荒れ地に行こう(2)
魔獣は口元をヒクつかせながら、瑠璃とカインをねめつけていた。
見た目は犬のようだ。だが犬と違うのは、その巨大な姿と、体に青緑色の鱗がびっしりと生えていることだった。小さなうなり声が広間に響き、二人の人間をにらみつけている。まだうなり声は警戒の色を帯びてはいないが、確実にその姿は捉えられている――そう確信しても良い状況だった。
瑠璃は硬直し、カインは咄嗟に前に出て槍に手をかけた。
二人と一頭は、しばらく膠着状態に陥った。たった数秒、あるいは十数秒程度のできごとなのに、ひどく長い時間が経ったように思える。
だがそんなにらみ合いのすえ、視線を外したのは魔獣のほうだった。
不意に視線を外すと、のそのそと頭の位置を直し、巣とおぼしき場所で丸くなったのだ。巣といってもその場所だから逃げたわけではないのだが、大人しく退いたといってもいいだろう。その耳はときおりぴくりぴくりと動いたものの、道は空けられたようだった。
「と……通っていい感じ?」
「……そのようです」
瑠璃は引きつりながら。
カインは警戒を続けながら。
二人はこそこそと言葉を交わすと、魔獣の機嫌を損なわないうちにさっさと通り抜けてしまうことに決めた。
小走りに広間を通り、向こう側の通路へと抜ける。
二人は一旦立ち止まると、呼吸を整えた。
カインはもう一度広間の向こうを見てから言った。
「……追ってもこないようです。大丈夫そうですね」
それから振り返って見ると、途端に目を瞬かせた。
いつになく神妙な顔をして突っ立っている瑠璃。
「ご、ごめんねカイン君……」
やや視線を落として言う瑠璃に、カインはもう一度目を瞬かせる。それからひとつ息を吐き出すと、落ち着かせるように穏やかな声を出した。
「……いえ。僕ももう少し早く注意すれば良かったことですから」
「う、うん」
「次からは気をつけて行きましょう。……そう気を落とさずに」
「……わかった」
瑠璃がようやく前を向いて頷いたので、カインもゆっくりと頷いた。
そして地図を確認がてら、カインはちらりと瑠璃から伸びる影を見た。
ゆらゆらと、人型の影の中から蛇の影が見えている。
「では、後ろは任せましたよ」
「うん。まかせられた!」
親指を立てる瑠璃の影の中に、黒い蛇はするすると戻っていった。カインはそれを確認してから、小さく頷いた。
それから二人は再び歩き出し、道を進んだ。
冒険は比較的穏やかなものだった。
穏やかといっても、迷宮であるがゆえに危険性は変わらない。
通り抜けるオーガの一団を隠れてやり過ごし、落ちてきた毒虫を追い払う。階段の先がどうなっているかを確認し、十字路を素早く通り抜ける。
そして時には――。
「……なにあれ?」
「しっ。足下に気をつけて……ゆっくり行きましょう」
曲がり角の向こう側にいる、天井からぶら下がったコウモリの影は、あきらかに動物のそれとは違った。
ヒトのごとく巨大で、目のほうはすっかり退化している。そのくせナイフのように鋭く尖った鼻を持ち、歯はぎらぎらと獲物を見据えるようだった。二人がそろそろとその場を離れると、後ろでバサリと翼が広がった。鋭い爪が見え隠れし、二人はなんとかその爪に狙われる前に離れたが、遠回りは強いられた。
そうかと思えば隅に生えた水晶のような魔石に目を輝かせ、瑠璃が立ち止まってしまうこともあった。
「このへんの地面は土なんだね」
瑠璃が小石を軽く蹴飛ばしながら言う。
「ええ。こういう所に植物が自生していることがありますよ」
「えっ、ある?」
そわそわとあたりを見回す。
「たぶんこのあたりなら……」
歩きながら道を曲がると、少し広めの通路の脇にツタのようなものが這っている。
「ああ、ありました。あれです」
「あ、これカボチャ!?」
ツタに混じって、というか、ツタから伸びた大きな黄土色のごつごつとした塊を見て、思わず立ち止まって跪く。
「鬼瓜ですね。比較的どこにでもあります。そちらではカボチャというのですか?」
「形は似てるよ。黄色いから西洋カボチャ……?」
瑠璃は首を傾げた。
それからしげしげと観察して、ようやく立ち上がる。
「こんな地下迷宮に生えるの自体が不思議なんだけど……そういう植物なの?」
再び歩き出しながら尋ねる。
「そういう植物でもありますし、迷宮には魔力がありますから」
「魔力って意外と万能なんだね……」
「それでも、地下の魔力ですから。不浄の魔力とも言われますし……」
地下に生える物を忌避するものは多い。
迷宮に存在し、魔物の餌として存在していること。そうした事実に加えて、不浄の魔力と断じられていることも関係している。
「特に女神聖教を信じている人たちでも、貴族や王族は口にしません。でも、位の低い農民や奴隷なんかは気にしないようですね。ただ……」
「ただ?」
「貴族の中でも、たまにそういう趣味の人がいるようで……冒険者にたまに依頼を出していたというウワサもありましたよ」
カインが声を潜めて言うと、瑠璃はプッと噴き出した。
「いるんだな、そういう人!」
思わずにやにやとしてしまう。
ゲームでついつい「またこの人か~」と思いながら受けるタイプの依頼だ。
「まあ、物好きだったようですけど」
「でも、一番下には何も無いのにねえ」
「……そうですね。あれは僕も驚きました。……あ、知ってます? シバルバーという言葉はもともと、古い神話に登場する場所だったんですよ」
「えっ、そうなの?」
「はい。火の神の話はどこまでご存じですか?」
二人はわいわいと話をしながら進んだ。
初心者と、初心者に毛の生えたような二人の道中だったが、それでもカインがいわば緩やかな保護者の立ち位置でいられたのは、瑠璃の中に潜む「あれ」のせい――あるいはおかげであると考えた。
監視ではあるのだろうが、それでも瑠璃の護衛としても機能している。そんな風に感じられた。その理由を探しても、きっと意味のないことだろうとカインは考えないようにした。今はそれでいいのだと断じた。
階層を上へ上へ、ときおり地図を確認しながら進む。
やがてちょうどいい場所を見つけると、休憩をとることにした。カインが火打ち石で火を起こすのを瑠璃がすごいすごいと囃し立てたので、まるで当たり前のことを褒められることに驚きを隠せなかった。
持ってきたチョコチップクッキー(この「チョコチップ」とやらがいったいなんなのか、いまだにカインは聞く機会を見失っている)を二人で食べながら、水分も補給する。
瑠璃が持ってきたペットボトルの水の清浄さにも、カインは戸惑いを隠せなかった。それでも疲労には勝てず、甘味と水分を補給し終えたころには落ち着いた気分になっていた。
まったりとした空気が満ちてきたところで、瑠璃が口を開いた。
「そういえば、迷宮の入り口って確か封鎖されてるんだよね? どこから出る予定なの?」
「入り口には直接は行きません。ヴァルカニア……荒れ地の下から直接通じているところがあるので、そこから出られると思います。ただ、ここを見てください」
カインの指先が、地図の空白になった場所を示す。
「何これ?」
空白はちょうど半円を描くように、そこだけぽっかりと空いている。
「魔力嵐です」
「……えっと……、つまり、地下の迷宮側も荒れ地みたいに魔力嵐が吹き荒れてるってこと?」
「はい」
カインは立ち上がると、槍の先を使って地面に線を引いた。
「これが地面……地下と地上の境界線だとすると、今、魔力嵐はちょうどこんな風になっています」
その線を中心にするように、円を描く。
「ちょうど円形なの?」
「まさか、違いますよ。でも、地上側と地下側でこんな風になっていることは確かなようです。上からも下からでも、ほぼ同じような場所から魔力嵐が発生していることはわかっているので」
「じゃあ、迷宮側からも、この円の中は誰も入ったことがないんだね」
「入ったことがないというか……現状は避けられている状態ですね」
カインは再び座ると、槍を置いた。
「魔力嵐を突破できるかどうか……それは課題ではありますけど、もうひとつ問題はあります」
「えっ。なんかあったっけ?」
「はい。他の冒険者……あるいは探索者の存在です」
そう言うと、瑠璃は意味をはかりかねるように無言で瞬きをした。
「僕らの行動は……おそらくは理解できないものでしょう。下手に怪しまれるのは避けたい。だからこそ、他の人間には見つからないようにしないといけない。亜人なら黙っていてくれるかもしれませんが、それでも充分じゃありません」
カインはそこで一旦言葉を切る。
「でも、冒険者にはまだ解放されてない……んだよね、たぶん?」
「おそらくは。でも先の調査団の失敗を受けて、新たに調査団が結成されているかもしれません」
「あっ、そっか。カイン君、調査団の人だったね?」
すっかり忘れていた。
「彼らには……できるだけ会わないようにしたい……です」
「……それは、聞いていいやつ?」
「……僕を殺そうとしたのは、同じ孤児院の仲間でした。それと、既に騎士団にいた人も……そうだと思います。僕にはまだ、教会の誰が敵で、誰が仲間か……あるいは教会そのものに捨てられたのか、わかりません」
カインが自分に言い聞かせるように言ったので、瑠璃は無言で頷いた。
「それに、僕は死んだと伝えられているでしょう」
「うん。そっか」
二人が何も言わなくなると、空気が沈んだ。
一瞬の空白のなか、カインは話題を変えるように顔をあげる。
「でも、この分だと比較的早めに上に到達しそうですよ」
「そうなの!? 色々と遠回りしてるし、もっと遅いかと……!」
「順調なほうですよ、今のところ戦闘も無いですからね」
「それもそうだなあ」
ファンタジーゲームの醍醐味といえば戦闘だが、瑠璃は身ひとつである。ステータスどころか神の如き武器も魔力も無い。できるだけ避けたほうが無難だ。
「運が良いんですよ。ブラッドガルドの復活で他の魔物も大人しくなっているようですし。この運が無くならないうちに、上へ進みましょう。他の魔人に何かふっかけられても大変ですから」
カインはそう言うに留めておいた。
「うん。そうしよっか」
瑠璃は納得してうなずいたので、どうやら説得力だけは持たせたらしかった。
*
「……おかしいな」
そのころ、迷宮の中層部近くで、彼女は呟いた。
「ここにこんな壁は無かったはずだが」
「え~? ナンシー君それほんと~?」
右に左にゆらゆらと頭を揺らしながら尋ねるもう一人に、ナンシーと呼ばれた彼女は鬱陶しそうな目線を送る。
目の前には迷宮の壁があり、いわゆる行き止まりになっていた。ナンシーはその壁をしげしげと眺め、後ろの彼――ザカリアスは胡散臭い目でナンシーを眺めていた。
「その地図が間違っているわけじゃなくて?」
「まさか。リクと一緒に何度も頭を突き合せて、ようやく完成した地図だぞ」
「それを疑ってるわけじゃないよ~。それが正しいのだとしたら、この先に何があるのか気になってね」
「そうだな、ザカリアス……」
ナンシーはゆっくりと頷く。
「お前はこの先に行くべきだ」
「ああ、やっぱり? 迷宮を変化させてまで行かせたくない場所って、興味あるねえ」
「ああ、行ってくれ。お前ほどの魔力ならすぐにかき乱される」
「……ちょっと待って!? 魔力嵐に続いてんのそれ!?」
ザカリアスの叫びに、ナンシーは真面目に頷く。
「いいから早く突入してくれ」
「本当にひどいなナンシー君!? きみ一応僕の弟子なんだよね!?」
「そうだが」
あまりのできごとにショックを受けるザカリアス。
ずぅんと落ち込む彼をよそに、ナンシーは壁に手をついて首を傾ぐ。
「おそらくだが、これも実験……あるいは何かの……?」
「……まあまあ、ナンシー君。いま考えてても意味の無いことだよ! ブラッドガルドのやることにはね!」
落ち込みはたった数秒で回復したのか、ザカリアスは考え込む彼女にそう言う。
納得がいかないながらも、何もヒントが無い状態だ。ナンシーは今のところ記憶にとどめておく程度にすることにした。
「お前にしてはいい事を言う」
「そうかあ! もっと褒めてもいいんだよ!」
ザカリアスは両手を広げて、「さあおいで」と言いたげなポーズをする。ナンシーはそんな彼を見ながら、無言できびすを返した。
「あっ、ひどいナンシー君!」
「置いてくぞ」
すたすたと歩いていくナンシーを追いかけるザカリアス。
その後ろを、ひたひたとカメラアイが隠れながらついていった。




