110 不穏
事件を起こした騎士、ヒルデ・ギベオン。
五大家のひとつ、近衛隊長が当主を務めるギベオン家と同姓だ。しかし彼女自身は五大家の人間ではなく、歴史の浅い中流貴族の出身なんだそうだ。
ヒルデの親が戦場で功績を挙げ、恩賞として姓を賜った。つまり、ジェーンの家と同じだ。「下級貴族や平民が、何らかの功績で名家の姓を賜る」というのはたまにあることなのだ。
そのヒルデ・ギベオンが謹慎していた理由とは――。
話を聞いて、私は少なからず驚いた。
発端となったのは、ルチル姫の行方不明事件だというのだ。
あの事件を起こした、5人の少年たち。
彼女は、うち1人の血縁者なのだという。正確には、ヒルデの年の離れた姉が、少年その1の母親。
あの事件は、表向きにはなかったことにされたし、少年たちの家も罰を受けていない。
が、公的な行事には参加を自粛している。
事が事だ。しかも「魔女の宴」の主催者は、事件の被害者? であるルチル姫の母親だ。
近衛騎士のヒルデは実家の責任を重く見て、「自主的に」謹慎していた。それは別に彼女に限った話ではなく、事件以来、主にフローラ派の貴族の間で普通に行われているらしい。
つまりヒルデ・ギベオンの家は「フローラ派」に属している。にも関わらず、アクア・リマを狙った――。
「ってことは、動機は復讐……?」
ルチル姫のやりたい放題のとばっちりで、近衛騎士のキャリアに傷がついたから、とか。
あるいは身内が巻き込まれたことに憤って、とか。
適当な思いつきだったのだが、殿下は「ありえなくもない」とうなずいた。
ヒルデは真面目で品行方正な騎士だったらしい。「フローラ派」に属していても、「ハウライト派」のカイヤ殿下やクロサイト様に対して、特に態度が悪いということもなかった。
だから殿下も、多少の事情は聞き知っている。
ヒルデが早くに母親を亡くし、年の離れた姉を、母のように慕っていたこと。
その姉が、ルチル姫の事件以来ふさぎ込んでいること。
息子と離れて暮らさなければならなくなったから、という理由がひとつ。
ルチル姫のメイドをしていた娘の縁談が、事件の余波で壊れてしまったから、という理由がもうひとつ。
「それは、お気の毒に……」
私は心からそう言った。
しかし宰相閣下は同情など欠片も見せず、
「その程度で壊れるような縁談なら、どうせ政略結婚だよ。気の毒がる必要なんてどこにもない」
さすが、ルチル姫の事件を利用して、政敵を倒そうとしていた人の言うことは違う。
仮に宰相閣下の狙い通りになっていたとしたら、とばっちりで迷惑した人が他にも居たはずだもんね。ひとつひとつの不幸なんて気にしていられないのか、もとから気にならないのか。
「仮に動機が復讐だとしたら、目的はアクアの命じゃなかったかもしれないね」
と、宰相閣下はことさら冷静に分析して見せた。
本気で命を狙うなら、普通はもっと目立たない、邪魔が入りにくい場所でやるものだ。
「魔女の宴」という重要なイベントで、現役の近衛騎士が、大勢の貴婦人を前に事件を起こす。
確かに、言われてみれば不自然な気もする。いささか芝居がかっているとも言える。
宴が台なしになれば主催者の、アクア・リマのメンツがつぶれる。
つい先日、ルチル姫が起こした事件のせいで追いつめられている彼女にしてみれば、この宴で失点を取り戻したいという思惑があったはず――。
そこまで聞いて、私は嫌なことを思いついてしまった。
実は宰相閣下こそが、今回の事件の黒幕なんじゃないか、と。
娘のフローラ姫に王位を継がせたいアクア・リマは、甥のハウライト殿下を王位につかせたい宰相閣下にとっては敵である。
だいたい、伝統的な夜会を、国王の愛妾が取り仕切ること自体が異例なのだ。
本来なら、王妃様の役目なんだし。その王妃様は、宰相閣下の奥方の姉上だ。内心、腹が煮えていたって全然おかしくない。
宴をぶちこわし、アクアのメンツをつぶし、さらにフローラ派の騎士を加害者に仕立てることで、先日の事件に動揺するフローラ派にさらなる揺さぶりをかけようとした。そう考えると、すっごく筋が通るような気が……。
などと考えていたせいで、宰相閣下のまなざしが急にこっちを向いた時には驚いた。心を読まれたのかと思った。
「何?」
「い、いえ。別に」
宰相閣下は不審そうに目を細めている。
「他に、おまえが気づいたことはないか」
別に助け船というわけでもなかったんだろうけど、ちょうどいいタイミングでカイヤ殿下が話しかけてくれた。
「どんな些細なことでもいい。何か、気づいたことがあれば」
「気づいたこと……」
問われて、記憶を巻き戻していく。
きらびやかな会場。初めて会う、アクア・フローラ母娘。側室エマ・クォーツとアクアの嫌味の応酬。途中で気分を悪くして中庭で休んでいたら、なぜかフローラ姫と遭遇したこと。
切れ切れに場面が浮かび、フローラ姫が落とした本の挿し絵と、目の前のカイヤ殿下の顔が重なる。
つい「あ」と声を上げてしまったら、
「何?」
と宰相閣下ににらまれた。
「あ、いえ。なんでもありません」
今のは関係ない。
再度、記憶をたどり――ヒルデ・ギベオンと廊下でぶつかりそうになった場面で、もう1度「あ」
「今度は、何」
露骨に迷惑そうな顔の宰相閣下。
「すみません、本当に些細なことなんですけど」
私が思い出したのは、彼女と衝突しかけた瞬間、不可思議な香りがしたことだった。
一般的な香水とは、ちょっと違う感じの香りだった気がするのだ。
私がそう言うと、一瞬の間があって、「どんな香りだった?」とカイヤ殿下が身を乗り出してきた。
「えと……、何て言ったらいいか。消毒薬にミントと柑橘類のさわやかさを足したような?」
『…………』
顔を見合わせる叔父と甥。ジェーンだけは壁際で直立不動だ。話を聞いているのかいないのか、視線もあさっての方を向いている。
「……これか」
カイヤ殿下が、例の暑苦しい外套の中から茶色の小瓶を取り出し、ほんの少しだけふたを緩めて、私に差し出した。
顔を近づけると、ふわりと不可思議な香りが――。
「あ、はい。こんな感じでした」
『…………』
再び顔を見合わせる叔父と甥。
「えと、何ですか? それ」
茶色の小瓶を指して尋ねると、殿下は「『魔女の媚薬』と呼ばれるものだ」と答えた。
「まじょの、びやく?」
「ああ。麻薬の一種だ」
さらっと出てきた単語の意味を、一拍おいて理解する。
麻薬。それすなわち、軽い気持ちで手を出せば人生が詰みかねない、とても怖いお薬。
「王国の富裕層では、古くから愛好者が多い。曾祖父殿の代に1度禁止されてから、使用者は減っていたが……。ここ最近、ひそかに流行が再燃しているらしくてな」
「魔女の媚薬」は「媚薬」と呼ばれるだけあって、恋愛的な気分を盛り上げる効果があると言われているらしい。
嫌な気分を忘れ、なんとなく愉快な気持ちにもなれる。……ただし、ごく少量ならばだ。量を誤れば、錯乱状態になる。
幻覚作用もある。習慣性は極めて高い。1度手を出すと、容易にやめられない。
王国では貴族や裕福な商人などに愛好者が多く、たびたび社会問題になってきた。
間違いなく体に悪いし、女性の場合、妊娠・出産に悪影響がある、とも言われている。
その薬がここ1年ほどの間に、若い貴族の女性たちの間で広まっており、懸念されているんだとか。
付け加えると、その薬は、王国の仇敵である南の国から持ち込まれているのだという。
そもそも「魔女の媚薬」の原材料となる薬草が、彼の国でしか採れない。
その原料も薬自体も、当然、輸入は禁止されているのだが……、法の目をくぐり、持ち込んでいる闇商人が居るとの噂で。
「もし、その噂が真実なら――」
ジェーンがにわかに目を輝かせ、話に乱入してきた。
「王都を混乱させようという、大規模な陰謀かもしれません」
即刻、犯人を捕らえて首を刎ねなければ、と両こぶしを握りしめる彼女に、
「話を飛躍させない」
と突っ込む宰相閣下。
ここ最近、裕福な若い女性の間で流行っているのだ。ヒルデが使っていたとしても、別におかしくはない。
「ただ――」
つぶやいて、口ごもる宰相閣下。
何を言いかけたのかは、わかる気がした。
「魔女の宴」という公的行事の場で、近衛騎士が刃傷沙汰を起こしかけた。その裏に、南の国由来の「薬」が関与しているのだとしたら。
――どうにも、キナくさい。




