4.出縄結依
翌日、早速始まった通常授業を終え、創はヒモ部へと向かった。
チラシによるとヒモ部が活動しているのは理系棟の空き教室らしい。
白里高校には理系棟と文系棟が存在する。
その為生徒は1階と2階の渡廊下を介して繋がっている2つの棟を移動しながら授業を受けることになる。
1年の内は基礎科目があるため頻繁に移動する必要があるが、学年が上がり文理選択をするとそれも落ち着くらしい。
放課後の喧騒を聞きながら理系棟へと向かう。
(活動しているのはこの教室か)
創は「理2-3」と印字されたプレートを見上げる。
理系棟2階3番教室だ。
教室の扉は締め切られている。
耳を澄ませてみるが、喧騒に掻き消されて中の様子はわからない。
扉を確認するが、ヒモ部のヒの字も見当たらない。
活動場所とはいえ、普段は授業で使う教室を部のものとして示すことはできないのだろう。
廊下から確認できれば良かったが、そうもいかないようだ。
(仕方ない、入るか)
1つ深呼吸をしノックする。
そういえば入試の面接対策でノックの回数について調べたなと思い出す。
国際的には4回だとか、日本では3回がマナーだとか、2回でも構わないだとか結局よく分からなかったが。
「失礼します」
経年のせいか少し抵抗のある扉をガラガラと音を立てて開ける。
西日が射し込む教室を見渡し、息が止まった。
「おや、入部希望者かい?」
この半年、彼女の事を考えない日はなかった。
凛とした表情、涼しげな瞳。
間違えるはずがない。
見つけた。
「どうかしたかい?」
入り口に突っ立って固まっている創を心配した彼女が再度言葉を発する。
「いえ、何でもないです。
俺、紐本創って言います。
入部希望です」
心の準備ができていなかった。
まさかこんな得体の知れない部活で出会うことになるとは。
彼女を視界に捉えたときに自身の内側で突如として荒れ狂った感情の奔流はいったい何なのだろう。
再会の喜びか。
それとも恋慕の情か。
――――――あるいは身勝手な失望か。
「おおっ!
そうかそうか、ついにうちにも入部希望者が来たか!
私は出縄結依。
このヒモ部の部長だ」
(出縄結依……。
彼女の名前)
心の中で幾度となく反芻する。
魂に刷り込むように何度も、何度も。
「ところで紐本君、入部は大歓迎だがこの部が何をしているのか知っているのかい?」
「い、いえ。
知らないです、すみません」
昨日適当に選んだだけなのだ。
廊下から覗くだけの予定だったので、下調べもしていない。
「いや、気にするな。
知らなくて当然だ。
むしろこの部に辿り着けただけでも素晴らしいよ」
カラカラと笑う結依。
その表情からは一点の濁りも見つけられなくて。
見ているだけで心が痛んだ。
「ヒモ部は文字通りヒモを部活動の中心に据えた部活だ」
「……つまり、どう言うことでしょうか」
「はっはっは。
まあ、そう慌てるな。
折角の新入部員だ、もてなすよ。
コンビニで買ったお茶とお菓子だがね」
結依は教室の机を2つ向かい合うように移動させると、その上にビニール袋を置いた。
「座ってくれ」
「失礼します」
促されるがままに結依の向かいの席に腰を下ろす。
こうして向かい合っていると本当に再会することができたのかと感慨深く思う。
「どうぞ」
ボーッと結依を見つめている間に歓迎の準備ができたようだ。
机の上には菓子の袋が開けられており、創の前にはご丁寧にコースターの上に置かれたペットボトルのお茶が用意されていた。
「ありがとうございます。
頂きます」
意地汚いと思われない程度に菓子に手を伸ばす。
訪問先でお茶を出されたときのマナーはどうだったか。
そんなことを気にする辺り、どうやら自身で思っている以上に結依に嫌われたくないと思っているらしい。
「そんな緊張しないで、リラックスしな。
お菓子だってほら、遠慮しなくて良いから」
結依に指摘され、気恥ずかしさが込み上げる。
あの涼しげな瞳で見つめられると、緊張どころか拗らせた恋慕の情まで見透かされそうだ。
(それだけは駄目だ)
いつかは深い関係を築きたいという薄汚れた願望があることは認める。
だがそれは決して今ではない。
創が望んだのは彼女に近づくことであり、それは離れるリスクと表裏一体であってはならない。
今の創にとって結依の存在は原動力であり、心の支えだ。
結依に会うためなら何だって頑張れた。
どんなことにも耐えられた。
もしこの赤の他人から部活の後輩にまで急速に縮まった関係が、突然崩れ去ってしまったとしたら。
過剰に揺さぶられた心は耐えられるだろうか。
創はお茶を一口含むと、口内に残っていた菓子を流し込んだ。