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迷宮主さん、おやつ食べましょう!(仮)【完結】  作者: 冬野ゆな


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24話 ホットミルクを飲もう

「ただいまー」


 玄関の扉を開けると、瑠璃は誰もいない室内に向かって言った。

 部屋の中はしんと静まりかえっている。瑠璃がそう声をかけるのは、『誰かいるのだ』と信じ込ませるための方便に過ぎない。もちろん鍵は開ける必要はあるが、声をかけるかかけないかではずいぶんと違う。

 勿論、中には誰もいない。

 両親は仕事中である。


 手洗いとうがいを済ませると、自室に直行した。

 そしてある程度身支度を調えると、そのまま古いアンティーク調の扉を開ける。ドア型の鏡だ――本来は。しかしそこにあるはずの鏡は瑠璃を映さず、真っ暗な部屋へと通じている。


「ねえ、今日学校で聞いたんだけどさあ!」


 そんなノックの前に扉を開けるという不届きな行為にも、その中にいた人物は反応しなかった。だが、うるさいなという目線はしっかりと向けてくる。


「チョコチップクッキーって牛乳に浸すと美味しいらしいよ!?」

「は?」


 突然で突飛な一言に、中にいたブラッドガルドはそう答えることしかできなかった。





 瑠璃が持ってくる議題は時折、突飛だ――と、ブラッドガルドは思っている。

 別に彼にとって珍しい物を持ってくるとか、そういうことではない。ブラッドガルドが知っている人間という生き物から、てんでかけ離れているということだ。

 人間がブラッドガルドに対してとる行動は大まかに分けて二つ。武器を向けるか、逃げ出すかのどちらかだ。

 だが瑠璃はそんな数少ない常識すら平気で破壊してくる。

 出会った時からずっとそうだ。誰も突破できないはずの堅牢な牢獄におっかなびっくり入ってきた時から今までずっと突飛だ。

 最初にブラッドガルドを”脅した”時もそうだし、ゲームをしようとなにがしか持ってきた時もそうだ。


 そして、現状。


 用意されたチョコチップクッキーの箱と、グラスに入ったミルクが二つ。

 とうとう菓子をそのまま食べる、という常識もぶん殴ってはきたものの、それが瑠璃という人間なのだろうと既に割り切っていた。


「で、どう?」


 ミルクに浸したクッキーを口の中で咀嚼した後、ブラッドガルドは言葉を探した。


「……クッキーが濡れた」

「いや濡れたじゃなくて」


 瑠璃が期待したのは美味しいかそうでないかだ。


「……濡れたクッキーが……口の中で……べとっとしつつぼそぼそと……」

「なんでわざわざちょっと不味そうな言葉を模索してるの!?」

「……」


 図星だ。


 瑠璃は自分でもチョコチップクッキーを一つ手に取ると、ミルクの中に浸す。ミルクが染みこみ、僅かに白みを帯びところを口に入れると、ほんのり冷たかった。


「あ、しっとりする。美味しい」


 ミルクが染みこんだところは、ほんの少しだけ柔らかくなっている。けれどもザクザクとした食感が心地いい。


「全然違うじゃん」

「ふん」


 実際にはクッキーをミルクに浸す、なんていうのは海外でも子供のやることのようで、大人になってからやる人はあまりいないらしい。

 ただ、そうして食べるのが好きだからとか、懐かしさにかられてこっそりとやる人はいるようだ。

 二つ目のクッキーに手をかけたブラッドガルドが、しっかりミルクに浸しているのを見て、瑠璃はちょっと笑った。


「しかし貴様らなんでも食うな。牛の乳だろう、これは」

「そっちは飲まないの?」

「……人間のやることだからな。詳しくは知らん。だが、ある事は知っている。……それで、貴様の所ではどうなんだ」


 そう言いつつ、まるで続きを促すように聞く体勢に入るブラッドガルド。


「……えっ、何。どういうこと?」


 瑠璃は一瞬動きを止めた後に言う。


「どうもこうもない。続きを話せ」

「……それは説明しろってこと!?」

「それ以外に何がある?」


 まるで当然のことのように言うブラッドガルドに、瑠璃は思わず言う。


「さすがにお菓子以外の事を聞かれるとは思わないじゃん!」

「……菓子以外のことも聞いているだろうが。それに、菓子の材料にもしているだろう」

「そりゃそうだけど!!」


 確かにクッキーについては以前話した。だからこのチョイスなのだろうが、瑠璃にとっては不意打ちに近かった。


「……さすがにきみの世界のことはわかんないよ?」

「安心しろ、そんなことは聞いていない」


 真顔で言った瑠璃に、真顔で返すブラッドガルド。


「つまり、なんで牛乳を飲むようになったのか説明しろってことでしょ……?」


 スマホを取り出してから、しばらく黙った末にもう一度彼を見る。


「……今日は楽できると思ったのになんでこんなことになってだろ……」

「残念だったな、続けろ」

「ぐああっ……!!」


 瑠璃の悔しさともとれない悲鳴に、ブラッドガルドは口の端をあげた。


 しばらくかけてネットの海を彷徨ったあと、瑠璃は何となくどこから始めるかのとっかかりを掴んだ。


「まず、なんで牛乳を飲み始めたかっていうと……それまで狩猟採集をしてた人間が農耕を始めて、動物を家畜として飼ったあたりかな。こっちの世界でいうと一万年前くらい」

「そんなところまで遡るのか?」

「見たことあるの? その時代」

「直接は知らん」


 どっちだよ、と瑠璃は思うが、ひとまず流しておく。


「日本に住んでると全然違う環境だからピンと来ないんだけど、世界的に見ると乾燥してて暑い地域のほうが多いわけ。そういう地域だと、作物を作ってもダメになることが多い。だから羊とか山羊を飼って、利用しはじめた。始まったのは西アジアのあたりだね」


 瑠璃はとりあえずスマホで地図を探して世界地図を見せておく。

 ブラッドガルドの目が一瞬、その地図に奪われた。


「で、その中で搾乳っていうのは結構な発明だったんだよ。搾乳そのものをいつからやり始めたかっていうのは今でも研究が続いてるみたいだけど……。どうして始まったかっていう推測で一番それっぽいのは……母子介入説、かな?」


 瑠璃は画面をスクロールする。


「元々ミルクっていうのは、人間をはじめとする哺乳類が、生まれたばかりの子供をある程度まで育てるためのもの。だから、子供を産んだ母親が、子供の匂いに反応して出すものなんだよ。だけどそういう羊や山羊が、人間の飼育下になって群れが大きくなると、子供がどこにいるのかわからなくなっちゃう」

「……ああ、それで人間が連れていく、と」

「そうそう。次の世代が育たないのはそれはそれで困るし……。その途中でミルクを横取りする形で始まったんじゃないかって。そのミルクが有用だったからこそ、家畜に依存する生活が始まった」

「有用だったのか?」

「そりゃまあ、赤ちゃんを育てるための栄養が詰まってるからね」


 瑠璃はチョコチップクッキーを一つ手に取って、ミルクに浸した。

 ひたひたになったそれを口の中に入れる。ミルクに浸かって尚、さっくりとした柔らかな食感を楽しむ。


「それに、だからこそ環境の変化にも耐えられるんだよ」

「環境の変化? ……ああ、待て。雨や干ばつ……というより、それが原因の不作、食糧不足のことか。魔力渦……はさすがに無いだろうしな」

「その魔力渦ってのめっちゃ気になるから後で教えてね」

「……」


 余計な事を言った、というような目で視線を逸らすブラッドガルド。

 瑠璃はじとっと見ながら、先を続けた。


「うん。例えばたまたま雨が多くて、食糧になるものが育たなかったとか、日照りや干ばつが続いてダメになったとかあっても、親の体力をすり減らしてでも、子供……次の世代をある年齢までは育てられるってこと。もちろん、次第にそういう風になったから耐えられるようになった……とも言えるけど。だからこそ哺乳類の代表格みたいな人間も含めて、ここまで生き残ってきたともいえるのかも」

「なるほど。だが、すり減らすとはどういう意味だ?」


 どう説明すべきか、というように瑠璃が唸った。


「えーと、涙とかもそうなんだけど、母乳っていうのは血からできてるんだよ」

「は?」

「……いや、わかるよ。その反応は。味がまったく違うからでしょ」


 瑠璃は自分も驚いたと言わんばかりにうんうん頷く。

 そしてその反応を待たずに先を続けた。


「もちろん血を絞って出たものじゃなくて、血の中から栄養素を取り出して作り替えられたものね。そもそも他人の体から出てくるものなんだから、どっかしら元があるに決まってるんだけど。完全栄養食品に近いよね。栄養っていうのは体が健康を保つのに必要な要素って考えてくれればいいかな。それがほとんど入ってる」

「そんなにか?」

「や、鉄分とビタミンDは入ってない。でも、赤ちゃんはお母さんの体から鉄分をもらって貯蓄して、ミルクが必要無くなるくらいまではそれを使ってる。ビタミンDは太陽に当たることで作られる……だったかな」


 目線を落とし、スマホで内容を確かめつつ、続きを喋る。


「成長に伴って他の食べ物を食べられるようになるから、本来はミルクに含まれる乳糖っていうのを体の中で処理する力は失われる。まあ今は成長してからは牛乳飲んだりするからそのまま残ってる感じかな? 牛乳飲んでお腹壊したりする人もいるけどそれは自然なことだって」

「……不思議な生き物だな」

「きみが言うの、それ……?」


 死にかけた状態からでもチョコレートでどうにかなった人に一番言われたくない台詞だ。

 瑠璃は一応それを声にするのは堪えた。他はともかく、どうにかなって一番ほっとしたのは紛れもなく瑠璃なのだから。


「まあ今では料理に入れたりとか、他にも紅茶に入れてミルクティーにしたりとか色々使い方はあるからね。私はミルクティーより、ホットミルクにして蜂蜜入れるほうが好きだよ」

「紅茶に入れるという発想はともかく、蜂蜜もあるのか……それなら、この後は貴様のお気に入りを持ってきてもらおうか」

「いいよー。眠くなる魔法がかかってるけど」


 瑠璃がそう口にした途端、ブラッドガルドが『魔法』に反応を示した。


「……ホットミルク飲むと眠くなるんだよ。蜂蜜入れなくても多少甘くなるし、体があったかくなるから。それを魔法って言ってるだけだよ……」

「なんだ、そんなことか」


 ブラッドガルドは紛らわしいと言いたげにチョコチップクッキーをミルクに浸す。

 絶対気に入ってるじゃないかと瑠璃は思ったが、一応言わずにおいた。


「ホントの意味での魔法はきみの魔法しか視た事無いよ」


 瑠璃はそう言ってしまってから、少し黙った。


「……きみを基準にするのは危険な気がしてるけど」

「まあ人間を基準にすればそうだろうな」


 ブラッドガルドにとってはいつでも自分が基準だ。

 だが、瑠璃のような人間を基準にするとどうあってもブラッドガルドの魔法も魔術も規格外には違いない。

 今の今までブラッドガルドの魔法しか見てこなかったが、魔術講座を聴いた後は考えを改めた。改めたというより、気付かされたというほうが正しいかもしれないが。


「……しかし、それは真なのだな?」

「えっ。何が?」

「魔法を見た事がない、というのが」

「えー? だって魔法が存在しないし。そりゃ、長い歴史で見ればシャーマンとかがいたし、現代でも個人的に魔女を名乗る人はいるだろうけど」

「……」


 ブラッドガルドの目が、物言いたげにやや細くなる。

 ほんの少しの緊張感が張り詰めて、瑠璃は目を瞬かせた。


「……なに?」


 一瞬、そわりとした瑠璃に対して、ブラッドガルドは素っ気なく言った。


「いや、別に。貴様はそれでいい」

「えー。なんだよ!?」

「別に。どうでも良いことだ、今はな」

「今は!?」


 ――そうだ。今はどうでも良い。


 ブラッドガルドは言葉を呑み込んだ。


 ――……貴様に魔術をかけている何者かのことなど。


 瑠璃には魔力は無い。

 魔力を魔法に変換するための回路も無い。

 つまりは、魔法や魔術を使う為の器官が何も無い。

 だが何者かによって、どこかに魔術が施されている――それは、ブラッドガルドが瑠璃の影に入った時に初めて気付いた事実だった。

 ブラッドガルドの世界には、魔力の無い者というのが存在しない。ブラッドガルド自身が出会ったことが無いというのもあるし、そんなものは臓器が一つ無いようなものだ。ゆえに、魔力の無い者に魔術をかけるのに骨が折れることも、かけられた魔術を視るのも同様だというのも知らなかった。

 だからここまで気が付くのに遅れたのだ。


 しかしそれ以上に妙に腹が立った。

 魔術の気配があったことそのものよりも、興味の対象に既に手をかけられていたことに。昔のブラッドガルドならとっとと粉砕していただろうが、今はまだ考える余裕があった。かつての自分よりはずっと。だが、どうしてこれほど慎重に当たろうと思ったのか、自分でもよくはわからない。

 きっと糖分のせいだろう、とブラッドガルドは微かに笑った。


 そんな彼を見て、瑠璃は目を瞬かせた。

 首をかしげる瑠璃の頭の上に、ブラッドガルドの平手が乗せられる。


「それより早く行け」


 ぐぐぐ、と瑠璃の頭に僅かな重みがかかる。


「蜂蜜の採取がどうして始まったかも説明してもらうからな」

「ちょっと! 縮む! 絶対縮むからそれはやめろ!」


 重みをかけ続ける腕を掴んだ瑠璃の悲鳴を聞きながら、ブラッドガルドは満足したように手を離した。

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