25話 琥珀糖を食べよう
冒険者が地下や地中のダンジョンへと潜る理由のひとつに、鉱石があるという。
魔力が濃い場所では固まって小さな核となり、それが巨大化したのが魔力を持つ石、いわゆる魔石だ。それこそ砂糖の核のように結晶化するのである。
魔石そのものが凍結した魔力と言っていい。
実際、中に貯められた魔力をすべて使い切ると消えてなくなってしまう。
「と、いうわけで今日のおやつは鉱石です!」
瑠璃はうやうやしく箱を掲げた。
ブラッドガルドはといえば、瑠璃がわざわざそんな態度をとったことに対して疑念を抱いていた。無言のまま胡乱げな目線だけを向けている。その目線の内容を端的に表わすとするなら、『また何か始まった』だ。
だが、テーブルにおかれた「鉱石」を覗き込んだブラッドガルドは、そのまま停止してしまった。
「うちの国には鉱石を食べる習慣がだね……聞いてる?」
瑠璃が思わず見上げると、ブラッドガルドは眉間にやや皺を寄せたまま固まっていた。
さすがに何も言わずに黙っているのは不気味すぎる。というより、なんだか瑠璃のほうがいたたまれない気分になってきた。
「魔力は感じないが、そうか」
「ごめん、嘘だよ……」
深く思考に沈み込んでいったブラッドガルドに、瑠璃は思わず言った。
でもそう言われても信じてしまうような見た目だから、仕方ないといえば仕方ない。
なにしろ瑠璃が持ってきた琥珀糖は、本当に宝石のようだったのだから。
箱の中に入れられた琥珀糖は、透明感のある透き通った青色だった。それぞれの形はばらばらだが、どれも色の薄いほうから濃いほうへとグラデーションを作っている。まるで本物の青い宝石のようだ。
「で、くだらない冗談はともかく――これはなんだ」
「えっ」
嘘だというのが最初から理解されていたことにおののく瑠璃。
それでもその宝石のような見た目に惹かれたのか、ブラッドガルドはひとつをつまんだまま光に当てて見回していた。
「これは、琥珀糖! 最近だとネットでもブームが広がってるお菓子のひとつだよ」
いいながら瑠璃もひとつつまむ。
「実際にネットで広がったのはここ最近っていっても数年くらいだと思うけどね」
「飴のようにも見えるが」
「これは飴じゃなくて。噛んでみればわかるよ」
そう言うと、グラデーションの薄いほうを口の中で噛みきった。
寒天の柔らかな堅さの壁を削り取ると、シンプルな甘さが舌の上を転がる。滑らかな断面図は変わらず宝石のようだ。
きらきらと煌めく断面は、本物の宝石を食べているような感覚にすら陥る。簡単につぷりと分離するさまは、やっぱりお菓子なのだが。
瑠璃が食べたのを見てから、ブラッドガルドも琥珀糖を一度見てから口に放り込む。何度か咀嚼したあとに、呑み込んだ。
だが、少しだけ奇妙な表情をする。
「糖……、糖?」
「えっ、何?」
「……これは、糖なのか?」
どうも先日の『有平糖』のように、『糖』のつくものは砂糖を煮詰めた飴に近いイメージがあるらしい。
「さすがに砂糖だけで作ってあるわけじゃないよ」
スマホを手に、瑠璃は説明されているサイトを探した。
「琥珀糖は別名で琥珀羹ともいうよ。煮て溶かした寒天に砂糖とか水飴を加えて、型に流して固めた和菓子」
「寒天……確か以前に聞いたことがあるな」
「話したっけ?」
瑠璃は記憶を探る。
そういえば何かの折に説明する、と言ったような気がする。
「寒天は『寒晒しのトコロテン』の略だよ。今はトコロテンっていうお菓子があるってことだけ覚えておいてくれればいいかな。トコロテンを凍らせて脱水して、それから不純物を取り除いたあとに乾燥させたのが寒天」
「一度乾燥させるのに煮て溶かすのか……」
これだけ聞くとまるで意味の無いことのように感じるらしく、ブラッドガルドは微妙な表情をしていた。
「このトコロテン自体は平安時代に中国大陸から渡ってきたものだけど、寒天は日本で作られたものだよ。
徳川の時代に美濃屋太郎左衛門って人が、家に宿泊した島津公をもてなそうとトコロテン料理を作ったのね。その残りを戸外に捨てたら、冬だったせいもあって数日後には白状に変化してたの。これに興味を持って、後に「トコロテンの乾物」って名付けて売り出したのが始まりだって言われてる」
「我の知る乾物とまったく違うのだが」
「わかる」
「何故貴様が『わかる』なんだ」という目で見られたが、だいたい瑠璃の頭の中にあるのも、魚やイカの乾物のイメージだ。
「江戸時代にこのお菓子ができた当時は、くちなしの実で琥珀色に着色したやつを琥珀糖って呼んでたみたいだね。その頃は錦玉羹の名前のほうが有名だったみたい」
「キンギョクカン?」
「うん。錦じゃなくて金の漢字をあてることもあるけど」
この錦玉羹とも呼ばれる菓子も、煮とかした寒天に砂糖や水飴を加えて煮詰めて固めたものだ。
この菓子の持つ透明感は、当時から金や玉などの財宝に見立てられた。
余談だが、「錦玉」または金の字をあてはめた「金玉」は美しいものやきらびやかなものを表わすものであり、「金玉の飾り」などといえばきらびやかな装飾品を意味した。そこから転じてこの名がつけられたと思われる。
琥珀糖としてグラデーションで色をつけるだけでなく、錦玉羹としては内部に練りきりなどを入れて、水の様子や夜空などを表現することができるのだ。その透明感から夏場には多く出回る。
「で、物によっては小さな金魚鉢みたいに見えたりね!」
「金魚が何かは知らんが、貴様らさては暇だな」
「暇じゃないけど!? 表現力が高いって言って!?」
今あるものを菓子で表現するのが粋なのだと前に自力で理解したはずだが、すぐにこういうことを言うのだ。
「それと、んっとね……」
瑠璃がスマホを弄り出すと、ブラッドガルドが目線をあげた。
「これは作ったそのままを売ってたんだけど、日陰で何日か乾かしたやつはこんな感じ」
当該の画像を発見すると、そのまま見せた。
外側がうっすらと曇って、宝石の形とは違う意味で見るからに堅くなっている。
「……それは」
「食べたい? なら今度持ってくるけど」
どこで売ってたかな、と瑠璃はスマホで検索しはじめる。
「お店によっても色んなタイプを出してるから、色々と存在するんだよ。こっちは外側が乾燥することでシャリシャリした感触になったやつ。でも内側は柔らかいままだから、違う食感を楽しめるタイプだね」
「なるほど。タイプの違う琥珀糖とトコロテンだな。覚えたぞ」
「そんなプレッシャーかけなくても持ってくるから」
ブラッドガルドが睨み付けてくる前に言っておく瑠璃。
「これも家で作るには冷蔵庫とかに入れておけばいいから、好きなのが作りたいって場合にも作れるんだよ。今はレシピもいっぱいあるしね」
「ふむ。……しかし貴族どもも好んで食いそうだな、これは」
「お茶会とかで?」
「貴様のような頭で驚かそうとする奴は少なからずいるだろうな。この宝石は食べるものだとかなんとか言って」
「いそう」
思わず肯定してしまう。
瑠璃の想定する『貴族』はイメージだけのぼんやりとしたものだが、そこだけはやけにハッキリとイメージできた。きっと招待客を驚かすためだけにテーブルに載せる人間は少なくない。
瑠璃がやりたかったのもそういうことだ。
あっという間に見破られた理由に首をかしげたが、既に瑠璃はやりそうだとブラッドガルドに理解されていることにピンと来ていなかった。
「しかし、今聞いたところだと、江戸……三百年ほど昔からあるものだろう? なぜ急に人気になった?」
「んー……やっぱり見た目が綺麗だし、材料さえあれば、家でも作れるからじゃないかな」
「作れるのか?」
「好きな形の、それこそ食べれる宝石みたいにも作れるし。割と作り方さえわかれば簡単なんだと思うよ。何度か作ったりする人はね。それにほら」
単純に『琥珀糖』での画像検索の結果一覧を見せる。
そこには、青だけでなく様々な色合いの琥珀糖があった。それこそ数を揃えて虹色の玉手箱のようなものもあれば、特定の宝石のようにこしらえたものもある。
ブラッドガルドは瑠璃の持つスマホをひょいと手にとると、器用に画面をスクロールしはじめた。瑠璃もブラッドガルドの隣まで移動すると、横に座って一緒に画面を見る。
「あと見た目が綺麗っていうのは、ネットで目を引きやすいでしょ。自分もこういうの作って写真をネットにあげたい、っていう願望をくすぐるんだと思う」
「……。自慢したい貴族どもと一緒だな」
「……方向性としては一緒なのかも……」
なんだかそうもはっきり言ってしまうと、持ってきた時の自分が恥ずかしくなってくる。
「……なるほど。この琥珀糖で偽の魔石採掘場を作れば……」
「なんかそれは私がいたたまれない気分になるからやめてあげて……?」
曲がりなりにも恐れられているブラッドガルドの迷宮に琥珀糖のダンジョンがあるとか、シュール極まりない。
ついでに言うと、そんなものを作ったのが瑠璃のせいとなるとそれはそれで恥ずかしい。
「冗談だ。こんな面白いものを冒険者どもに盗ませてたまるか」
「魔石って魔力のある鉱石だっけ。なんか……鉱石が生える……?」
「そうだ。ダンジョンにも生えるが、やはり多いのは迷宮だろうな」
「そうなの?」
スマホを返されながら瑠璃は尋ねる。
「ああ。魔力が結晶化したものが魔石だ。魔力の濃い場所で発生しやすい」
「ロックキャンディみたいだよね」
「そうか。後でそのロックキャンディも必ず持ってきてもらうからな」
「はっ……!?」
あきらかに余計なことを言ってしまった。
「迷宮は魔力を持つ魔物も多い。……必然的に魔力が強くなる。我のように迷宮の支配者として君臨する主もまた強い魔力を持っていることが多いからな」
また、使い魔や眷属と呼ばれるものを生み出す魔物の中には、魔力を核にしているものを作りだすものがいる。それらを倒せば当然魔力は凝縮し、魔石となる。
眷属たちは強さによって魔石の大きさや希少性も変わるので、冒険者の中には眷属を倒すことを目標にしている者もいる。
「そして――我が迷宮は、世界でも最大級の魔力に満ちた場所だ」
何しろ迷宮の深部そのものが、大地とは真逆の世界、シバルバーに繋がっている。人間たちの大地に満ちる魔力とは違うタイプの魔力に満ちた世界。そしてそこに君臨するブラッドガルドもまた強い魔力の持ち主だ。
ということはつまり、最大規模の魔石産出地ともいえる。
「もしかすると、おそらく我を排除する理由も、そのあとの処理を巡って争う理由も――それが原因ではないか」
「魔石が欲しいってやつ?」
「単純に我を女神の敵として排除するのは簡単だろう。だが、その管理やありかたを巡っては色々とあるようだからな」
「なんかそれはそれでめんどくさいなー」
ハッキリとあけすけに言う瑠璃に、ブラッドガルドは一瞬口の端をあげた。
「偽の魔石採掘場があれば、なかなか面白いものが見れそうだが」
「ドッキリテレビみたいな発想だよね……あったら面白いけどね、琥珀糖のダンジョン!」
「冒険者なんぞにこれは勿体ないだろう」
ブラッドガルドが琥珀糖をひとつつまんだので、瑠璃も横から手を出した。
「そうかも」
にへっと笑って口の中でかじり取ると、なんとも涼しげな食感が口の中に広がった。




