7.十字型結び
座禅という修行がある。
名前くらいは誰でも聞いたことがあるだろう。
姿勢を正して坐した状態で精神統一を行う、禅宗を発端とした仏教修行だ。
雑念が起こっても生ずるにまかせ、滅するにまかせて取り合わず、あくまでも自己をみつめるという信念のもと行われる。
座禅を行う目的は宗派によって異なるが、主に自我を極力排除して、外界を全感覚で感じとる「無」の状態になり自身の境地へ向かうこととされている。
座禅にも種類があり、壁に向かって座禅を組む曹洞宗のものと、お互いに向き合って座る臨済宗のものだ。
どちらが良いのかはわからないが、今創が行っているのは曹洞宗式の座禅、つまり面壁してのものだ。
座禅といっても座っているのは椅子だが。
白里高校へ入学して、数日が経つ。
新入生もそれぞれ部活を決め、新たな交友を築き、輝かしい高校生活を謳歌し始めていた。
創も「ヒモ部」という風変わりな部活に入部した。
その事自体に不満など全くない。
何せ探し求めていた人物、結依と同じ部活に所属することができたのだから。
ただ、新入部員が創しかいなかったという事実が、間接的に創の学校生活を居心地の悪いものへと変えてしまった。
新たな環境で友人を作る手段の1つとして、同じ部活に所属する者同士で仲良くなるという安易でありながら確実な方法がある。
同じ部活に所属する時点である程度の性格の一致が見込める為、初手からすれ違うなんてことはあまりない。
現にクラスを見渡しても、話しているのは同じ部活に入ったもの同士であることが多い。
ただ、それが全てではない。
同じ部活に所属することと同格の手段が存在する。
それは席順に由来する。
席が近いということはそれだけで話しかけるきっかけとなり得る。
授業間の小休止なんかに少しおしゃべりをするにはもってこいの相手だ。
同じ部活に友達はできなかった創だが、クラスで作ればいいと思っていた。
しかし、何の因果か創は席順に恵まれなかった。
入学直後ということもあり、席順は窓側の一番前の席から五十音順になっている。
創の名字である紐本は、は行である。
何となく分かると思うが、は行は比較的後半に位置する名前だ。
創の席も廊下側の一番前だった。
この時点で創の席の周りというのは後ろと左隣とその後ろの3席となる。
ここまではまだいい。
問題はこの3席が全て女子で占められているということだ。
女子とだって目が合えば挨拶位するし、授業のちょっとした質問だってする。
ただそれだけだ。
とてもではないが、友達と呼べるような関係になれる気がしない。
基本的に皆同性同士で仲良くなる。
それはそうだろう。
異性と友情という情のみを育むというのは、多感である高校生には難しい。
創の周囲の席の女子もその例に漏れず、女子同士で仲良くしている。
そうなると創は休み時間など、一人で過ごすしか選択肢がなくなる。
創には何のきっかけもなく席を立って他の男子に話しかけることができるようなコミュニケーション能力はない。
そんなものを備えていたらこんなことで悩んだりなどしない。
孤独を紛らわせる為に、正面の壁に向かって姿勢をただし、穏やかな呼吸を繰り返す。
(高校にだって席替えくらいはきっとあるはずだ。
そうすれば友達だって)
意識すればするほど余計なことを考えてしまう。
無の境地に辿り着くのは容易ではなさそうだ。
◇
漫然と過ごしていても時間は過ぎて行く。
本日最後の授業が終わり、待ちに待った放課後がやってくる。
今すぐにでも結依に会うため部活へと行きたいところだが、残念ながらそうもいかない。
何せ放課後には持ち回りで掃除があるからだ。
クラスごとにそれぞれのホームルーム教室と割り振られた担当の場所を掃除しなければならない。
幸いというべきか、創の本日の分担場所はホームルーム教室だった。
ホームルームが終わり、教室を出ていくクラスメートたちを見送ってから机を運び始める。
教室掃除担当は6人いるが、創以外の面々はそれぞれ楽しそうに雑談しながら掃除をしている。
席が近いのか、部活が同じなのかわからないが、新しい環境ですぐに仲良くなれるのは凄いと思う。
いったいそのコミュニケーション能力はどこで身に付けるのだろうか。
創とて人付き合いは嫌いではないのだが、どうにも誰かと仲良くなるための一歩を踏み出せない。
そう考えると、結依と先輩後輩とはいえ良好な関係を築けているのは、創のコミュニケーション能力を加味すると割と幸運だったのではないかという気がしなくもない。
どうにも居心地が悪いので、ごみ捨てを買って出る。
ごみ捨て場所はそれなりに距離がある為、今から行けば掃除の終了時刻まで教室に戻らなくても大丈夫なはずだ。
両手にゴミ箱を持ち、廊下を進む。
廊下の掃き掃除をしている生徒の邪魔をしないよう、掃く速度を見極めながら通りすぎる。
その時、少し前で一人の女子生徒が盛大にプリントを撒き散らかした。
ごみ捨て場に向かっていたのだろう。
どうやら縛り上げていたヒモがほどけてしまったらしい。
慌ててプリントを拾い集める女子生徒。
流石に無視するのは良心が痛むので、創もゴミ箱を置いて拾うのを手伝う。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「いえ」
それだけ言うと、創はゴミ箱を持って歩きだした。
とくに何かあるわけではない。
プリントを拾っただけなのだから当然だ。
だがこんな小さな善行に対してでさえ、何かしらの見返りを求めてしまう自分がいる。
具体的に何か欲しいものがあるわけではない。
そもそも逆の立場だったとして、創だってこんなことで相手に何かを返そうとは思わない。
それでも自分の時間を割いて手伝ったのだから、その労力分は報われないと自分の中で折り合いがつかない。
善行をしたというのに、得られたのは醜い自分に対する嫌悪感だけ。
そうなることも珍しくない。
ただ今回はお礼を言われた。
労力の対価としては十分だろう。
嫌悪感を対価で中和していく。
面倒くさい奴だと自嘲する。
こんな中身を結依にしられたら、嫌われてしまうだろうか。
もしそうなったら高校生活は完全に孤独だ。
現状否定しきれない未来を想像し、背筋を震わせた。
◇
ごみ捨て場でゴミ箱の中身を空にし、来た道を戻る。
すると先程の女子生徒がまだ廊下に留まっているのが目に入った。
(何をやっているんだ?)
よく見るとプリントの束を結び直しているらしい。
ただ、上手く結べず悪戦苦闘しているといったところか。
別に運べさえすれば、最悪ひもで結ぶ必要はないと思う。
ただ、元から結んであったものをほどけた状態で運ぶことに抵抗があるのだろう。
融通がきかないとは思うが、その気持ちはわからないでもない。
これが先輩だったら相手の面目を考えて話しかけないところだが、リボンの色は緑、つまり1年だった。
さっきは手伝ったのに、今回無視するのは道理に反するだろう。
いや、違うか。
結依に教わったひもの結び方を活かせる機会が出来て嬉しいだけなのかもしれない。
見返りはこの機会だけで十分だ。
「大丈夫?
結ぼうか」
しゃがみこんで結んでいた女子生徒はハッと顔をあげた。
「さっきの……。
ごめん、お願いしても良いかな」
「ちょっと貸して」
結依に教わったことを思い出しながらプリントの束に紐を巻きつける。
サイズ的に『十字型結び』で問題ないはずだ。
『十字型結び』は先日、教材を運んだ際に使用した『井の字型結び』の簡略版だ。
これなら問題なく結べる。
結依から教わったことは家に帰ってから反復練習している。
そのお陰か、手際はなかなか洗練されたものになっており、ものの数秒でひもを掛け終わる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。
こういうの結んだことなくて、本当に助かっちゃった」
「気にしないで。
俺も実践出来て丁度良かったし」
「実践?」
「いや、なんでもない。
じゃあ」
スッと立ち上がると、教室へと向かう。
中身を捨てただけでゴミ箱はかなり軽くなるということを知った。