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6.井の字型結び

 他人の為に何かをする。

 その行為は人間社会というコミュニティで円滑に生きるために必須といっても過言ではない。

 しかしながら、それは必ずしも善意から行われるものではない。

 多くの場合、その行為を行うことで自分に何らかの利益がある、あるいはそれらと表裏の関係として不利益を避けられるという利己的な感情が垣間見える。

 相手によく思われたい、認められたいという承認欲求と、その感情の裏で関係を険悪なものにしたくないという孤独感がある。

 たとえそれが家族や親しい友人との間であっても、だ。

 大小差はあれど、誰しもが他人へ差し出す手のひらの裏に己の薄暗い欲求をひた隠しにしている。

 いっそ醜悪とも呼べるその感情を互いにさらけ出すことは無く、思いやりという名の偽善によって丁寧にラッピングされた状態で相手へと渡る。

 それが悪いことだとは思わない。

 欲を無くした人類など、瞬く間に滅び去るに違いない。

 いわゆる善人とは己の欲求を如何に巧く隠し、相手に悟らせないかを極めた人間だと言えるだろう。

 こうして偽りの善意によって社会は回っている。


 このような社会の動きは当然ながら学生間にも存在する。

 例えば「ノートを貸して」と言われれば、瞬時に貸したときのメリットを計算する。

 飲み物を奢って貰おうだとか次はみせて貰おうなど物質的な見返りから、仲を深めよう、好感度を上げようなど潜在的な孤独に由来する欲求などがそれだ。

 創とて勿論その例外などではなく、むしろ己の利のために進んで善意という名の偽りの仮面を着ける。


 ◇


「お疲れ様です」


「やあ、紐本君。

 お疲れ様」


「理2-3」と印字されたプレートが掲げられている教室に入ると、既に結依が来ていた。


「来るの早いですね」


「ああ、私のホームルームはこっちの棟だからね。

 それに担任も無駄話はしない人だから」


「なるほど」


 全ての授業が移動教室である白里高校であるが、ホームルームは放課後に決まった教室で行われている。

 ちなみに創のホームルームは「文2-5」教室なので、「ヒモ部」の活動場所である「理2-3」へは2階の渡り廊下を通って移動する必要がある。


「今日は何をするんですか」


「それなんだが、入部していきなりで悪いが少し手伝って欲しいことがあるんだ」


「大丈夫ですよ。

 何をするんですか」


「顧問の先生に荷物運びを頼まれてしまってな。

 私一人では少し大変そうで。

 男手があると助かるんだ」


「それくらいならいくらでも手伝いますよ。

 遠慮せずこき使ってやってください」


「ははっ、ありがとう。

 でもこき使ったりはしないよ。

 漸くできた部活の仲間だからね」


 仲間、か。

「来るものは拒まず」と言っていた結依にとって同じ部活の仲間とはどれ程の存在なのだろうか。

 こうして先輩の頼みを聞いていけば、少しは近づけるのだろうか。

 憧れの存在に感謝の言葉をかけられたというのに、創は曖昧に微笑むことしかできなかった。




 結依の後について教室を移動する。

 向かった先は理系棟三階にある化学準備室だった。


「顧問の高橋先生は物理の先生なんだが、どうも授業で使うために購入した資料が手違いで化学準備室の方へ届けられてしまったようでね。

 それを物理準備室まで運んで欲しいそうだ」


 化学準備室と物理準備室は同じ理系棟の三階に存在する。

 ただ、化学準備室が廊下の北端に位置しているのに対し、物理準備室は南端に存在している。

 要するに廊下の端から端まで資料とやらを運ばなくてはいけないようだ。

 創の目の前には資料が入っているのであろう段ボールがいくつか積まれている。

 試しに一番上の段ボールを持ち上げようとしたのだが、


「うっ、重っ」


 予想外の重量感に思わず、ふらついてしまう。


「顧問の先生はこれを先輩一人に運ばせようとしたんですか」


 どうにか創一人で持ち上げることはできるが、これを運びながら廊下を何往復もしなくてはならないことを考えると少し憂鬱になる。

 凛々しい結依ではあるが、体格は創より小さいし、力も見た目相応だろう。

 とてもではないが、結依が一人で運べるとは思えない。


「初めは高橋先生が運ぼうとしたみたいなんだが、そのときに腰を痛めてしまったようでな。

 流石に先生も私一人では無理だと思っていたようだが、紐本君が入部したことは伝えてあったからな。

 男がいるなら大丈夫だろうって」


 確かに男ではあるが、創はこれといって運動をしてきたわけではない。

 なにもしていない女子よりは力があるとは思うが、荷運びの戦力としては力不足を否めない。


(こんなことなら筋トレでもしていれば良かった)


 折角結依に恩を売るチャンスが巡ってきたというのに、この体たらく。

 これではむしろ男として貧弱だと思われるのではないか。

 恩を売るどころか、株が下がる可能性すらある。

 いや、まだ終わっていない。

 持ち上げることはできたのだ。

 時間はかかるが運べないことはないはずだ。

 創は深く息を吐き、気合いをいれた。


「それじゃあ、運んじゃいますね」


「待ってくれ。

 流石に一人で運ばせたりはしないよ。

 二人で持てばいくらか楽になるだろう」


 初めての共同作業。

 そんなワードが脳裏をよぎるが、慌てて追い払う。


「では先輩はそっち側を持ってください」


「まあ、待て。

 私達が何部か忘れたのかい」


「ヒモ部ですけど……」


「そうだ。

 なら、ヒモ部らしく縛って運ぼうではないか」


 言うや否や、結依は鞄の中から直径1cm程のヒモを取り出した。

 荷物を運ぶのになぜ鞄を持ってきたのか疑問だったが、なるほどそういうことか。


「今回は『井の字型結び』にしようと思う」


「井の字、ですか」


「そうだ。

 結べばわかるが、これは井の字の形にヒモを掛けるからこう呼ばれている。

 井の字型結びは今回のような大きな荷物を縛るのに適している結び方だ。

 掛けたヒモが持ち手になるから、格段に運びやすくなる。

 ちなみに荷物の大きさに応じて『キの字型結び』や『十字型結び』にしても良い。

 結び方は殆ど同じだから、覚えておくと便利だぞ」


 十字型結びはなんとなく分かる気がする。

 よく雑誌などをまとめる時に用いられる結び方のことだろう。

 見たことはあるが、正直どうやって結んであるのか想像できない。

 自分で結んだことがないというのが一番の理由だろう。

 何なら二本のヒモで結んであるのではないかと、未だに思っていたりする。


「まず荷物の長辺に一巻きしたヒモをカギ型、つまり交差させて90度に引っ張って裏に回し、短辺を通してもう一度カギ型に引っかける。

 端を裏に回し長辺を一巻きして、もう一方の端とカギ型に交差させる。

 この時に裏側の交差部も処理するとより安定するが、まあ今回はいいだろう。

 最後に裏に回して短辺を一巻きし、もう一方の端と結び合わせると……、ほらできた」


「なるほど、確かに井の字型ですね」


「最後の結び目は『かます結び』なんかにすればほどける心配もないが、今回は『本結び』で構わないだろう。

 本結びでも両端を元側にそれぞれ一結びしてやれば十分だ」


「それ、本結びって言うんですね」


 段ボールの角にできた結び目を指差す。

 よく使う結び方だが、名前があったのか。


「ああ、『リーフ・ノット』ともいう。

 最も基本的な結び方だろうな。

 さて、それじゃあ運ぼうか」


 それぞれ段ボールの短辺側に立つとヒモを掴んで持ち上げる。

 単純に重さが分散され、一人で持上げたときよりも遥かに楽だ。


「直に持つと持ちやすい場所を探したり手が滑ったりで大変ですけど、取っ手があるだけでかなり違いますね」


「そうだろう!

 紐本君も少しはヒモの魅力に気がついてきたんじゃないかい」


「あははは」


 結依と横並びになって廊下を歩く。

 これが今の二人の距離なのだろう。

 手を伸ばせば届きそうで、しかし伸ばすことはできなくて。

 その手は温かいのだろうか。

 確かめることすらできない答えを、握りしめたヒモに問いかけた。






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