挿話12 運命の剣
「はあっ……はあっ……、はあっ……!」
肩で息をする。
カインがようやく一息ついた頃。視線をあげると、そこにいるのはセスと、騎士がもう一人だけだった。
カインを含めた三人が息を整えると、お互いにお互いを見つめあう。
「ついてきているのは、お前たちだけか」
「え、ええ」
「そのようです」
カインは頷いた。
セスに導かれてこちら側のルートに来たのはいいが、人数が圧倒的に少ない。
カインは兜の目元を開け、顔を晒した。
「……ふうむ」
確か相手はイーノックという名の騎士だったと思う。
セスのように知り合いならいいのだが、兜をかぶってしまうと、顔全体が隠れてしまうので人の判断がつきにくくなる。もちろん目元を開けることも可能だが、戦闘中には下げていたほうがいい。
もっともそれは大半の騎士が持っている悩みのようで、鎧や兜に自分だけがわかる特徴をつけることが多い。
そもそも聖騎士に限らず、鎧にはいくつかの弱点が存在する。
特に関節はどうしても曲げる必要があるために、やや無防備になる。物によっては龍の素材などを使ったり、鱗状にするなど精度も上がってはきてはいるものの、それでもまだ武器に比べて防具の重要性は理解されないことが多い。
それらを補助するために近年利用されているのが、魔力を練り込んで強化した魔力糸だ。
魔力糸は現在では単に物理的な防御力の強化を目的に使われているが、今後は炎への耐性や寒さに強いものの開発が進むと言われている。
そもそも、狭い迷宮の中ではフルプレートアーマーなどは経験豊富な戦士しか推奨されない。外ならともかく、重いプレートアーマーを纏って狭い迷宮で走り回るなんていうのは、冒険者を含めても一部の人間だけだ。
現状フルプレートアーマーを着用するのは、一般兵や警備などにつく人間が威圧のために着るくらいだ。あるいは、信仰や個人的な嫌悪感から魔法に頼るのを拒否する人間かのどちらかだろう。
だから騎士団でも一定以上の地位の人間は、魔力糸を通された聖騎士制服の上に、胸と肩を覆う鎧を着込む形になる。
探査団もまた、それを許された一員だった。
「きみたちは新人の二人だったな」
「はい。俺はセスです」
「同じく、カインです」
「ひとまず合流地点まで行こう、俺が案内する。きみたちは後ろの警戒を怠らず、ついてきてくれ」
「わかりました」
セスが頷き、カインも続いた。
そうして三人は合流地点まで進むことになった。
地図はイーノックが持ってくれていたので、セスとカインはそれに続きながらあたりを警戒した。
深部に近い迷宮は、もっと人がいたときよりも不気味だった。あとは戻るだけだというのに。だが、誰か一人になっても必ず帰らないといけないのだ。ブラッドガルドの復活という事実は抗いようもない事実だ。宵闇の魔女の情報が入らなかったのは残念だが、もう四の五の言っている場合ではない。
迷宮はブラッドガルドの暗い心を象徴しているようで、今にも襲いかかってきそうだった。
――あの鏡の中の悪魔、というのはなんだったんだろう……。
別れた別ルートの隊長たちは大丈夫だろうかと少し思う。
別れる直前、不意に蠢きだした迷宮の壁の変化を避けようと、探査団は二つに分かれた。カインはセスに連れられて、「こっちだ」という仕草をするイーノック目指して走った。あんなことは此処に入ってはじめてのことだった。
――あれがブラッドガルドの力……。
自分が挑むべき存在の力。
あんなものに勝てるはずがない、とさえ思う。
カインが自分の領地を取り戻すには、カイン自身が倒さねばならないのだ。何しろ『荒野』は何カ国かの間で既に協定が交わされているのにも関わらず、そこにカイン自身は入っていない。そのときにはもう、国はとっくに取引される対象である『荒野』になってしまっていたのだ。
さんざん聞かされてきたブラッドガルドの印象と照らし合わせても、まともに話が通じるとは思えない。
カインは陰鬱な気分になった。
前を進むセスがカインの足取りの変化に気が付いたのか、少しだけ足を止めた。
「カイン。気になるのはわかるけど、今はしっかりするんだ」
「あ、う、うん」
「今は情報を持ち帰ることだけ考えろ」
そうだった――とばかりについていく。地下の小さな生き物たちがときおり三人を見つめていた。
道は思ったよりも複雑で、イーノックは何度か地図を確認していた。
「セス、ちょっとこっちへ。カインはそこで背後を警戒していてくれ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。ほら、行って」
セスに笑いかける。
疲労は溜まっているが、ひとまず合流地点まで戻れればいい。
イーノックはセスの意見は求めるが、カインのことはそれほど重要視していないようだった。わかりきったことだ。
――セスのような奴が王になれば……。
「カイン、行くぞ」
「あ、うん」
声をかけられ、カインは考えないようにした。
とぼとぼと歩いているだけでは、深く考えてしまう。どうにも離れられなかった。
しばらく歩いた頃、イーノックが急に片手を出した。
「……待て」
その声に、二人ははっとする。
そろそろと息を殺して通路の向こう見ると、広場のようになっていた。そこに魔獣が一匹いた。来た時のように二匹で食い合っているわけでもなく、一匹がそこで寝転んでいる。
「……魔獣の巣か。見つからなければ良さそうだな」
「出口はあそこのようですね。こちらを見ていない間に一気に走り抜けられれば、なんとかなるかもしれません」
「そうだな。今度は案内人はいない。だが人数が少ない分、なんとかなるだろう」
三人は頷きあった。
イーノックが様子を見て、二人は緊張の糸を張って待っていた。
「今だ。行くぞっ」
声を合図にイーノックを先頭に小走りに行く。通路から広場に出ると、魔獣のほうを見ないようにして道を走る。
――もう少し!
しかし、カインの足元からパキリという音がした瞬間、魔獣の目が三人のほうを向いた。
「二人とも、早く!」
魔獣がその身を乗り出し、ネズミのような三人を見据える。
威嚇するように吼えると、右足の爪を振り下ろす。カインは足を速めるが、その背に爪が伸びた。
「カインッ!」
振り下ろされた爪が腰に引っかかり、ぞっとした。
代わりにセスが飛び出し、その手に持った槍が勇猛に突き出された。槍は魔獣の爪と爪の間を見事に裂き、びしゃりと血が飛び散る音がした。
「はっ!」
弱い部分を切り払うと、魔獣はカインの衣服を引き裂きながら前足を引っ込めた。セスは槍を構え直す。
「やるか、化け物!?」
一触即発だった。カインもすぐに槍を手にしたが、その前にイーノックの声がした。
イーノックは走り寄ってくると、魔獣に槍を突きつけながらセスと交代する。
「二人とも、今のうちに!」
カインはしばし呆然としていたが、セスに背中を叩かれて気が付いた。慌てて出口へと向かう。
最後にイーノックが槍で威嚇しながら後ずさりすると、そのまま出口のほうへと走りだした。
*
イーノックが炎の準備をしている間、セスとカインはあたりを警戒していた。
三人は一度休息をとることにして、比較的安全そうな場所までやってきたのだ。迷宮の閉鎖空間で火が燃やせるというのも不思議だったが、冒険者からすると当然のことなのだという。
稀に迷宮のような感覚でダンジョン内で火を燃やし、煙に巻かれる冒険者もいるらしい。
「あーあ、魔力糸の布が」
セスがちらりとカインの服を見ながら言った。
「魔力糸ってこんなに破れやすいっけ……?」
「たぶん、あの魔獣だろうな」
セスが言うと、イーノックが続きを請け負った。
「先ほどの魔獣の爪に魔力が籠もっていたのだろう。それがたまたまこちらの魔力糸よりも強大だった……迷宮ではよくあることだ」
確かに今までもよくあったことだ。だが魔力糸を使っているおかげで、修繕もできる。やり方さえ教えてもらえれば、ある程度魔力のある人間なら直すことが可能だ。
「確か一人使えるやつがいた気がするな。上に戻ったら直してもらおう」
イーノックはそう言って立ち上がる。
衣服の埃を軽く払い、二人を見比べる。
「とにかく、二人は休んだほうがいい。あまり気を張るのも疲れるだろう」
「あ、ありがとうございます。イーノックさん」
「どれ、俺がちょっと見てやるよ。痛みは無いんだろ?」
セスが後ろに回る。
「ああ、無いよ。ありが――」
ドン、と背中に痛みが走った。
「……え?」
カインが目線で後ろを見ると、セスの姿が見えた。
目を丸くするカインに対して、無表情に見上げている。
「……セス……?」
この痛みはなんだろう、と頭の中が混乱しはじめる。
自分の体の中に何かが入り込んでいる。それが抜かれた途端、カインは膝をついた。カインとて子供の頃から剣の修行はしていた。別にサボっていたわけでもないし、騎士団に入って短い間だが訓練にも参加した。もちろん探査団に入る手前、怪我には充分に気を配っていた。
そして当然孤児院にいたときだって、セスと鍛錬のようなことはしていた。
それでも膝をついてしまったのは、あまりに無防備だったからと、信じられないものが目に入ったからだった。
「……悪いな」
「え? な、……なんで」
あまりの痛みに振り返ると、セスが血まみれの短剣を僅かばかりに振った。残った血を軽く拭き取り、その布を炎の中に放り込む。
炎が布に燃え移り、一度だけ大きな音を立てた。
「それな、毒だよ」
「……え、……え?」
振り返ると、イーノックがセスの後ろにいるのが見える。
だが彼は平然としていて、カインの様子を見ていた。今ここで二人に何が起っているのかも把握しているようだった。
何かがおかしい。
「お前はここで死ぬんだ、カイン」




