挿話11 プリンを食べよう?
「うははははー!」
瑠璃は高めのテンションで、鏡の扉の前に立った。
大きく手をあげて、勢いよく扉を指さす。
「――こっちに来れない気分はどうだ、ブラッド君……。その間に、私はこの……」
両手を交互に見たあと、振り返って机に載せた箱へと近寄る。取り出したのは瓶入りプリンだ。
色は深い茶色で、どう見たってカスタードではなくチョコレート類のプリンであることは明白。改めてそのプリンを掲げ直して扉を指さした。
「このチョコレートプリンを、贅沢にも一人で食べる!」
そしておやつタイムは始まった。
*
唐突に鏡が壁になったのは数日前のこと。
瑠璃の前にあるのは何度見ても石の壁だ。
指先でこすってみると、さらさらと表面がこぼれ落ちた。
上から下まで全部見ても壁だ。
「……えっ、なんで壁!?」
異変は唐突すぎた。
瑠璃が想定していた異変は、中に誰もいないとか、鏡に戻ってるとかそういうことだ。壁になるのはあまりに想定外だったので、そのまま固まってしまう。
はっとして、とりあえず手に持った切り落としケーキを机の上に置いて戻る。
疑問符で埋め尽くされ、考える余裕を失っていた瑠璃にも、しばらくすると『困惑』という感情が沸き起こってきた。
ひとまず普通に壁を拳で殴ってみる。
「いった!」
普通に痛かった。
普通に壁だ。
今し方殴りかかったばかりの拳を撫でつつ、もう一度壁を見る。
「え……ええ……何これ……こんなんだったっけ?」
確かに石造りの壁ではあったが、こんな風だっただろうか。
もう一度石の壁を指先で撫でてみるが、やっぱり部屋の中にさらさらとこぼれ落ちた表面の砂が落ちるだけだった。
「ふんっ……!」
思い切り押してみるがダメ。
何度も蹴ってもダメ。
いずれもこちら側に石の粉が落ちてくるだけで、部屋が汚れただけで終わった。
「ブラッドくーん?」
呼んだあと、石の壁に必死に耳を傾けても答えは返ってこない。
「……異世界に行った人間は……魔法が使えるっ!」
普通に使えなかった。
魔力が無いので当然だし、そもそも魔法の使い方さえ教えてもらってない。かろうじて詠唱が必要、というのがわかるだけだ。
「ブラッド君! ちょっと! いるの!?」
近くで石壁を叩きながら叫んでも、返事はない。向こうはしんとするばかりで、こちらの声が届いているのかさえわからない。
耳を近づけても、いっそ壁にこすりつけても、声らしきものは聞こえなかった。
――とりあえずこれは……通じてる、んだよね?
そもそもこんなところに石壁があるわけがないし、元に戻ったならたぶん鏡に戻るはずだと思う。
――確か、お母さんが開けたらただの鏡だった。
瑠璃が開けた時だけ――あるいはブラッドガルドもそうかもしれないが――この鏡は向こう側への扉として機能するのだろう。
ということは、今はちゃんと向こう側への扉として機能しているのだ。機能していてこれということは、向こう側で何かが起こったのは間違いない。しかしその何かがさっぱりわからない。
――部屋が狭くなったとか……?
けれどもここ数ヶ月、そんな気配は一切なかった。
部屋は常に同じで、何らかの違和感を覚えることはなかったはずだ。
――ブラッド君が復活した……?
考えられるのはそれだが、結界が崩れたなら崩れたで、なぜ目の前に壁があるのかまったくわからない。
そうこうするうちに、いつもの時間が過ぎてしまった。結局その日はどうにもできず、夜になってからネットで検索するしかなかった。
ベッドに転がり、スマホにキーワードを入れる。
――”石壁”、”壊し方”……えーと、”道具”?
検索の結果、とりあえずブロック塀の壊し方は理解した。それと、壁を壊せそうな道具がいくつか売られていることも。
瑠璃がスマホとにらめっこしていると、ノックの音が響いた。
「ねえ瑠璃い!」
仕事から遅く帰ってきた母親が、わくわくした表情で部屋の中に飛び込んでくる。
「ふぇっ!? な、なに?」
「冷蔵庫の切り落としケーキ、食べていいやつ?」
「……ああー。あー、いいよ」
瑠璃は上半身を起こして、まだスーツ姿の母親を見る。
「ってか、着替えてから食べなよ~……」
「いいじゃない別にー。でもあれ、あんたも食べてないでしょ? 今から一緒に食べない?」
「……ちょっと食べるタイミングが無くって。もう歯磨いちゃったし」
「じゃあ、ちょっと残しておくようにパパにも言っとくわね。でもどうしたの、急に切り落としケーキとか。安かった?」
「スーパーで見てたら食べたくなっちゃって……」
瑠璃は苦笑しながら言った。
「ふうん。それじゃ、遠慮無くいただくわね!」
「うん」
ぱたんと扉が閉められた向こう側で、「食べていいって!」と声が聞こえる。このまま遅い夕飯のデザートにするんだろう。ついでにお酒を開けてお手軽ディナーになるかもしれない。
瑠璃は再びベッドに寝転がると、ひとまず使えそうなものの値段を確認する。たぶんすべてホームセンターに売っていそうだし、来るのに時間のかかる通販よりは、自分からホームセンターに出向いたほうが早いだろう。
近くのホームセンターの位置もばっちりだ。
翌日。
瑠璃は家に帰るなりジーンズと長袖のシャツに着替え、手に入れたハンマーとバール、そして同時に手に入れた安全帽と軍手をしたあと、鏡の前に新聞紙を敷いた。
「……やろう!」
果たしてこれで本当にいいのかはわからないが、何もしないよりはマシだ。
ブラッドガルドは好きにしろと言った。
じゃあ、好きにしようじゃないか。
ハンマーを持ち、打つ場所を何度か確認する。
そして、何度目かで振りかぶり、思い切り打ち付けた。重さに耐えきれず、少しバランスを崩したものの、鈍い感触が腕に伝わった。
「……っ」
再びハンマーを振りかぶって、何度か石壁に叩きつける。
何度目かの殴打で、石の突起になった部分が僅かに砕け、下の新聞紙に落ちた。がしゃっ、というような新聞紙の音がする。
――これは……イケる!?
と思ったものの、さすがに何度も打ち付ける力は無い。
いつまで続くんだこれ、と息を吐き出していると、目の前で奇妙なことが起こった。
下に落ちたはずの大きめの破片が砂と化し、巻き戻るように石壁へと戻ったのだ。
「は? えっ?」
確かに石は破片となって下に落ちたはずだ。
慌てて、もう一度石壁にハンマーを叩きつける。何度目かでぱらぱらと落ちた石の壁を前に、肩で息をした。
すると、その間に新聞紙の上に落ちたはずの破片は小さな砂となって立ち消え、そして石壁は元の姿を取り戻していたのだ。
バールで石を取り除こうとしても、ぴったりとくっついていて、まずひっかけるところを探すまでに時間がかかった。
それでなんとか小さな石を取り出せたとしても、しばらくすると取り出した石はすっかり消え、石壁は元の姿に戻ってしまうのだった。
瑠璃はしばらくその様子を見てから、がくんと膝をついた。
*
口に入れたプリンは、カカオの味がした。
まろやかで、口の中でほどよくとろける。
「……~~美味しい!」
瓶入りプリンなんて久々だ。そもそも瓶入りなんてものがスーパーには売ってない。
ではどこでかというと、瑠璃がかつてマドレーヌを買ったケーキ屋さんだ。瓶入りプリンがあるのは知っていたが、チョコレートプリンがあるとは思わなかった。
ブラッドガルドがいないところでこうしてチョコレート関係のお菓子を自分ひとりでまったり食べられるのは久々だし、いい気味だと思う。
ついでに自分の部屋でおやつを食べるのも久々だ。
――なんかこういうの、覚えがある。
いつだったかな、と瑠璃は赤い夕暮れを見ながら思い出そうとする。
なんだか覚えのある匂いと空気だ。
――小学生の時だったと思うんだけど。
「冷蔵庫にプリンがあるよ」と書かれたメモ。
褒められることを期待しながら、見よう見まねで洗濯物を取り込んだあとは、学校の宿題を終わらせる。
確かその時は自分の部屋ではなくて、居間だったけれど。
ニュースや時代劇ばかりのテレビを消して、代わりに我が家の共同PCを起動する。動画サイトの人気配信を見て笑いながらプリンを食べる。
そうするうちに日が傾いてきて、部屋が真っ赤に染まるのだ。
「鏡を元に戻すって言ったのになあ……」
その日差しが妙に眩しくて、瑠璃は橙色に染まった世界を映す窓へと近寄る。
「……うそつき」




