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8.志織

 農作物を育てる上で障害となりえるものとして、害獣被害がある。

 その被害額は年間で一六〇億を越えるそうだ。

 獣種別に被害状況を見るとシカが最も多く、それに次いでイノシシ、サルと続く。

 対策として畑をトタンや防獣ネット、金網フェンスで囲うという手段がある。

 だが現状、どの手段も一長一短であり、完璧に被害を抑えるには至っていない。


 柵を建てる理由として、害獣被害を抑えることの他に境界線を視覚的に示すという目的がある。

 土地をめぐる問題は古来より続く事象であり、柵はその対応にも一役買っているというわけだ。


 獣だけでなく、人からの被害も防ぐ柵を見ていると、人も所詮獣とかわりないのではないかと思えてくる。

 理性という名の枷が外れると、己の欲望のままに動き出す。

 生きるために必死な野生の獣と異なり、なまじ生活が安定している分人間の欲望は厄介だと言えるだろう。

 何せその欲望の進む先は己の生命維持ではなく、快楽なのだから。

 アルコールやギャンブルなど様々な中毒が存在していることからも分かる通り、人間という生き物は滅法快楽に対する耐性が低い。

 一度その快楽を知ってしまうと、また味わいたいという欲求に歯止めがきかなくなる。


 それはなにも中毒のような疾患に限った話ではない。

 例えば信号無視などがそうだ。

 一度信号無視をしてしまうと、赤信号で立ち止まっている時間が無駄に思えてしまい、気がついたときには信号無視が当たり前になっている。

 自身で安全が確認できれば、極論信号など必要ないだろう。

 しかしながら人間は慣れていってしまう。

 初めはしっかり確認していたとしても、信号無視を毎日続けていく内に、やがて確認がおろそかになる日が来るのは火を見るより明らかだ。

 そうならないように人間社会には快楽の一歩目を阻止するための数多のルールが存在する。

 このルールが適切かどうかはさておき、少なくとも遵守している間はその快楽を知らずにすむ。


 ただ、ルールというものは何かが起こってから作られるのが常である。

 そうなるとルールが出来る前にその快楽を知ってしまっていた人にとって、ルールを守るという行為はあまりにも残酷な仕打ちといえるのではないか。

 しかしそれでもその苦痛を理性で覆って表に出さないのが人間である。

 覆ったからといって外から分からないわけではないのだが。


 ◇


「紐本君、今日は園芸部の手伝いに行くよ」


「理2-3」教室へ入ると挨拶もそこそこに結依が言った。


「園芸部ですか?

 ああ、前に言っていた柵作りですか?」


「そうだ。

 実は園芸部に友人がいてね。

 去年はその繋がりで手伝わせてもらったんだ」


「なるほど。

 でも先輩、俺今日ジャージ持ってきてないんですけど。

 流石に制服を汚すのはちょっと」


 自身の体を見下ろしながら言う。

 予備の制服も一応家にあるにはあるが、クリーニングに出さなければいけないことを考えるとあまり積極的に汚したくはない。


「心配しなくていいよ。

 私達がやるのはあくまで畑の周りに打ち込まれた杭にロープを巻くだけだから。

 手は汚れるかもしれないが、泥だらけになることはないよ」


「それならいいですけど。

 もう行くんですか?」


「そうだな、行こうか。

 向こうがどれくらい準備が進んでいるかわからないが、まあ雑談でもしながら待つとしよう」



 現在園芸部の使用している畑はグランドの脇にあるらしい。

 どうやら園芸部の歴史にも栄枯盛衰があり、活発だった頃は部員も多く近所にあった園芸部専用の畑で活動していたこともあったらしい。

 しかしながらここ数年は新入部員の入部も少なくなり、畑の維持が困難となった。

 そして放置気味だった畑を学校側は不要と判断して、学校行事で使うものなどを保管する倉庫を建ててしまったらしい。

 活動場所を追われた園芸部は学校側に交渉し、どうにかグランドの隅の使用許可を勝ち取ったそうだ。

 だが、グランドは当然ながら農作業に適した土とはいえない。

 そこで当時の園芸部員は手作業でグラウンドを耕し、土を入れ替え、苦労の末今の形に落ち着いたようだ。


「あそこだ」


 結依の指差す方を見ると、まだ肌寒い中、ジャージで作業をする数人の生徒が目に入った。

 彼らが園芸部の部員なのだろう。

 畑はみたところ5m四方といったところか。

 あまり広くはないが、部活という限られた時間の中、数人の部員で管理するにはこれくらいで十分なのだろう。


「志織、来たよ」


 結依が声をかけると鍬を運んでいた生徒の一人が顔をこちらに向けた。


「結依!

 いらっしゃい。

 態々ありがとうね」


「こちらからお願いしたんだ。

 お礼を言うのはこちらの方さ。

 手伝わせてくれて助かるよ」


「手伝いに来てくれた人に礼を言われるのは変な感じね。

 で、そっちの彼は新入部員かしら」


「ああ、紐本君だ」


 志織に会釈をすると、柔和な笑みを浮かべながら返してくれた。


「まさかヒモ部に新入部員が入るとは思わなかったわ。

 結依、勧誘しないって言ってたし」


 志織のストレートな物言いに思わず苦笑する結依。


「私も同意見だけどね。

 去年はずっと一人だったから、誰かと部活動をする楽しさを二年目にしてようやく知ったよ。

 ……そういえばきいてなかったけど、紐本君はどうしてヒモ部に入ってくれたんだい?」


 結依の質問に息が詰まる。

 まさか本当のことを言うわけにもいくまい。

 結依に恋慕の情を抱き、近づきたくてヒモ部に入部しただなんて。


「たまたまヒモ部の勧誘チラシをみかけたからです。

 聞いたことのない部活だったので興味が湧いて」


「そうか。

 まあ、なんにせよ、紐本君が()()とはいえヒモ部に興味を持ってくれたことに感謝だな」


「折角入ってくれた新入部員なんだから大切にしなさいよ」


「勿論さ」


「どうかしら。

 結依はヒモのことになると周りが見えなくなるから。

 気がつかない内に紐本君に迷惑かけたりしてるんじゃないの?

 愛想尽かされて退部したりして」


「そ、そんなことはない、はずだ。

 そうだよな、紐本君?」


「はい。

 先輩にはいつも優しくしてもらってます。

 退部なんてしませんよ」


「ほら、大丈夫だろう」


「なら良かったわ」


 少し安心したような表情の結依と、それを微笑ましそうに見つめる志織。

 創の言葉に嘘はない。

 ただ、それが全てではないだけだ。

 創が入部したのは偶然などではないし、愛想を尽かすなどありえない。

 もはや盲信とでも言うべき結依への情。

 それほどまでに創が結依に依存しているということを彼女は知らない。


「お二人は仲が良いんですね」


「ああ、そうだな。

 志織とは高校に入ってからの仲だが、不思議と馬があってな」


「結依ってキリッとした見た目をしているせいか、何となく話しかけにくくて入学したての頃は浮いてたのよね。

 中身はこんななのに」


「おい、そういうのは話さなくていいだろう!

 というかこんなってなんだ!」


「いいじゃない、別に。

 減るものでもないんだし」


「減るだろう!

 こう、先輩としての威厳とかそういうのが」


「その発言をしちゃう時点で、ボロが出るのは時間の問題だったと思うけどね」


「うっ」


 こんなにあたふたしている結依をみるのは初めてだ。

 創の前ではいつも頼れる先輩だが、やはり結依も普通の高校生なのだろう。

 友人をからかい、からかわれ。

 素の自分を曝け出す。

 自分でも結依に対して理想を重ねてしまっている部分があることを否定できない。

 半年間思い出の中でしか会えなかった結依は、再会を果たしてもやはり凛々しくて。

 それが結依の全てだと思い込んでいた。

 思い描いていた姿と異なる姿を目にして熱が冷めたかというとそんなことはない。

 むしろ知らない一面を知ることができて歓喜しているくらいだ。

 ただ、その一面を引き出したのが自分ではないという事実がやるせないだけで。

 志織は友人なのだ。

 つい数日前に後輩になったばかりの創とは、結依と共有してきた時間の長さが違う。

 創の知らない一面を知っていたって当然だろう。

 そんな志織に対してこんな感情を抱くのは間違っている。

 それは十分承知している。

 ただそれでも、沸き上がってくるこのどろどろとした感情が自分の中に蓄積していくのを止めることはできそうになかった。






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