100 不安と再会1
数時間後。
私はお城の中にある控え室に移動し、クリア姫のお支度を手伝っていた。
言い替えればつまり、正装したクリア姫の姿をこの目で見るという幸運に恵まれていたのだ。
――感動した。言葉では言い表せないくらい。
もう、すっごく可愛くて、キレイで、愛らしくて。そのまま箱詰めにして持ち帰りたくなった。
いつもはおさげにしている長い金髪をほどき、複雑な編み込みにしてティアラで留めている。
真珠をあしらったティアラだ。シンプルなデザインだが、幼いながらも気品に満ちたクリア姫にはとてもよく似合う。
ドレスは叔母上様が見立ててくださったものの中から、クリア姫自身が選んだ薄グリーンのドレス。
レースの縁飾りと、小花を散らしたような刺繍が施されていて、生地には光沢があり、透き通るような透明感がある。
まるで森の妖精みたいだ。
人間のお姫様じゃなくて、妖精の王女様って感じ。
「姫様、本当によくお似合いですよ」
私は心からそう言った。
「エル……、さっきからそればかりなのだ」
クリア姫は照れている。もともと照れ屋さんな上に、私がほめまくっているせいで、照れまくっている。
うつむきがちに座っていると、長いまつ毛が瞳に影を落として、いつもより大人びて見える。
白い頬に薄化粧を施し、さっと紅を引いて。
この美しさを見て、誰がほめずにいられようか。これが私のお仕えするお姫様かと思うと、誇らしさでいっぱいになる。
カイヤ殿下にも見せたかったなあ。急用って何だろ。後で、ちょっとだけでも来られないのかな。
「姫様、本当によくお似合いですよ」
阿呆のように繰り返す私を置いて、支度を手伝ってくれた王宮のメイドさんたちが音もなく退出していく。
大事な夜会のお支度だ。さすがに私1人じゃ無理なので、ベテランのメイドさんたちが来てくれたのである。
クリア姫がドレスアップしている間、兄殿下とクロムは隣室で待っている。
ただの控え室にしては、広くて立派な部屋だった。家具にせよ調度品にせよ、窓辺にかけられたカーテンにせよ、とにかくあらゆる物が一級品。
こちらの衣装部屋も同じだ。
大きな姿見が3枚もあるし、他にも化粧道具から何から、お姫様のお支度に必要なものは全てそろっている。
家具はぴかぴか、白いカーペットの上には塵ひとつ落ちていない。白磁の花瓶に活けてあるのは、豪華な蘭の花だ。
お城の中なんだよな、と私は思った。
庶民生まれの自分が、何の因果か、こんな場所に居る。その現実を、あらためて噛みしめていた。
一方のクリア姫は、姿見にうつる自分の姿を確認、どうにか寝癖の直った前髪に軽くふれてから、
「行こう。ハウル兄様をお待たせしてはいけないのだ」
私は力強くうなずいた。
「そうですね。ハウライト殿下にも是非見ていただきましょう」
というわけで、兄君の待つ隣室へ。
正装した妹姫の姿を目にしたハウライト殿下は、
「ああ、似合っているな」
と真顔でつぶやいた。
もっとたくさんほめてあげて、という私の心の声は届くことなく、続けて彼が口にしたのは、夜会での注意点。
王族の威厳を保てとか、アクアやフローラに気をつけろとか。
事前にカイヤ殿下からも注意を受けていることだが、クリア姫は神妙な面持ちで耳を傾けている。
今回の宴にはフローラ姫の他にも、クリア姫の異母姉妹が参加する。
何しろ王様は歴代でも稀に見る女好きで子宝にも恵まれ、王女様だけでも10人以上居るのだ。
しかしハウライト殿下は、彼女たちにはいっさい近づくなと言った。
「あいさつの必要もない。向こうも近づいてはこないだろう」
さすがに少し、心が冷たくなった。
一応、血のつながった姉妹なのに。
が、「その方がお互いのためだ」という殿下の言葉には実感がこもっていて、私は考えを改めた。
変に目立たない方が幸せ、ってこともあるかな。
ハウライト殿下やカイヤ殿下は、先々代の国王陛下の血を引く王妃様のご子息で、否応なしに目立ってしまう立場だった。そのせいで、色々と苦労もあったみたいだし。
「他の出席者とも親しく会話する必要はない。……が、五大家だけは別だ。くれぐれも問題を起こさないようにな」
ハウライト殿下の注意は続いている。
私はここ数日の間に仕入れた知識を頭の中でおさらいした。
五大家とは、王国で最も古く、家格も高い貴族家のこと。
ラズワルド、レイテッド、ギベオン、オーソクレーズの四家だ。
だったら四大家じゃないか、というツッコミはしないように。もとは五家だったのだ。
残るひとつの家は、30年前の政変で凋落したとかで、表舞台には出てこられないらしい。
で、その数が足りない五大家の中で、最も実力と格式があるのが、ラズワルドとレイテッド。
前者は言わずもがな、騎士団長の家だ。武闘派の家柄で、代々、軍事面から王国を支えてきた。
一方のレイテッドは商売に明るい。良質な宝石が採れる鉱山をいくつも所有している、王国一の大富豪である。
わりと対照的なこの両家は、わりと犬猿の仲でもあるらしい。
代々の継承争いの陰には、必ず両家の争いがあると言われるほど、長きに渡って対立してきた。その原因は。
家格も歴史も同程度で、古くから張り合ってきたから。
言ってしまえばそれだけらしいのだが、だからこそ逆に、対立の根は深い。
長年、王国を支えてきた両家の間では、それだけ多くの血が流されている。互いが互いのカタキのようなもの。
たとえば、現・騎士団長の父親はレイテッドに暗殺されたとか、レイテッドの先代当主が体を壊し、まだ若い息子に跡目を譲ることになったのは、ラズワルドが毒を盛ったせいだとか。
あくまで噂レベルで証拠はないそうだが、とにかく枚挙に暇がないほど、そういう例があるらしい。
両家の争いをネタにした小説もある。そちらは、まだ王都に来る前に読んだことがある。何百年も前の小説家が書いた、有名なミステリーの古典だ。
その小説の中でも、ラズワルドの当主は騎士団長で、レイテッドの美しき女当主と、血に濡れた陰謀合戦を繰り広げていた。
人はバタバタ死ぬし、基本的に悪人しか出てこないが、お話としてはけっこうおもしろい。
レイテッドの末娘と、ラズワルドの末弟の切ないロマンスもある。
もちろん悲恋で、バッドエンドだ。
家族をラズワルドに殺されたレイテッドの末娘が、愛する人の心臓をナイフで一突きにして、「これが私の愛だ」と叫ぶシーンなんてかなりの迫力だった。
私が本の世界に浸っていると、控えめなノックの音がした。
「失礼致します」
ドアの向こうから聞こえたのは、渋く艶やかな美声。
名乗らなくてもわかった。近衛副隊長のクロサイト様だ。
「入れ」
ハウライト殿下が言う。
すぐにドアが開いて、白い制服に身を包んだクロサイト様が現れた。
小説の彼は抜群にかっこいいが、実物のクロサイト様もやっぱりかっこいい。二枚目ってわけではないんだけど、誰もがハッと息を飲むような存在感がある。
「連れて参りました」
その後ろから、もう1人。青い制服姿の女性が部屋の中に入ってくる。
驚いた私は、とっさに名前を呼んでしまった。
「ユナさん?」
「や、久しぶりー」
向こうもこちらに気づいて、手を振ってくる。
ユナ・リウス巡査。
警官隊の創始者ジャスパー・リウスの直系で、自身も警官隊の一員。そしてハウライト殿下とカイヤ殿下の幼なじみでもある女性だった。