20話 プラリネを食べよう
瑠璃が持ってくるお菓子はたいてい箱かプラスチックの袋に入っている。
それでなければ紙袋だ。個包装のお菓子なら抱えて持ってきていた。
だが今日、テーブルの上に置かれたのは、柳のような素材でできた取っ手つきのバスケットだった。中には布が敷かれていて、そこに個包装の菓子が入っていた。
「籠が出てくるのは初めてだな」
「あ、それね。いいでしょ? 百均で買ったんだよ~」
瑠璃は自分の母親が「最近の百均はすごい」と絶賛していたのを覚えている。なんでもまだ若い時分には、もっと雑然と物が並んでいて、見るからに質が悪いとわかるものが並んでいたという。
ところが最近では、ちゃんと使えるものが陳列されているし、お洒落感もある。そう言ったかと思うと、まるで子供のように百均の棚の間をすいすいとどこかへ歩いていってしまった。
まあともあれ、最近の百均は凄いのだ。
ところが反対にブラッドガルドは、百円の価値というのがいまいちピンときていなかった。当然だ。まず、同じものを比べたことがないのだから。
こうして「後で聞くものリスト」は瑠璃の知らない間に山のように膨れ上がっていた。それをブラッドガルドが尋ねるタイミングを見計らっていることも知らずに。
「今日はねー、詰め合わせのお菓子貰ったから、その中のスポンジケーキだよ。前にも食べたことがあると思うけど。さすがに全部持っては来れないから、食べる分だけね。籠も便利でしょ?」
「そうか」
箱に入っているものを籠に移し替えただけだが、この絶妙なお洒落感を瑠璃は楽しんでいた。持ってくるときにも抱えてこなくていいので楽だ。
「飲み物持ってくるね」
瑠璃はそう言って、一旦部屋から出ていった。
その間にブラッドガルドはバスケットの中を覗き込む。個包装のひとつひとつに、四角くカットされたスポンジケーキのようなものが入っていた。それが何個か無造作に入れられている。だがつまみあげようとして手を入れたとき、バスケットの隅にひとつだけ違うものが入っていることに気が付いた。
個包装になったそれをつまみあげて、じっと見つめる。
するうちに、瑠璃がマグカップを二つ手にして戻ってきた。瑠璃はそんなブラッドガルドを気にもとめず、テーブルに近寄る。
「おい、小娘」
「なにー?」
マグカップをテーブルに置きながら、瑠璃は顔をあげる。
「……これは、なんだ?」
「んあ?」
長い爪先が差し出したものへ目を向ける。
個包装になった小さな袋の中には、茶色い塊のようなものが見えた。
*
「えっとね、これはプラリネ」
個包装の袋や、箱に入っていた小さな説明の紙を読んでようやく突き止めたのは、そんなかわいらしい名前のものだった。
「言語によってはプラリーヌとかいうけど、日本で広まってるのはドイツ語表記のプラリネみたい」
名前さえわかればあとは検索をかけるだけだ。
見た目は形の悪い粒といった風体だが、かじってみると、カリ、といい音を立てて中のアーモンドごとすぐに砕けた。外側のキャラメルも固すぎず、すぐに割れてしまう。
煮詰めた砂糖の、少しほろ苦い甘みがちょうどいい。
中のアーモンドともども癖になりそうな食感だ。永遠につまんでいそうだが数が限られているのが惜しかった。
「……これはなんだ? 何が絡めてあるんだ」
「砂糖」
「……砂糖?」
砂糖と言えば白い粒のようなものだろう、と言いたげな視線が突き刺さる。
「煮詰めるとこういう風になるんだよ。温度によっても名前が違うけど」
「……ふうん。なるほど。悪くはないな」
もうひとつぶつまんで、音を立てる。
「きみはつぶあんは受け止めきれないのにアーモンドはいいのか……」
「印象の問題だ。豆とアーモンドはまったく違うだろう」
「……印象の、問題……?」
もしかしてこの人、単なる食わず嫌いなのでは……、という疑問が浮かぶ。
「それにアーモンドは既にアイスクリームの上に乗せると悪くないと証明されている」
「それはアイスクリームが美味しいんじゃなくて!?」
思わずツッコミを入れてしまう。
そしてここにきてまで「悪くない」という言い方をするブラッドガルドの堅い意思のようなものまで感じた。
「というかさあ、そろそろ素直に美味しいって言いなよ~」
「そんなことはどうでもいい。続けろ」
「えー……」
仕方なく、瑠璃はスマホの画面を動かした。
「でね、さっき砂糖って言ったとおり、このプラリネっていうのは、糖菓の一つだよ」
「トウカ?」
「砂糖菓子、で糖菓ね」
「ああ。そういう……」
正しい名前で言われるとなんとなくわかるのは誰でも一緒らしい。
「コンフィズリーともいってね。砂糖を使ったお菓子の総称」
マロングラッセやキャンディ、キャラメルといえば瑠璃にはわかりやすかったが、瑠璃は残念ながらまだそれらを持ってきたことがない。
そもそもブラッドガルドの世界にそれらが存在するかどうかがわからなかった。
「飴とかキャンディとかわかる? 口の中で舐めてとかして楽しむ甘いやつ……」
「……。固形蜂蜜のようなものか?」
「そ、それは砂糖ではないけど……、だいたいそんなもの、かな?」
瑠璃は手元のスマホをスクロールさせ、それらしい記述を探す。
「んーと……あ、これだ」
そして一呼吸置いてから話し出す。
「コンフィズリーはそれぞれ、フルーツ、ナッツ、生地……に砂糖を絡めたものって考えると解りやすいかも。生地は置いとくとして、フルーツはこの間にジャム食べたでしょ?」
「……ジャムといえば、確か……」
「アイスクリームの時の、瓶に入ってたやつ」
「ああ、あれか。確かにイチゴを砂糖で煮詰めたという……」
「そうそう、それそれ。ああいう感じ」
他にもフリュイ・コンフィと呼ばれる果実の砂糖漬けなどが例としてあがっていたが、今は省いた。
「で、このプラリネはナッツを砂糖で煮詰めたもの。これは砕いたアーモンドだね。今はもっと煮詰めてローラーでひいてペースト状にしたものもプラリネっていうみたいだけど」
「……要は、アーモンドと煮詰めた砂糖をどうにかしたものがプラリネか」
「そんな身も蓋もない言い方はどうなの!? いいけど!」
瑠璃はツッコミだけ入れておいた。
「で、その肝心のプラリネの由来なんだけど……」
実のところ、プラリネの由来はすぐに見つかった。だが、問題はそのあとだ。ページによって、人物名がごちゃごちゃしているのだ。
つまりどういうことかというと。
まず、このお菓子はとある貴族のお抱え料理人が作ったということになっている。だが、ネットのページや参考文献によってその名前がばらばらなのだ。
まず貴族の名前も、ルイ十三世に仕えたプレシ・プララン伯爵と書いてあったり、セザール・ガブリエル・ド・ショワズール=プラズランだったりする。名前の表記が違うだけならまだしも、同一人物かと言われるといまいちピンとこない。
料理人の名前のほうも、クレマン・ジョリュゾだったり、単にラサーニュだったり、さらにはクレマン・ラサーニュとなっていることもある。こちらも同一人物かがはっきりしない。
いっそまったく別の人間なら良いものの、ここまで似通っていると混迷を極めた。
ただ、だいたいの流れは似ていたから、瑠璃はしばらく考えたあと――。
処理能力を超え、すべてを諦めた。
「……うん、えっとね」
「よく死んだような目で笑えるな」
器用さを褒めるブラッドガルド。
だが、瑠璃が混乱からすべて諦めたということは理解したらしい。
「プレシ・プララン公爵に仕えた料理人――これも諸説あるんだけど、その人が作ったみたいだね。できた経緯についても色々とあるよ」
瑠璃がその場で調べただけでも。
『宴の席でつまめるものを用意しろ』と命じて作られた。
子供たちがアーモンドに砂糖をかけているのを見て思いついた。
見習いコックがアーモンドとキャラメルを一緒にかじっているのを見て思いついた。
アーモンドを床にこぼしてしまい、このままじゃ出せないからと砂糖をかけた。
……とまあ、はっきりしないことこの上ない。
「面白そうなのはこれかなあ?」
「ほう」
「アーモンドを使った料理の最中に、弟子の人がうっかり煮詰めた砂糖をこぼしちゃったんだよ。当然、怒る。けど、後からなんとなく食べてみたら美味しかったから、そのままちゃっかり新製品としてプララン公爵にお出しした。もちろん、名前はプララン公爵からとって、女性名の『プラリーヌ』。すると公爵もお気に召したので、それ以後お菓子の仲間入りを果たした……と。
その後引退してからロワレ県のモンタルジって所へ行って、このお菓子を広めたって話だよ」
「その頃はプラリーヌという名だったのか?」
「うーん。まあ言語によって違ったり、わかりやすく紹介するからだと思うけど」
瑠璃は眉をひそめる。
「ほら、アーモンドペーストにしたものがあるって言ったでしょ? あれもプラリネだし。しかもベルギーとかスイスとかだとプラリネはフィリング……つまり、中身入りのチョコレート粒って意味で使われてるみたい」
瑠璃はなんてことないように言ったが、ブラッドガルドは聞き逃さなかった。
「……は?」
完全に「詳しく説明しろ」の「は?」だった。
「それでね」
「おい待て、先に進むな。今なんと言った小娘」
瑠璃は思い切り顔を横にそらして視線から逃げる。
「……もともとベルギーで生まれた言葉みたいだけど。ベルギーでもともとは薬屋さんを営んでいた人が、飲みやすいようにチョコレートで覆ったのね。それから代替わりしたあとに、今度はチョコレートの中身を薬じゃなくてフィリングにした。そこから、中身入りチョコレートのことをプラリネって言うようになったみたい」
「さっぱりわからん」
なぜそれがプラリネに繋がるのかが確かにわからない。
瑠璃は唸って、首をひねった。
「もしかすると最初はプラリネを入れていたのかも」
「……ふむ?」
「もともと薬をチョコレートで覆ったものなら、呼び方はチョコレートじゃなくて薬のほうだと思うから」
「……ああ、そういうことか。だからプラリネを入れたからこそ、名がプラリネになった」
「うん。時代が進んで、今はプラリネ以外の色んなものも入れるようになっても、名前はプラリネのまま。そして転じて、チョコレート粒そのものをプラリネと呼ぶようになった……。考えられることはそれくらいかなあ?」
ブラッドガルドは頷いた。
「さっき検索してたら出てきたんだけどね。日本の新潟県でも、プラリネっていえば、結構有名なお店から出してる『プラリネ』って名前のカステラのことみたい。プラリネが乗せてあるケーキみたいなもののことね。それで新潟ではプラリネっていえばこのアーモンドそのものじゃなくて、ケーキのことなんだって」
「なるほど。……まあ、そういうことにしておいてやろう」
「お、おう……それはありがとう?」
瑠璃は言ってから、なんでありがとうなんだろうという疑問を持ったが、考えないことにした。
完全に頭が働いていなかった。
「しかし、悪くはないが量が無いのがな」
残りのプラリネを手にとり、カリリと音をさせた。確かにプラリネはこれで終わりだ。貰ったお菓子の詰め合わせの中にももう無いのはわかりきっている。
「私はともかく、ブラッド君はやっぱり足りないよねえ……。まあ、こっちのケーキも食べなよ。これの上に乗ってるのもプラリネみたいだし」
「これはその、ニイガタで有名なものとは違うのか」
「残念ながら」
残念ながら、別のお店の別物だ。
説明の紙に書いてあったものも別の名前だった。
「まあ良い、名前などなんでも」
ブラッドガルドはそう言いながら、ケーキに手を伸ばした。個包装されたそれを手にとり、破いていく。
「……そうなの?」
「味がそこそこならな」
「そっか」
瑠璃はそういうことにしておいて、自分もケーキに手を伸ばした。




