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迷宮主さん、おやつ食べましょう!(仮)【完結】  作者: 冬野ゆな


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      迷宮の迷い子(2)

 あの日――カインは震えながら槍を取った。


 殺される。


 そう思った。

 立ち向かわねばならない。今まで生きてきた中で、最大のチャンスを生かさねばならない。けれども、どこか安堵している自分もいた。

 これで終わることができるとどこかで考えている自分もいた。


 だが、ブラッドガルドはカインのほうなど見ていなかった。すらりと無視して、通り過ぎた。息をあげながら、槍を構える。

 一歩、また一歩と、肩を揺らしながら近づく。相手は一歩も動くことはない。

 だが三歩目で、膝ががくりと折れた。その途端に体がバランスを崩し、もんどりうって倒れ込んだ。けして見せてはならないと言われた無様な姿で、その場に転がるしかなかった。


「う……ぐっ……、はぁっ……はっ……!!」


 そして再び顔をあげた時にはぎょっとした。

 目の前でブラッドガルドがこちらを見ていたからだ。

 ――怖い。

 自分へと注がれている視線がひどく恐ろしい。どんな冒険者であれ、ブラッドガルドを目の前にすれば震えずにいられない。抗いようの無い恐怖は自分にも例外なく襲ってきた。その理由を誰も教えてくれなかったし、きっと誰にもわからない。わかりたくもないから、誰も知ろうとしないのだ。

 自分に重なるように影が落ちている。それだけで心の中に冷たい氷をひとつ落とされたような気分だ。恐怖がゆえに頭は真っ白になっていく。蛇に睨まれた蛙。親の怒りに初めて触れた幼子。


「……もう、もう……、殺してくれ……」


 どうしてこんなことになったんだ。

 ほんの僅かに残っていた糸が切れる音がした。

 此処までの自分は何だったのか。此処までたどりつきながら、こんな。

 カインの目から涙があふれ出し、ぽたりと床に濃い色を作った。

 いっそひと思いに殺してほしかった。


 だけど――。


「失せろ」


 冷たい声が降りた。

 答えが返ってくるとは思わなかった。

 何しろ相手はブラッドガルドだからだ。何に驚いていいのかわからなかった。


「……一体貴様は何がしたい」


 ブラッドガルドは表情を変えぬまま続ける。


「我を殺しに――自らその命を天秤に乗せておきながら、形勢が悪いとみるや逃げだす。それが貴様らの戦い方だというならそれもいいだろう。我は一度見逃したのだから。だが、今度は殺せだと?」


 カインは目頭に熱を感じた。自分を見下ろす姿が霞む。


「わけがわからん。貴様が我に対して賭けた命はその程度なのか。貴様がなぜ置いていかれたのかは知らんが、我を巻き込むな」


 その問いにも非難にも、何も答えることができなかった。

 お前が元凶だと突っかかるのは簡単だ。


「僕は……お前を……、お前を倒して……『荒野』を……」


 それだけがカインの産まれた理由だった。

 父と母もそれを望んだ。祖母を名乗った教育係もそれを望んだ。

 ブラッドガルドを倒して、『荒野』を取り返す。憎むべき敵は目の前にいるのに、これほど近くにいるのに、体が動かない。


 ――違う。それだけじゃない。


 セスと二人で、王と、その友として再び大地に光を取り戻す。

 その遠い光景が脳裏にまざまざと浮かぶ。もはやどうあっても叶えられない願い。


「……僕は、セスに……、裏切られたんだ……」


 言葉に出すと、何かが遠く砕け散っていくのを感じた。

 そんなカインのことなどまったく無視して、ブラッドガルドはさっさと振り返り、壁に手を触れていた。


 ――僕は、……僕の人生は、なんだったんだ。


 現実を受け入れることは困難だった。だからそのとき、ブラッドガルドが何をしているのかわからなかった。

 小さな鈍い音に顔をあげると、ブラッドガルドが壁のあたりを拳で軽く叩いていた。

 そうかと思った瞬間、魔力が動く。

 指先から壁に広がった魔力は、一瞬にして壁を打ち壊した。単純だが、それでも詠唱すら無い魔法だった。目の前でがらがらと石壁が落ちていく。その指先はくるりと意味のあるのか無いのかわからない動きをした。たったそれだけで迷宮の構造を変えたのか、石壁はそのままで固定した。

 なにしろ、石壁の中から姿を現わしたものがあったからだ。


 ――……扉?


 妙に古臭い扉だった。

 おまけに小さすぎる。

 ブラッドガルドどころか、普通の人だって通るのに少し苦労しそうだ。

 いくらここがブラッドガルドの館とはいえ、妙だった。

 要は石壁の中に扉が埋まってしまっていたのだ。


 そのブラッドガルドはしばらくその扉を見つめてから、ノブらしきところに手をかけた。そのまま開けるのかと思いきや、何度押しても引っ張っても扉が開くことはなかった。

 それどころか拳で乱雑に扉を叩いた後、舌打ちまでしたのだ。


「……、忌々しい小娘め」


 小さな舌打ちとともに、苦々しい声が言う。


 ――小娘……? まさか、あの扉は……?


「まあ、……貴様でいいか」

「……え」

「その話に続きは無いのか」


 面食らった。


「つ、続き……?」

「暇潰しだ、奴が来るまでの」


 ――宵闇の魔女が、来るまでの……?


「あ……」


 恐ろしいものがくる。

 瞬間的にそう思ってしまった。

 この世に、ブラッドガルドが開けない扉が存在する。それ自体が恐怖だった。


「……わかり、ました」


 カインは真っ青になりながらも言った。

 あの扉の向こうから、どんな魔人が現れてくるのか、想像するだに恐ろしかった。


「ぼ――いえ、わ、私の命を……その扉の向こうからやってくるお方に委ねます。それまで……どうか。私の話などで、良ければ」


 なんとか声にはしたものの、手は小さく震え、今にも張り詰めた糸が切れてしまいそうだった。足が震えている。死が眼前に迫っている。

 ブラッドガルドはといえば。

 ほんの少しだけ、意外そうな表情をしたあと――口の端がだんだんと上がっていった。


「……いいだろう」


 あまりに苦々しい現実だった。


 ……そしてあの時と同じように、自分が迷い込んだ部屋へとブラッドガルドが足を踏み入れる。


 ただひとつ違うのは、あのときほど身体的には傷ついていないことだ。

 ここに来てから止まってしまった時間が動き出すかのようだ。いや、時計の針を動かすのは自分しかいない。勇気をふるうしかない。


「なんだ」


 恐怖が襲ってきた。

 だが、やるしかない。


「……話がある……」


 ブラッドガルドの目が少しだけ細くなった。


「……でも、その前に」


 槍を握る手に、ぐっと力が入る。


「……一度だけ、あなたに挑みたい」


 意外そうにブラッドガルドの目が見開かれたあと、その口元が歪んだ。

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