定が結ばれたばかりで、余裕がなかったからな。俺も叔父上も隙を突かれた」
それは救国の英雄となったカイヤ殿下が王都に凱旋帰国する、直前の出来事だったそうだ。
「あの時は寿命が縮んだ。クリアを城に連れ去り、人質にでもするつもりなのかと」
親子間の話とは思えない、殺伐とした単語に絶句する。
しかし殿下の危惧に反して王様は――それにラズワルドやアクア・リマも、クリア姫に危害を加えることはしなかった。……ルチル姫の妹いじめは除く。
「結局、あの男の思惑はわからんままだ。いったい何の意味があってクリアを呼び寄せたのか」
ただ、王様の意図が何にせよ。
今すぐクリア姫を害する気がないのなら、自分のもとに引き取るより、お城で暮らした方が安全だろうと殿下は判断した。
当時はカイヤ殿下も宰相閣下も、今よりその地位は不安定で、暗殺の危険にもさらされていたからだ。
既にクリア姫の護衛をしていたダンビュラが、「嬢ちゃん1人の身なら何があっても守れる」と断言したことも大きかった。
「ダンビュラさんて、その頃からもう姫様と一緒だったんですね」
そういや、どこでどんな風に会ったのかとか、ちゃんと確かめたことなかったな。
「あの2人は離宮に居た頃からの付き合いだ。俺が戦地に向かって少し後、離宮のそばの森で会ったらしい」
お姫様と野獣の出会い。果たして、そこにはどんな物語が。
「本人たちに聞いてくれ。そこまで話していたら長くなる」
まあ、そうですね。今、重要なのはそこじゃない。
「ダンビュラさんは何か知らないんでしょうか」
クリア姫が、兄殿下との同居を拒む理由を。……や、知ってたらとっくに教えているか?
殿下は「わからん」と言った。「ただ、何か察しているようなフシはなくもない」
「そうなんですか?」
だったら、彼から聞き出せばいいのでは。
殿下は力なく首を振った。
ダンビュラが友情というか親愛というか、あるいは忠節? らしきものを捧げているのはクリア姫個人に対してであり、その意に反することはしない。クリア姫が言おうとしない理由を、勝手に話すことはないのだ。
誠実な態度と、言えなくもない。
だが一方では、理由を知っているなら何とかすればいいのに、という気もした。
クリア姫が本心から殿下と暮らすのを拒むはずはない。絶対にない。
このままでは2人とも気の毒だ。
……それに、クリア姫が宰相閣下の所に行くなんてことになったら、私はクビだ。そうなっては困る。わりと真面目に困る。
「理由がわかれば、解決法もわかるかもしれないですよね」
何とかして、聞き出せないか。努力してみますと私が言うと、殿下は明らかに不安そうな顔をした。
「それはありがたいが、無理に聞き出す必要はないからな。まずはクリアとの信頼関係を大事にしてくれ」
弱気だな。可愛い妹のことになると。
前に強引な手を使ってハンストされたことが、余程のトラウマになっているのか。
それとも――。
クリア姫の「理由」がけして軽いものではないということを、なんとなくでも察しているのか。
私も、あの姫様が単なるワガママで反抗するとは思えない。
絶対に、事情はあるはずだ。
たとえば、そう――。
…………。
ルチル姫にひどいいじめを受けても、お城を離れようとしなかった理由。
聡明で物わかりのいい姫様が、周りの大人を困らせてでも我を通す理由。
そして、大好きな兄殿下にも明かせない理由とは――。
考えてはみたものの、答えは浮かばなかった。




