109 処刑人の血
連れて行かれた先は、宰相閣下の執務室だった。
一国の宰相が、執務を行うための部屋である。当然そこに行くためには、兵士が守る扉や階段を幾度も通り抜けなければならない。
そうして辿り着いた場所は、すごく広くて立派な廊下だった。
さりげなく飾られている調度品はどれも一級品、窓や扉には凝った彫刻が施され、たまに通り過ぎる兵士や文官はみんな姿勢が良くて、流れる空気すら普通とは違う気がする。
ちなみに廊下の先には、国王陛下の執務室もあるという。
他にも、大臣たちの執務室だとか。彼らが集まって会議を行うための部屋だとか。
まさに国政の中心地というわけだ。
ただ、足を踏み入れた室内は、以外にも簡素だった。
執務机や本棚や資料棚、さらに大量の書類が所狭しと積み上げられているせいで、狭くも感じられる。
入ってすぐの所に応接スペースがあり、革張りのソファーと、一応高そうな絵が飾られている。
でも、それだけだ。本当に、装飾と呼べるものは。
部屋のあるじの多忙さと、無駄を好まない性格が伝わってくるような内装であった。
執務室に入ると、宰相閣下はすぐにソファーに腰を下ろした。
カイヤ殿下がその向かい側に。
銀髪の騎士は席につかず、入口近くで待機。
私も彼女の横で待機……のつもりだったが、「君も座って」と宰相閣下に指示されて、仕方なく殿下の横に腰掛けさせてもらう。
「それで?」
宰相閣下が、私と騎士の顔を順ににらみつける。「どっちが先に事情を話してくれるのかな?」
事情説明というより尋問のような、きっつい口調だった。「ような」というか、実際にそうなのかもしれない。
「そういえば――」
カイヤ殿下は叔父の不機嫌にも動じず、同じように私と銀髪の騎士とを見比べて、
「2人は初対面だったな。先に紹介しておこう」
まずは銀髪の騎士を目で指して、
「彼女はジェーン・レイテッド。見ての通り、近衛騎士だ」
「はじめまして」
静かに一礼する銀髪の騎士。
繊細そうな顔立ちに似合わない低音ボイス。ちょっと割れたような、かすれたような……意外にハスキーな声。
「はじめまして。エル・ジェイドと申します」
自分もあいさつしてから、「あの、失礼ですけど、レイテッドって貴族家の――」
あの孔雀、いやレイリアの関係者なのかと問えば、ジェーンは「いえ、私は平民です」とあっさり否定した。
「祖父の代にレイテッドの当主に仕え、姓を賜りました。『地獄の処刑人』という称号と共に。そもそも、両者の出会いは、流れ者だった祖父が戦場で敵将を討ち取り、恩賞として城に召し抱えられたことから始まり――」
「くわしい話はいいから」
まだまだ続きそうなジェーンの語りを、面倒くさそうに遮る宰相閣下。
「……地獄の処刑人?」
が、私は語りの内容が気になってしまった。
ジェーンは無表情でうなずいた。宙を見すえたまま、訥々と、つぶやくような口調で、
「祖父は罪人の首を斬る役人でした。相手が屈強な男でも、抵抗し、激しくもがき暴れても、1度もしくじることなく、一撃で首を落としたそうです。その腕前を称えて、当時の法務大臣だったレイテッドの当主から頂いた称号が『地獄の処刑人』です」
「…………」
称えてるのかな、それ。少し怖い気がするんですけど。身内がそんな風に呼ばれたら嫌じゃないのかな……。
「私は祖父を尊敬しています」
嫌ではなかったらしい。それどころか、ジェーンの瞳はちょっと怪しい熱を帯びていた。
「いつか祖父のような仕事をしたいと、憧れています――」
「そ、そうですか」
私は内心どん引いたが、顔には出さないようにした。
この国に法律というものがあって罪人が存在する以上、処刑人だって必要な仕事だ。偏見はいけない。怖いとか、思ってもいけない。多分。
「自己紹介は終わった?」
宰相閣下が皮肉っぽく言って、ジェーンの長身を見上げる。
ジェーンは宰相閣下には答えず、カイヤ殿下に尋ねた。「もっとくわしく説明した方がよろしかったでしょうか?」
「いや、十分だ」
カイヤ殿下はどん引くでもあきれるでもなく、普通に言った。
「それより、今日のことを話そう。先程言ったように、このジェーンがクリアの護衛を務めるはずだった」
しかし都合がつかずに来られなくなったと、そう言っていたのはハウライト殿下である。
具体的には、何があったのか。カイヤ殿下の説明によるとこうだ。
今日の午後になって、殿下のもとに、叔母上様から――宰相閣下の奥方様から、連絡があった。
何でも流行の髪型を本で見たとかで、その髪型がクリア姫に実に似合いそうなものだったので、ついでに新しいドレスとアクセサリーも手に入れたので、夜会の前に、是非とも寄ってくれないかと。
……要するに、夜会の当日に言われても困るよ、ってな話だったのだ。
とはいえ、無視するわけにはいかない。
さすがに今からでは無理だ、次の機会でいいだろうと叔母上様を説得するため、殿下は宰相閣下のお屋敷に向かった。その際、ジェーンも一緒に連れていった。
ジェーンは叔母上様と面識がなかった。なので、宴の前に軽く顔合わせしておこうと思ったらしい。
「結果的には、それが仇になったと言えなくもないが……」
殿下は微妙な表情で口ごもる。
「……何かあったんですか?」
私が遠慮がちに問うと、「あったに決まってるでしょ」と宰相閣下がかみついてきた。
今日は随分と機嫌が悪い。前に会った時は、たとえ嫌味でも冷ややかな態度であっても、もう少し余裕を感じさせる人だったはずだが。
そういや、ユナが言ってたっけ。宰相閣下の奥方がケガをした、って。
本当に、何があったのか。答えたのはジェーンだった。
「奥方様にごあいさつをすませ、宴に出席するため、共にお屋敷を発とうとした時でした。突然、何者かの襲撃を受けたのです」
いきなり物騒な単語が出てきて、私は面食らった。「襲撃?」
「物陰から、矢で狙われたのです。私はとっさに奥方様を突き飛ばし、襲撃者の後を追いました」
襲撃者は1人だった。
やたら身軽ですばしこい相手だったそうで、かなり長時間追い回したが、捕らえることはできなかった。
単身、曲者を追いかけていった部下を、カイヤ殿下も放っておくわけにはいかなかったらしい。
ともかくハウライト殿下に連絡を取り、簡単に事情を伝えてから、他の部下たちと共にジェーンを探した。結果、クリア姫のお迎えには来られず。
「で、君に突き飛ばされた妻が腰を痛めたわけだけど」
宰相閣下が、氷のように冷たい目をしてジェーンを見すえる。
「不可抗力です」
ジェーンは全く動じない。
宰相閣下のまなざしが、より冷えた。
雰囲気に耐えかね、私は小声で殿下に話しかけた。「あの、叔母上様のケガって……」
「少し腰を打っただけだ。念のため夜会は欠席したが、医者の見立てによれば、数日で良くなるらしい」
「……良かったですね」
「ああ、不幸中の幸いだった」
そのセリフを聞きとがめた宰相閣下が、トゲのある視線を甥にも向ける。
「他に言うことはないわけ。自分の身内がケガさせられたっていうのに?」
責められた殿下は、素直に頭を下げた。
「叔父上。その件については、本当に悪かったと思っている。俺の部下が迷惑をかけた。……だが、彼女も悪気があったわけではない。自分の役目を果たそうとした結果、起こってしまった事故だ。許してやってくれないか」
「殿下の仰る通りです」
と胸を張るジェーン。「奥方様の件は、真に不幸な事故でした」
彼女がしゃべればしゃべるほど、宰相閣下の不機嫌は増していくようだ。
……無理もない。
類は友を呼ぶのか、カイヤ殿下の周りにはわりと変人、もとい個性的な人が多いけど、この女性騎士は相当だと思う。
「あの、すみません。結局、その襲撃? っていうのは、今日の夜会で起きた事件と、何か関わりがあるんでしょうか?」
殿下は「わからん」と首を横に振った。
「俺も叔父上も敵が多いからな。このタイミングでどこぞの刺客が狙ってきたとしても、別におかしくはない」
どこぞの刺客が狙ってきたとしても、ってそんな軽く言わないでほしい。
「関係があるのかないのか、現段階ではわからん」
「結局、曲者には逃げられちゃったしね」
「すばやい賊でした」
宰相閣下の嫌味にも、涼しい顔のジェーン。
2人の横で、殿下は何やら考え込んでいる。
「あのう……」
再び雰囲気に耐えかねた私が口をひらこうとすると、ふいに宰相閣下の顔がこっちを向いた。
「で、君の方は? どういう成り行きで捕まったりしたのか、きっちり説明してくれる?」
頭から疑ってかかるような言い方に釈然としないものはあったが、それでも私は説明した。……正確には、説明しようとした。
しかし宰相閣下は、私がほとんどしゃべらないうちから「本当に?」と聞き返してきた。「犯人を手引きしたんじゃないの?」
「そんなの、してませ……」
私の抗弁を、宰相閣下は鼻先で笑い飛ばした。
「どうだか。何しろ君は、密偵だった父親の素性も明かさなかったくらいだからね。隠れて何か企んでいたとしても、全然不思議はない」
痛いところを、真っ向から突かれて口をつぐむと、「その件は今関係ないだろう」と殿下がかばってくれた。
「関係ないかどうか、わからないから聞いてるんだよ」
「彼女に不審な点があるとでも?」
「大ありだよ。事件の直前に席を外し、あの騎士と一緒に居るのを目撃されている。彼女が手引きしたとしたら筋が通るだろ? 今のところ、あの騎士がどこから会場に入り込んだのか、わかってないんだし」
夜会の会場には、主催者に招待を受けた者か、その護衛や侍女しか入れない。
私はハウライト殿下とクリア姫と一緒に来たから2人の顔パスで入れたが、他の客たちは入口で警備兵のチェックを受けていた。
「あの騎士は魔女の宴に招待されてはいなかった。もちろん警備兵でもない」
と宰相閣下は断言した。
「どこかのワガママ王女のせいで、謹慎中だったからね」




