迷宮探査団の顛末(2)
「……あれが魔女?」
後ろで小さな声がした。
確かカインという名の新米騎士だったと記憶している。
「……いや……声が違う。だが油断はするな」
「何をこそこそと言っているのお?」
緊張感に包まれる探査団と違い、女はいくらか自然体とも言えた。
あたりを取り囲む男たちは、ほとんど容貌が変わらない。
「やあねえ。あいつの魔力を感じたから来てみたら……変な奴らまで来ちゃった」
「どうしますか、姉上」
「ん~~?」
女はかくりと首を傾げた。
甘えるような仕草で、ニッコリと笑う。
「お姉ちゃんのためにい、なんとかして?」
それを合図に、男たちの目に殺気が灯った。
「怯むな!」
オルギスが号令をかけると、探査団の全員が臨戦態勢を取った。
探査団としてひとくくりにされているが、教会に仕える聖騎士であることに違いはない。構えた槍を手に、各々男たちに対峙する。
「セス、カインッ、お前たちはオレの後ろに!」
「はっ」
「わかりました!」
新米騎士たちも他の団員に守られながらだが応戦の構えをとる。
男たちは手に剣や短剣を持っていたが、槍の射程のほうが有利だ。騎士たちはその有利な射程でもって、男たちへと一撃をくれていく。それでも男たちは数の多さでもって襲いかかってきた。
オルギスもまた槍で男たちの頭を叩きつけ、肩を裂き、遠くへ押しやりながら合間を縫って女の元へと走った。
カウチで優雅に足を組み替える女に向かい、一直線に駆け抜けていく。
女にたどり着くその直前で、両側から二人の男に行く手を阻まれた。
突き出した槍を二本の剣に槍を阻まれ、距離を取る。
「お前は……一体ここで何をしている!?」
「え~? アンタたちにとってもいい話よお? アンタたちが封印していい気になってる前の主サマにい……引導を渡してあげようと思ってえ」
「引導だって?」
「そうよお。アタシのお城にこんな墓まで作ってくれちゃってえ! 不快ったらないわあ」
「城に……? まさか、お前が迷宮の主に?」
「そうよお! この迷宮は今やアタシのもの! これはそのお披露目会にしましょう! それがいいわよねえ?」
周囲の男たちがにこやかに頷く。
「奴らの死体で、この醜悪な迷宮を飾り付けましょう」
「姉君の御身にはどんな宝石も敵いませんからね」
男たちの言葉に、オルギスは僅かに顔を顰めた。
新たな迷宮の主――それは予想された事でもあった。
オルギスは思わず舌打ちをする。
「ねえ。ところで、前の主サマって――生きてるの?」
女の目が鋭くオルギスを射抜く。
「さあな」
「えーッ、知らないのお?」
そこまで媚びたような声が、ふっと陰った。
「……ほんと使えなぁい」
暗い声を合図に、男たちが再び動き出した。
上から叩きつけられた剣を寸前でかわし、槍を突き出す。他の男が振り下ろした剣とぶつかりあい、ぎちりとかみ合った。槍を回して力を受け流すと、そのまま切り払う。
「あははは! がんばってねえ?」
女は笑うと、さてと、と目を彷徨わせた。
オルギスは一瞬女に目をやるも、すぐさま死角から現れた男への対応を迫られる。金属音がぶつかりあう音が響くのを、女は満足げに見つめた。
するりと衣擦れの音を立てながら、女の腕が艶めかしく上げられる。
風が渦巻くがごとく魔力が腕に集まる。
「鳴りなさい――『月輪』!」
魔力がやがて形となって、指先にリングが三つ出現した。独特の形をしたチャクラムのようなものだった。
「そ、お、れっ!」
女がすいっと指先を向けると、チャクラムが回転しながらオルギスへと殺到する。男を薙ぎ払いながら、オルギスは槍で一つ、また一つと受け流す。だがそのうちの一つが僅かに鎧にぶつかり、ぎゃりぎゃりと音を立てた。それが流れていったあとには、鎧に強烈な一閃が引かれていた。
――鍛え上げられた聖鎧を一撃で……!
皮膚に到達していないとはいえ、まともに喰らえば致命的であることに違いはない。
「やあねえ、腕が鈍っちゃったかしらあ。ほら、お姉ちゃんばっかりにやらせないで」
女が言う前に、男たちが剣を構えて駆け抜けてきた。槍を両手で構え、次々に繰り出される剣を受ける。
「ぐっ……!」
予想外に重い。
時に押し返し、横から切り払い、その足下を払って転倒させては、その頭を貫く。
その途端、強烈な手応えとともにチャクラムが槍に傷をつけた。
女が鼻歌を歌いながら、チャクラムを向ける。ひとつ、ふたつ、みっつと増えていくチャクラムを、オルギスは槍で受けた。今度はそこで消滅せず、ぎゃりぎゃりと音を立てて槍と拮抗する。
オルギスは知らず、一歩後ずさる。
だが、今にも槍を破壊しようとするチャクラムを、そのまま押し返した。
その途端――チャクラムが消滅するとともに、手の中で槍が砕け、ばらばらと砕け散った。
誰もが息を呑んだ。
目の前から男が飛びかかってくる。
だがオルギスは男を睨んだまま、手に残った短い棒だけを突き出した。
「……来い!」
その手に光が集い、どこからともなく穂先から槍の形を作り上げていく。
光の槍が男の不意を突き、その肉体を向こうへ大きく吹き飛ばした。オルギスはそのまま体勢を立て直す。
女の目が見開き、ゆらりと揺れる放射体を立ち上らせる槍を見据える。
「聖槍ボルガング――!」
光がその声に応え、輝きを放った。
じりりと後退した男を、光の槍が貫いた。血が背後へと飛び散る。
「……ぐ……」
男が自分を貫く光の槍を手にする。無理矢理引き抜こうとしたのだろう。ぐっと槍を掴んだ瞬間、肉の焼ける音が響いた。男の手が焼けたのだ。なんとか引き抜こうとしたものの、今度は傷口が焼けただれていく。
「うおおおおっ」
男は成すすべもなく、腹の真ん中から焼けただれていった。
小さな声をあげながら、火傷が腹から胸、そして首から顔へと移動する前に、その姿がぱきんと割れた。男の姿は光の粒子となり、からんと乾いた音が響いた。
魔石が床に落ちた音だった。
「……なるほど。彼らは眷属か」
オルギスは槍を引き、再び構えた。
「まあ。まあまあまあまあ。なあにそれ!」
女がその光に魅入られたように、にんまりと笑みを浮かべた。
「欲しくなっちゃう」
リィン――と鈴の音が鳴り、チャクラムを持った女が、踊るように前に出た。その指先に次々とチャクラムを絡ませ、笑いながらオルギスへと迫ってくる。
「アタシの可愛い弟を殺ってくれたお礼もしなくっちゃあ、ねえ!?」
チャクラムと光の槍がぶつかりあい、高い金属音が響き渡った。
ジャリリ、とお互いが滑り合う音がする。お互いの武器によって距離を取り合い、そしてまたその先を向ける。
何度目かの攻防のあと、オルギスは槍を構え直した。
「我が槍は暗黒を裂く暁光なり」
オルギスの口から出たのは詠唱だった。
「今ここに、我が主の威光を示さん――!」
槍がいっそう強く光ったかと思うと、ゆらゆらと揺れる放射体が大きく立ち上った。槍は詠唱に応えて姿を変えていき、オルギスの鎧、ひいては右手と一体となっていく。
「貫けっ、ボルガング――!」
「いいわよお、やってあげるわ!」
女の妖艶な顔が悍ましいほどに歪んだ。
「静寂を刈り取り、鳴り響き、首を取れ――来れ、月鎌っ!」
女に黄金色の魔力が集い、巨大な鎌の形を取った。歪曲したそれを振るう。
ボルガングの白い光と、月鎌の黄金の光がお互いにぶつかりあい、広間が強烈な光に包まれた。轟音と光の中心で、オルギスは女を睨み、女はオルギスに笑った。
その光に、思わず誰もが怯んだ。
光と音が走り、衝撃がぶつかりあい、魔人の女とオルギスの聖槍、その力が同じ一点へと収束していく。凄まじい衝撃波があたりを襲った。
二人の力のぶつかり合いによって生じた小さな穴が、封印に僅かな傷をつけたのだ。
「くそっ、こんなところに――!?」
耐えきれず、女とオルギスは同時に離れた。
びりびりと魔力を吸収される感覚がある。外からの刺激に、封印の魔術が反応しているらしい。
「やあねえ! どこにお墓作ってるのよお。これじゃあ――」
言いかけた女の黒目が、きゅうっと小さくなった。
その表情が一気に固まり、不可解なものを見る目になった。
小さな穴のようなそれが、内側から押されるようにゆっくりと膨張したのだ。それは、本来なら時空に開いた歪みのようなもの。だが、すぐに修正されるもの――本来なら、の話だ。
だが、全員が信じられないものを見た。
結界に開いた小さく役にすら立たない穴へと向かって、内部から何かが飛び出てきたのだ。黒ずみ、針のように尖ったそれは、紛れもなく爪の先だった。
「は?」
女の声がする。
やがてその爪は外へと無理矢理穴を広げると、ぎちぎちと空間の歪みに指をかけた。
「まさか……」
――今の……こんな小さな歪みを……。
捉えた、のか。
その言葉は、言葉にすらならなかった。
指先が音を立てて歪みを引き裂き、今度は骨張った手が、無理矢理に罅の入った結界にかけられる。
そして、壁紙でも剥がすかのように内側から破られはじめた。
「……嘘でしょお?」
女が眉間に皺を寄せながら言った。
「そんな、あんな状態で生きてたら……」
どれほど醜い化け物と化しているというのか。
オルギスの中で、かつての悪夢が蘇った。
ありとあらゆる魔物を無理矢理繋いだような異形の姿。それが、ほんのわずかな穴を頼りに内側から這い出てこようとしている。この時を待っていたかのように。中で魔力を吸収する魔術が暴れ回り、片っ端から魔力を吸収して修復しようと試みている。
オルギスは思わず後ずさった。
中からの衝撃に強い結界は、外からの衝撃に弱い――とは、誰が言った注意だったか。だがそれでも、オルギスの槍と魔人の女、二人の全力がぶつかって尚、小さな傷しかつかなかったのだ。
それなのに、そんな小さなものを捉えられるということは――。
耳鳴りのような音とともに、光と魔力が稲妻のごとく直線を描いていく。
その魔力は次第に一点へと収束し、ぷつりと闇の帳が下りたかと思うと――再び放出するようにはじけ飛んだ。
「きゃあっ!」
女が後ずさり、男たちがその体を支え、何人かがかばった。最前列でかばった男の背中が焼け焦げ、咆哮が木霊した。目を開けていられないほどの光。
オルギスも腕で自身をかばいながら、うっすらと目を開ける。
ようやくその光が収束した時、煙のような音とともに――それは宙に立っていた。
ばさばさと古びた布が揺れる。
その姿を、オルギスは知っていた。
そう、あれはむしろ、最初にここにたどり着いた時のような。
「……ブラッドガルド……」
オルギスは畏怖を含んだ声をあげた。




