10.鍬さばき
「志織先輩、戻りました。
どこから始めれば良いですか?」
「ありがとう。
それじゃあこの辺りからお願いしてもいいかな」
「わかりました」
「あっ、そうそう。
はい、これ」
そう言って志織は一組の軍手を渡した。
「ありがとうございます」
創は軍手をはめ、小屋から持ってきた鍬のうち一本を畑の脇に置くと早速耕し始めた。
構えた鍬を顔の高さまで持ち上げると、そのまま畑に振り下ろす。
サクッという確かな手応えとともに金具部分が地中に飲み込まれる。
土を混ぜるようなイメージで鍬を掘り起こす。
鍬の幅分だけ横に移動し、同じように耕す。
だいたい幅70cmくらい耕したところで前進し、後はその繰返しだ。
黙々と鍬を振り下ろす。
こういう作業はリズムが大切だ。
一定のリズムを保つことで疲労も体への負担も軽減できる。
「お待たせ。
おお、紐本君。
中々板についているじゃないか」
顔を上げると学校指定のジャージを着た結依の姿があった。
そういえば制服以外の姿をみるのは初めてかもしれない。
「ありがとうございます。
ウチ農家で時々手伝ったりするので」
「そうなのか」
まあ、農家といっても昔ほど鍬を使う機会は多くない。
紐本家の場合畑を耕すのは専らトラクターの仕事で、鍬を使う機会など精々マルチの端に土をかけたり、ちょっとした穴を掘ったりする時くらいなものだろう。
なので創とて鍬を手にした機会などたかが知れているのだが、それでも結依に褒められて悪い気はしない。
「さて、では私も始めるか」
そう言って結依は創の左後方で鍬を振り下ろした。
創に板についてると言っていたが、結依の姿も堂に入っていると思う。
少なくとも初めて鍬を握った感じではない。
「先輩も鍬を使ったことあるんですか?」
「去年も何度か手伝わせてもらったからな。
久しぶりだが、何となく体が覚えているものだな」
結依は返事をしながらも軽快なテンポで鍬を振り下ろしていた。
創も前を向くと自分の作業に戻る。
進行方向を向きながら耕すと必然的に後から来た結依の姿を見ることができない。
(後退しながら耕せば良かった。
そうすれば作業中の先輩を自然に見ていられるのに)
耕す際、前進するのと後退するのでどちらが良いかは一概には言えない。
前進は耕す土の量をコントロールしやすいというメリットがある一方、耕したところを歩くので多少足場が不安定になりやすい。
後退のメリットとして一度に多くの土を耕せる一方、耕した土がまだ耕していない土の上に乗りやすく負担が大きい。
一般的には前進派が多数を占めそうだが、結局は状況によりけりだろう。
特になにも考えず前進しながら耕していたが、こんなことなら後退しながら耕すべきだった。
今更向きを変えるのは不自然だろう。
惜しいことをした。
背後で聞こえる結依の作業音を聞きながら後悔に浸る。
「そういえば先輩。
1つ聞きたいことが」
鍬を振り下ろしながら尋ねる。
「どうした?」
「柵って去年も作ったんですよね。
どうしてそのまま設置しておかなかったんですか?」
設置の手間を考えると態々撤去する理由がわからない。
トラクターなんかを使うならともかく、園芸部は全て手作業だ。
柵が作業の邪魔になるとも思えない。
「ああ、それはだな。
まあ、正直にいうと設置したままでも良かったんだが、私はヒモ部だからな。
材質にもよるが、屋外にヒモを放置しておくのは劣化の原因となりえる。
風雨や紫外線、それにこの辺りだと冬場の凍結なんかもヒモの劣化に繋がる。
ヒモの隙間に砂が入るのも駄目だ。
ヒモ部としてはヒモを大切に保管するのも部活動の内だからな。
今年も柵作りを手伝う代わりに畑を使用しない時期は柵を撤去する許可をもらった。
ヒモだってタダではないし、園芸部としてもヒモの長持ちは望むところだろう」
ヒモの劣化や保管なんて考えたこともなかった。
一般的に使用されるヒモは特段高価というイメージはないし、そもそもヒモなんて消耗品だと思っていた。
だが確かに高校の部活レベルの部費なんてたかが知れているし、園芸部も無駄な出費は避けたいだろう。
園芸部が一方的に得をしている気がしなくもない。
だがヒモ部という部の特性を考えると、実技の場を得られると思えばWin-Winと言えなくもないだろう。
それからはただ黙々と鍬を振り下ろした。
園芸部の4人とヒモ部の2人の計6人にかかれば、10m四方程度の畑を耕すのにそう時間もかからなかった。
一段落する頃には早苗も戻ってきていた。
鍬を置き、背筋を伸ばす。
パキッっと背中から小気味の良い音がなる。
鍬の柄や掘り起こした土で制服を汚さないよう気を付けていたせいだろうか。
変に力を入れていた為、腰が少し痛かった。
ともあれこれで漸くヒモ部の部活に取りかかれる。