103 魔女の宴2
2人が立ち去った後で、ユナが言い出した。
「ねえ、何か食べない? あたし夕食まだでさ。お腹すいちゃった」
夜会の空気にも、嫌味の毒気にも動じることなく、マイペースである。
ユナが視線を向けた先、ホールの隅に長方形のテーブルが並んでいる。
お城の夜会のお料理。きっと、王国一の料理人が腕によりをかけたのだろう。すごく興味がある。
だけど、メイドがお姫様と一緒に料理をつまむってわけにはいかないよね。
護衛はいいのだろうか。こういう場合、用心のために何も食べないのが普通なのでは。
「だいじょうぶ。料理に毒でも盛られてたら、食べればわかる。わからなくても、死なない。リウス家の血は強いから」
リウス家の血とはいったい。
「……じゃあ、何か料理を取ってきますね」
ユナは「3人で一緒に行こうよ」と言った。
いやいや、クリア姫はドレスだし、珍しくヒールの高い靴なんか履いてるし、第一、お姫様が自分で料理を取りに行くもの? 待っててもらった方がよくない?
クリア姫は私とユナの顔を見比べて、そして言った。
「では、皆で一緒に行こう」
行くんだ。……姫様がそう仰るなら、いいか。
テーブルに並べられた料理は、見た目からして美しかった。
色とりどりの野菜とエビをマリネしたもの、鶏肉のテリーヌに、鹿肉のゼリー寄せ、魚介のサラダ、季節のフルーツを花のような形にカッティングしたもの。
一口サイズに切ったケーキなんて、何種類あるのか数え切れないくらい、ひとつひとつ飾りつけに凝っている。
たとえば、チョコレートで黒猫をかたどったものや、魔女の杖みたいな形のクッキーが添えられたものなど。
魔女といえば、そう。料理の並ぶテーブルの隅に、可愛いらしい魔女の人形が飾ってあった。
他にも、テーブルクロスが黒猫柄だったり、なぜか目につく場所にホウキがたてかけてあったり。
要するに、「魔女の宴」にちなんだ装飾なんだろう。伝統的な宴のはずなのに畏まらず、どこか遊び心が感じられておもしろい。
テーブルの周りでは、誰かのメイドや侍女とおぼしき女性たちが、ご主人様のために料理を選んでいた。
やっぱり、自分で料理を取りに来てる貴族とか居ないような……。
と思ったら、居た。
フルーツやケーキの並ぶテーブルの前で、悩ましげなため息をついているご令嬢が1人。
「ああ、どうしよう。みんな素敵で、みんな可愛らしくて、選べない。白い魔女よ、罪深いわたくしを許して……」
背中を向けているので顔は見えないが、声からして、まだ少女だ。
見事なストレートの黒髪に、公的な夜会の場にはふさわしくないような素朴な髪留めをしている。ピンクのうさぎさんが、跳ねてるポーズのやつ。
ドレスの色は淡い紫で、背中の部分が大きく開いた、けっこう大人っぽいデザインなのに。何だかちぐはぐだ。
「やっぱり、こっちの黒猫さんのチョコレートケーキを……。ああ、だめ。そんな目で見ないで、イチゴさん、ベリーさん。あなたたちのことも好きなの。だけど、1度に全ては選べない。なぜって……。最近、ドレスのウエストが少しきついんですもの……」
語ってる。ケーキやフルーツ相手に語ってるよ。
メルヘンチックなようで微妙に現実的な1人語りに、若干引きつつも耳を傾けていると。
「クリアちゃん、甘い物好きだよね?」
ユナは彼女のつぶやきなど耳には入らぬ様子で、そのテーブルに近づいていった。
ご令嬢が気配に気づいて振り返り、「きゃっ」と悲鳴のような声を上げる。
白い頬が、見る間にバラ色に染まっていく。黒い瞳が凝視しているのは、ユナではなく、クリア姫だった。
「そんな……、こんな奇跡があるだなんて。白い魔女よ、感謝します!」
やおら黒髪をなびかせて駆け寄ってくると、ご令嬢はひしとクリア姫の手をとった。
「わたくし、……わたくし、ずっと憧れておりましたの、クリスタリア姫! お目にかかれて光栄ですわ。しかもお声をかけていただけるなんて、夢のよう! ああ、毎晩、おやすみの前に白い魔女に願掛けした甲斐がありましたわ……」
ぶんぶん、クリア姫の手を振りながら、勢いよくまくし立てる。
クリア姫は「お声をかけて」などいない、しゃべっているのは彼女だけだと、突っ込む暇もなく。
「本当に、ずっと憧れておりましたのよ! 白い魔女の血を引くクォーツ家の方々は、誰もがこの世ならざる美しさだと――特に王妃様の血を引くお三方は、さながら生きた宝石のようだと聞いて! 本当に、その通りでしたわ! クリスタリア姫はまさにダイヤモンド、いえ、真珠のように無垢な煌めきの、じゃなくて、ええと……」
言葉に詰まり、いやいやをするように大きく首を振って、
「ああ、もう。ふさわしい賛辞が浮かびませんわ! もっとお勉強しておくのだった!」
「あの、止めなくていいんですか?」
私は護衛のはずのユナに声をかけた。
いつのまにか取ってきたらしい料理を口に運びながら、ユナはご令嬢とクリア姫の様子をのんびり眺めている。
「いいんじゃない? あの子、知ってるし。ギベオン家のお嬢様だよ」
ギベオンとは、例の五大家のひとつだ。
私は再び、ここ数日の間に身につけた知識を頭の中に引っ張り出した。
ギベオンの当主は近衛騎士隊長で、王様が即位した頃からずっと仕えてきた人で――。
息子は4人も居るが、娘は1人も居らず、代わりに3人の姪たちのことをとても可愛がっている。
彼女たちは「ギベオンの三姉妹」と呼ばれ、社交界の花として有名なんだそうだ。
長女がダリア、次女がカトレア。3人とも花の名前で……、あのご令嬢は年頃からして、末っ子のマーガレット嬢だろうか。
「でも、ギベオン家って、わりとフローラ派寄りなんですよね?」
騎士団長のラズワルド家と、代々縁が深い――と聞いた。
クリア姫に借りた本によれば、その縁とは対等なものではなく、親分と子分のような関係らしいが。……それが代々って、嫌じゃないのかな。
「まあ、あの子には関係なさそうだし」
熱心にクリア姫に話しかけるご令嬢の様子からは、確かに底意も敵意も感じられなかった。
握手を求めるファンか、王家オタクって感じ。
クリア姫もやや硬い表情ながら受け答えしている。すぐに止めた方がいい雰囲気ではないけれど。
「ギベオン家の当主って、あの人の上司でさ」
あの人って、どの人?
一瞬疑問に思ったが、すぐにわかった。近衛隊長の上司が居てユナが話題にしそうな人といえば、近衛副隊長のクロサイト様しか居ない。
「すっごく影が薄いので有名なんだ。だからあの人がよく隊長と間違えられるんだって」
それはクロサイト様が救国の英雄で、王国一の有名人だから、というのもあるのでは……と、他人事ながら脳内でフォローしてしまう私。
「あいかわらず率直ね。歯に衣着せないのはあなたの長所かもしれないけど、この場では問題のある発言ではなくて?」
背後から声がした。
振り向いた私とユナの前に立っていたのは、一羽の孔雀。
あー、いや。
正確には、孔雀みたいに派手な装いの女性ね。
ゴージャスな金髪をゴージャスに巻いて、グラマラスなボディにスパンコールつきのど派手なドレスを身につけて。
蹴り上げたら凶器にもなりそうな高いヒール靴のせいで、普通の女性よりだいぶ大柄に見える。
美女である。
それも、並の美女よりハイレベルな美貌だ。
年は、30代半ばくらい?
王族のクリア姫を前に畏まるでもなく、それどころか値踏みするようにこちらを眺めている。
片手に持った扇を揺らめかせて。
ちなみに、その扇にゴテゴテとついている飾りが、孔雀の羽だった。




