106 遭遇2
『…………』
私とフローラ姫は、ひたすら固まっていた。
私は本を拾おうとした姿勢のまま、フローラ姫は立ち去ろうと片足を踏み出した体勢のまま。
虚しく吹きすぎていく風。遠いオーケストラの音色。
――誰か来て。この状況をどうにかして。
私の願いは、天に通じた。
「フローラ、そんな所で何をしているの」
「お嬢様、どうなさったんですか?」
中庭の下草を踏み分けて登場したのはアクア・リマと、侍女の服を着た、50代くらいの優しそうなおばさんだった。
2人は私とフローラ姫が固まっているのを見て、さらには姫の手元に落ちている本も見て、
「あなたは、また……」
うんざりした声でつぶやいたのはアクア・リマ。
一方の侍女さんは、軽い足取りで私に近づいてくると、落ちた本をひょいと拾い上げ、にっこり笑いかけてきた。
「まあ、見てはいけないものを見てしまわれましたね? かわいそうだけれど、口封じをしなければ」
「悪ノリしないの」
侍女さんのセリフに、あきれ顔のアクア。
それからあらためて私に向き直り、
「あなた、クリスタリア姫の新しいメイドね」
とっさに、返事ができなかった。
間近で見ると、アクア・リマはかなり目力がある。
ちょっと蓮っ葉な空気っていうの?
そういえば下町出身だっけ、と思い出す。飲まれてしまって、言葉が出てこない。
「話は聞いてるわ。うちの下の娘がお世話になったそうね」
下の娘って、ルチル姫?
お世話したっていうか、1度会っただけなんですが。
「……まあ、その辺りの話はいいわ。お騒がせして、悪かったわね」
行くわよフローラ、と娘の背を押す。
「参りましょう、お嬢様」
姫君の手を引く侍女さん。
2人に前後から促されて、ようやくフローラ姫がぎくしゃくとした動きで歩き出す。
そのまま立ち去ろうとする3人だったが……。
「あのー……」
私はどうにも気になることがあって、呼び止めてしまった。
「その本、もしかして……」
私も愛読している、クロサイト様がモデルの、有名な小説シリーズ――に、似ている。わざと似せたように、装丁が酷似している。
更に言えば、先程ひらいた本のページに、とてもなじみ深い人物の名前があった。
「パロディとか、二次創作ですか?」
だとしたら、さっきの挿絵に描かれていたのって……。
無言を貫いていたフローラ姫が、私の指摘に「ひっ」と身をすくませた。
母親のアクアが振り返り、いかにも迷惑そうに顔をしかめて、
「余計なことは言わないで。長生きしたいでしょ?」
字面だけ読むと、物騒な脅し文句にしか聞こえないんだけど、間の抜けた状況のせいでそうは思えなかった。
気のせいでなければ、軽口を言っているようでもある。
私はなんとなく、カイヤ殿下のアクア評を思い出した。
この人って、敵……なんだよね?
「忘れなさい。それがあなたのためよ」
「そうしてくださいましな。お嬢様の名誉のためにも」
フローラ姫を両側から支えるようにして、去っていくアクアと侍女さん。
最後に、フローラ姫が私の方を振り向いた。
「…………」
言葉はなかった。
ただ、必死な、すがるような目をしていた。
何を訴えていたのだろう。誰にも言わないでほしいとか、そういうこと?
……どうしよう。
カイヤ殿下に報告すべきなんだろうか。
フローラ姫は腐女子、という衝撃の事実を――。
「…………帰ろ」
つぶやいて、夜会の会場に引き返す。
いつのまにか、気分の悪さもすっかり吹き飛んでいた。




