102 魔女の宴1
――別世界だ。
それが、夜会の会場に足を踏み入れた私の、率直な感想であった。
お城の夜会っていうと、こう、すごく広い場所で、シャンデリアが輝いていて、着飾った男女がくるくる踊っていて……といったイメージが浮かぶと思う。少なくとも私はそうだった。
実際の会場は、なぜか薄暗かった。
よく見ると、壁も天井も、広いホールの全てが黒い幕で覆われているのだとわかった。
最初にイメージしたのは「夜空」だ。
何かキラキラとした飾りが黒い幕に縫いつけられているらしく、遠目には夜空のように見える。
淡い紫の照明がそこかしこに灯されていて、どこか怪しく、幻想的な空気をかもし出している。
魔女の宴。その呼び名にふさわしい雰囲気だった。
既にほとんどの出席者が集まっているようで、ホール内はざわめきに包まれている。
当然、女性ばかりなのだが……。そのまばゆいばかりの美しさときたら。
さながら美の競演の如く、工夫を凝らしたドレスに髪型にアクセサリーの数々。
立ち居振る舞いも優雅で美しく、集まって談笑している姿も上品で、まるで舞台に立つ女優さんみたい。
しかしながら、そんな貴婦人たちの輝きすら、その2人が視界に入るや色褪せてしまった。
王の愛妾アクア・リマと、娘のフローラ姫だ。
名前だけは何度も聞いていたけど、実物を見るのは初めてである。
まあ、何という存在感だろう。
アクア・リマは肩の所が大きく露出したダークブラウンのドレスに身を包み、黒い半透明のショールをふわりとかけていた。
ルチル姫と同じ、ブラウンの巻き毛。
顔立ちも、よく見れば似ていなくはない。
ただ、あのお馬鹿な――じゃなくて、無邪気な――わけでもないルチル姫とは、瞳の輝きがまるで違う。
そこに宿るのは、知性と意志の輝き。あるいは、自分の娘を王位に押し上げようとする野心だろうか。
アクア・リマは頭がいい、ってカイヤ殿下が言っていたけど、実際に会って納得した。確かにこれは、一筋縄ではいかない相手だと。
「ようこそ、クリスタリア姫。お待ちしておりました」
クリスタルのグラスを片手に、艶然とほほえんで見せる。
年は40歳くらいかな。王様に比べるとだいぶ若い。わりと薄化粧だし……いや、ナチュラルメイクか。
長身ではないけど、姿勢がすごく良くて、スタイルも良く見える。
……見えるっていうか、実際にスタイルがいい。いわゆる「女性らしい」体型だ。頭のてっぺんからつま先まで、ラインが崩れているところが全然ない。
「皆を待たせてすまぬ。アクア殿も健勝そうで何よりだ」
聞こえたクリア姫のお声に、ハッと我に返る。
しっかりしろ、自分。さっきから圧倒されてばかりじゃないか。
「フローラ姉様も、ご機嫌麗しく」
クリア姫は、母親の後ろに隠れるように立っている異母姉にも声をかけた。
説明が遅くなったが、そちらも噂に違わぬ美しいお姫様だった。
ただ……。
母や妹ほど、強烈な存在感はないかもしれない。
2人とはタイプが違う、って言った方が正確かな。
ほっそりとして、儚げな感じ。
クリア姫と同じ、柔らかそうな金髪。クリア姫と同じ、鳶色の瞳。
……真珠のティアラまでかぶってるし。
さすがにドレスの色やデザインは違った。白に近い桜色のドレスで、全体的に清楚な感じ。そのまま花嫁衣装に使えそうなくらい。
恥じらうように瞳を伏せていたフローラ姫は、わずかに視線を上げて妹姫を見た。バラのつぼみのような唇をかすかにひらき、
「……ありが………クリア姫も……お元気そうでよかっ……」
何を言っているのか、いまいち聞き取れなかった。
堂々と声を張っているクリア姫と比べると、いささかヘナチョコな声。
ささやくようでも美しい、澄んだ声を予想したのに。絵に描いたようなお姫様のイメージが、若干損なわれてしまった。
おかげで――というのも妙な話だが、舞い上がっていた私は、いくらか落ち着きを取り戻した。
アクア・リマやフローラ姫が、居並ぶ貴婦人たちが、いかに美しかろうとも。
大騒ぎすることはない。私の雇い主であるカイヤ殿下の方が、それよりもっと美しいのだから。
「宴はもう間もなく始まりますわ」
アクアが言った。ゆっくりと首を巡らせて会場内を見渡し、「先に、エメラ様にごあいさつをなさいます?」
クリア姫が驚いた顔をした。
「おばあさまがお見えになっているのか?」
おばあさま――。
っていうのは、この宴の名目上の主催者で、国王陛下のお母様のことだよね。
ほとんど寝たきりって話じゃなかった? 宴に来てるんだ。
「ええ、こちらに」
アクアの案内で、ホールの奥に向かう。
その老婆は、窓辺で車椅子に腰掛けていた。
髪は真っ白で背中は曲がり、小柄な体がいっそう小さく見える。
もうかなりのご高齢なんだろう。弱々しくて、儚い。ぼんやりと宙を見つめているだけで、周囲の喧噪も耳に入っていないようだ。
「お久しぶりでございます。……おばあさま」
しかし、クリア姫が呼びかけると、その濁った瞳が輝いた。
「ああ、あなた。来てくれたのね」
やせ細った手を震わせて、クリア姫の髪にふれる。クリア姫はひどく緊張した様子で固まっている。
愛おしそうに孫娘の頭をなでてから、エメラ様はもう1人の孫娘にも視線を向けた。
「2人とも、美しくなって。それに、ますます似てきたこと」
あー、それ。……言っちゃうんだ。
そう。さっきから敢えて触れずにいたのだが、この2人。並べて見ると、けっこう似ているのである。
どちらも父親似だからだ。これが母親似なら、異母姉妹だから似ているはずもなかっただろうに。
エメラ様はほほえましそうにしているが、クリア姫は全く嬉しそうではない。
当然だよね。あのルチル姫の姉で、兄2人の敵と似ていると言われても。
フローラ姫の方は物静かに会釈しただけで、これといった反応はなし。
……と、そこまでは多少の緊張感をはらみつつ、わりとなごやかに過ぎていたのだが――。
エメラ様は、お1人でそこに居たわけではなかった。
彼女を囲むように、着飾った女性たちが集まっていた。
年齢はさまざま。まだ年若い少女も、年配の女性も居る。
うち1人が進み出てくると、その場の空気がぴんと張りつめた。
「まあ……、可愛らしいこと。深い森の奥に住むという妖精のようですわね」
そう言って、クリア姫に笑いかける。
50代くらいの女性だった。その年頃にはありえないくらいスタイルが良くて、スリムで、シックな黒のドレスが似合っている。
「ありがとう、エマ殿」
クリア姫は照れて口ごもることなく、きちんと受け答えた。
私がさんざん似たような言葉でほめたから、慣れたのかな。
エマと呼ばれた女性は、あらためて上から下までクリア姫の姿を眺め回し、何やら意味深に口の端を持ち上げて見せた。
「当家の宴にも、是非出席していただきたいわ。こんなありきたりで退屈な宴より、ずっと開放的で楽しく、趣向を凝らしていますのよ」
――ありきたりで退屈な宴?
王国の伝統行事、しかも主催者とその代理の前で、随分な物言いだ。
エメラ様は耳が遠いのか無反応だったが、アクア・リマには当然聞こえたらしい。不敵にほほえんで、
「ええ、本当にありきたりな宴でお恥ずかしいわ。エマ様の主催する宴は、それは素晴らしいと評判ですものね。うちの陛下は特にお気に入りで、毎年新しい女性を連れ帰ってきましてよ。妻は夫の顔を忘れ、夫は妻の存在を忘れる。それは開放的で、楽しい宴なのでしょうね」
セリフの途中で、私はクリア姫の耳を両手でふさぎたくなった。
人目がなければ、実際にそうしていたかもしれない。
配偶者の顔を忘れる宴って、どんなだ。
しかも、王様がどうしたって? 毎年、新しい女性を連れて帰ってくる?
あーた、子供の前で、何の話をしてるんですか。
クリア姫はもちろん、お年頃の自分の娘だって聞いているのに。
お上品とは言いがたいアクアのセリフに、エマ・クォーツは眉をひそめる……どころか、軽く身を乗り出して臨戦態勢になった。
「アクア殿にほめていただけるなんて恐縮ですわ。その道ではとてもかないませんものね。なんですか、聞いた話では、国王陛下のお若い頃から、あらゆる手練手管で籠絡して――」
「……ちょっと姫様、あっちに行ってましょうか」
私はクリア姫の手を引いた。
「うん、その方がいいね。話が終わるまで待ってよう、クリアちゃん」
同じく、ユナが背中を押す。
話し声の届かない場所まで移動。それから、「あのエマ様って、もしかして?」と2人に聞いてみる。
「……父上の側室だ」とクリア姫。
ああ、やっぱり。もとは3人居た側室の、最後の1人。前にカイヤ殿下に聞いた名前が、エマ・クォーツだった。
クォーツ姓からわかるように、王家の縁者である。
ただし、王様の又従兄弟に当たる女性だというから、同じクォーツでも遠い親戚って感じ。
代々王位を継承してきたのが本家なら、親戚筋の方は「分家」と呼ぶのだそうだ。
で、カイヤ殿下いわく、クォーツの本家と分家は、代々の王位継承争いに絡んで、仲がよろしくない。
分家の方にも王位継承権はあるから、本家に何かトラブルでもあれば、そっちが王位に就くことになる。
そのトラブルを人為的に起こし――つまり暗殺とか物騒な手段を使って、本家に成り代わろうとした人も少なからず居たんだそうで。
要するに、親戚同士で王位を奪い合ってきたのだ。そこには当然、流血の歴史がある。
王国が生まれて千年――ある意味、他人よりも厄介な身内の敵、だった。
過去形である。
事情が変わったのは、おなじみ、殿下のひいおじいさま、先々代国王陛下の治世。
彼は血縁やコネ頼りの政治を否定し、実力主義の改革を推し進めた。
その過程で、仇敵である分家筋の弱体化を試みたらしい。
他の貴族家を改革するなら、クォーツも例外にしてはいけないという建前で、分家の力を削いだ。それはもう、徹底的に削いだ。
国民に崇められる名君は、敏腕政治家でもあったのだ。
現在、クォーツの分家筋では、高い官職についている人も居ない。
特例として認められた領地を細々と経営し、どうにか家を存続させるのが精一杯で、力もなければ金もないという状況。
それでも親戚は親戚だから、血縁と身内の情を使って政治に介入したがる向きもいまだにあるんだそうで。
王様が分家から側室を迎えることになったのもそういう理由。一応、親戚の顔を立てるため。
っていうか、王様の場合、自身も分家の出身だったりする。
30年前に起きた「血の政変」で、本家の血を引く成人男子がほとんど全滅状態になったせいで、王位が回ってきたのだ。
本家の出身なのは王妃様の方である。2人がうまくいかなかった遠因なのか原因なのか、もちろん部外者の私にはわからない。
とにかく、クォーツの分家筋は、本家と仲が悪い。
つまり彼らは、王妃様のご子息ハウライト殿下を王位に推す貴族の派閥、「ハウライト派」には属さない。
では「フローラ派」かといえば、それも違う。
力はなくても、王家の親戚だ。そのプライドだけは、ノコギリ山の峰より高い。
彼らにしてみれば、フローラ姫は所詮、愛妾の娘。後見人の騎士団長ラズワルドとて、名家でも臣下の1人だ。
向こうから頭を下げて頼んでくるならいざ知らず、自分たちの方から派閥に加えてもらうなんてありえない。
ハウライト派とも、フローラ派とも仲が悪い。第三の派閥といえば聞こえはいいが、要するに弱小派閥なのだ。
だからこそ、エマ・クォーツは、「魔女の宴」で主催を務めることができなかった。側室になって何年たつのか知らないが、1度もその大役をもらえなかった。
「代わりに、ってわけじゃないんだろうけど、クォーツの親戚筋でもこの時期に夜会をひらくんだよ」
と、ユナが教えてくれた。
その夜会のことは、クリア姫にお借りした本にも書いてあった気がする。
通称・「淑女の宴」。
……「魔女の宴」よりもお上品な集まりであると主張しているかのようなネーミングだが、実態は違う。
「貴族版婚活パーティーみたいな感じかな……」
ユナが言う通り。
形式は仮面舞踏会で、招待客は未婚の男女に限られる。
年若い貴族のお見合い的な側面もあるらしく、杯を交わし、ダンスを踊り、親睦を深めるのが目的。
ただし、さっき王様がどうとかアクアが言っていたように、既婚者がこっそりまぎれ込むこともたまにあるんだとか。
何せ仮面で顔が見えないものだから、未婚を装って火遊びができるのだ。
開放的と言えば聞こえはいいが、どう考えてもお上品な集まりじゃない。そんな宴に、クリア姫が行けるわけないと思う。
やがて、嫌味の応酬も終わったようだ。
エマ・クォーツが離れていく。他にも、同じ分家筋の女性たちなんだろうか。彼女の後について、ぞろぞろと出口に向かっていく。
全員、「こんな低レベルな宴には居られないわ」的な雰囲気を出しているけど、アクアに嫌味を言うためだけに、わざわざ来たんだろうか。あんなお金をかけて着飾って?
……貴族の考えることってわからない。
エマ・クォーツに続いてエメラ・クォーツ様も、体調が思わしくないという理由で帰ることになった。
こちらは嫌味を言いにきたわけではなく、一応、主催者としての務めで、最初のあいさつだけでもと来てくださったのだろう。
「ごきげんよう、私の可愛い姫君たち」
名残惜しそうにフローラ姫とクリア姫の手を握って、エメラ様は会場を後にした。
だいぶ年かさの、老婆と形容してもいいようなメイドさんが車椅子を押していった。
2人の退席を見届けてから、アクア・リマがおもむろに右手を上げた。
それが開会の合図だったらしい。
会場奥の暗幕が取り払われ、燕尾服の楽団が颯爽と登場する。
流れ出す、軽快な音楽。
ヴァイオリンやフルートを奏でる楽団員たちは、全員が女性だった。
本来は男性の正装である燕尾服を着て、一糸乱れぬ演奏を披露する。その姿は、控えめに言ってもかっこよかった。
「ごゆっくり、楽しんでいってくださいね」
アクア・リマはクリア姫にそう声をかけると、フローラ姫を連れて、他の招待客の方へと行ってしまった。




