111 処刑人の血2
「話はこのくらいにしておこう」
ふいに、カイヤ殿下が席を立った。「時間も遅い。クリアが心配しているはずだ」
例によって唐突だが、言っていることはもっともだった。
目の前でメイドが連行されたのだ。あのクリア姫が、心配していないはずがない。
もう真夜中近いし、一旦お屋敷に戻った方がいいとは思うけど……。
問題は、このまま帰してもらえるのかどうか。
私は、宰相閣下を見た。
殿下も、自分の叔父を見ている。
宰相閣下は、無言。
「叔父上」
「…………」
「彼女を屋敷に連れて帰ろうと思うが、構わんか」
はあ、とわざとらしくため息をつく宰相閣下。
「構うよ。構うに決まってるでしょ」
「疑いは晴れただろう」
「どこが」
「事件には関わっていないと、彼女自身が言った」
「証拠は何もないけどね。……まあ、いいよ。どうせだめだって言っても連れて帰るんだろうから、おまえの好きにすれば」
「わかった」
皮肉にしか聞こえない叔父のセリフにも、殿下は普通にうなずいた。
「行こう、エル・ジェイド」
促されて、私も席を立つ。
「えと、失礼します」
宰相閣下の返事はなかった。
私と殿下が部屋を出ると、ジェーンもついてきた。扉が閉まるが早いか、大きな体を乗り出して言うことには、
「闇商人の件、いかが致しましょう。殿下」
……この人も唐突で、空気を読まない。
悪気はなかったにしても宰相閣下の奥方にケガをさせて、1人で曲者を追いかけていって、結局捕まえられなかった。殿下がクリア姫のお迎えに来られなかったのだって、ある意味この人のせいだよね?
少しは申し訳ないとか、思わないのかな。
「まずはクロサイトと合流して指示を仰いでくれ」
殿下には彼女を責める気はないらしく、それ以前に怒ってもいないようだった。
さっき宰相閣下に言っていた、「自分の役目を果たそうとしただけ」という言葉は、あの場をおさめるための言い訳ではなく、本心なんだろう。
私の雇い主はそういう人だ。
承知致しましたと頭を下げて、ジェーンはさっと身を翻した。
長身のため歩幅も広く、歩く速度も半端ない。その姿は、あっという間に廊下の角を曲がって見えなくなった。
「何て言うか……、変わった人ですね?」
同意を得られることは期待していなかった。私にとっては違和感ありまくりでも、殿下にとってはそうじゃないんだろうと。
しかし殿下は、意外にもうなずいた。
「確かに、ジェーンほど役目に熱心な者もそうは居ないな」
そんなことは全然言ってない。
「お役目熱心……ですか」
「ああ。正確には、『敵と戦い、倒すという役目』だが」
道すがら、彼女のことを話してくれる。
出会ったのは戦場だった。ジェーン・レイテッドはクロサイト様やクロムと同じく、前線の砦で戦う兵士の1人だった。
殿下が15歳の時に、自分の意思ではなく他人の思惑によって、送り込まれた砦だ。
共に戦い、死線をくぐり抜け、王国の存亡がかかった戦でも手柄を挙げて、戦後、近衛に特進した。
「……クロムさんと同じですね」
「ああ。あの頃の仲間は、他にも何人か城に居る。皆、頼りになる者たちだ」
戦友ってやつなのかな。戦場で生死を共にし、信頼を分かち合う仲間たち。
話としては、美しいと思う。皆、変人なんですか――とは、思っても口には出さないのが礼儀だ。
「だけど、女性が前線で戦うって、かなり珍しいんじゃないですか」
戦場に出るのはもちろん、男ばかりの砦にただ居るってだけでも……、色々と、大変なことがあるはずだ。
「当時は男装していた」
「え?」
「ジャックと名乗っていた。ジェーンの兄の名だ」
「え、え? 男装?」
私はジェーン・レイテッドの目立つ風貌を思い浮かべた。
男性でもおかしくないほどの長身――だけど、まるで彫刻みたいにキレイな顔立ちをしているのに?
「そうだな。砦の誰もが、おそらく同じように思っていたはずだ。それでも彼女の性別について疑う者が居なかったのは、その鬼神の如き戦いぶりを知っていたからだろう」
ジェーンの得物は大ぶりな斧槍――いわゆるハルバードと呼ばれるやつで、大の男でも持ち上げるのに苦労するほど、重量感のある武器だった。
彼女はそれを棒きれのように軽々と振り回し、並み居る敵をばったばったとなぎ倒した。
斧槍は棒きれではないので、ばったばったとなぎ倒された敵は、物言わぬ肉片と化すわけである。
返り血に染まる彼女は、笑っていたそうだ。
戦うのが楽しくて仕方ない、敵を葬るのが愉快でならないという風に。
あれが女のわけがない、女というのはああいうものではないはずだと、砦の誰もが信じていた。信じたがっていた。
彼女の本当の性別を知っていたのは、砦の守備隊長であるクロサイト様だけだったらしい。
殿下がそれを知ったのは、出会ってからそれなりの月日がたち、互いに信頼が芽生えた後で。
「機会があったので思い切って尋ねたら、すぐに認めた」
自分は女です、と。
「どうしても前線で敵を葬りたくて、男だと偽ったらしい」
「何か、南の国の兵士に恨みでも……?」
あるというなら、まだわかるが……、殿下は否定した。
「いや? 単に個人の嗜好だろう。俺はそう理解している」
私には理解できません。全く、さっぱり、理解できません。
私が閉口すると、殿下も口を閉じた。
2人で夜のお城を歩いて行く。
日頃庭園から出ることのない私は、お城の中は不案内だ。1人では帰れないので、ひたすら殿下の後をついて歩くだけである。
立派な広い廊下を抜け、アーチ状の屋根が取りつけられた、これまた立派な渡り廊下を通り抜ける。途中でひとけのない方向に折れたと思ったら、妙に粗末な石造りの廊下を通ったりもした。
15分ほどで、見覚えのある場所に着いた。
静かで薄暗く、分厚い石の扉が等間隔に並んでいる。
かつて何らかの研究が行われていたという、今は全く使われていない建物だ。ここから右に曲がればお屋敷に、左に曲がれば王室図書館に行ける。
当然、右に行こうとして、ふと殿下が足を止めた。
「……そうだ。今のうちに、おまえの耳に入れておきたいことがある」
また唐突に、何だ。
私が視線を向けると、殿下はなぜか微妙に目をそらし、
「いや、叔母上がな。近いうちに、クリアの顔を見に来たいと言っているのだが」
本当は宴で会えるはずだったのに、ケガで行けなくなってしまったから。
幸いケガの程度は軽いので、腰の具合が落ち着いたら、お屋敷に遊びに来たいと。
「はあ、そうなんですか。クリア姫も喜ばれるんじゃないでしょうか?」
叔母上様のケガを心配していたようだし、顔を見られれば安心すると思う。なんでそんな言いにくそうにするわけ?
「おまえの耳に入れておきたいことというのは、その」
殿下はなおも言い淀んでから、続きを口にした。
「叔母上はクリアを引き取りたいと考えているらしい」と。




