閑話15
その日、瑠璃はいつもの通りの時間に、いつも通りにばぁんと扉を開け、いつも通りに中に入ろうとした。
目の前が暗かった。
「あれ」
見慣れた布というか、姿がそこにあった。鏡の大きさよりも明らかにでかいブラッドガルドは、扉が開いたのとほぼ同時に瑠璃を押しのけるように扉をくぐってきた。
「えっ、ちょ、なに。どしたの」
「閉めろ」
「えっ何?」
「閉めて今すぐ誰もここに入れないと祈れ」
「全然意味わかんない何!!?」
「いいから閉めろ」
「閉めろってかなんかブラッド君向こう側に引っかかってない!!?」
実際そうだった。
ぐぐぐ、と音でもしそうな勢いで中から布と髪の毛が引っ張られている。そこを無理矢理ブラッドガルドが扉を閉めようとするものだから、余計に瑠璃にはわけのわからないことになっていた。
「服と髪は切る」
「簡単に切るなよほんとどうした!?」
「あ?」
ブラッドガルドの意識が完全に瑠璃の方へと向かった時だった。扉から白い鳥が勢いよく飛び出してきたかと思えば、そこから聞き覚えのある声がした。
『戻りなさいブラッドガルド! 私はさっきから羽が挟まってるんですよ!!!』
白い鳥が叫んだことで、瑠璃は完全にフリーズしてしまった。その途端に、浮いている魚と、目と口しか無い茶色い土人形が飛び出してきた。
しん、と静まりかえる。
「鳥がしゃべったぁああ!!!」
「あー!! すいません!! すいません私ですルリさん!!」
「人間を脅す鳥か。殺しておくか?」
「ここぞとばかりに乗っからないでください!!!」
*
「いや~、扉開けた瞬間、目の前にブラッド君が立ってたから何かと思ったんだけど」
どうにか落ち着いたあと、瑠璃は正座のままテーブルの上にいる三匹に話しかける。
ブラッドガルドと三柱ごとお茶会部屋に戻したあと、瑠璃はようやく落ち着いて話し出すことが可能になったのだ。だが落ち着いたのはパニックから正気に戻ったというだけで、この状況に対してではない。
「あと、魚の人は大丈夫なの……。金魚鉢とか、あっ金魚鉢無い、コップとか要る……?」
あまりの真剣さで聞いたせいか、チェルシィリアと思われる青い魚はそれ以上何も言わなくなった。浮いているといっても、宙に浮いた水球の中に魚が入っているのだから水の必要は無いのだが、瑠璃はどうにも落ち着かなかった。
「それに普通は鳥もしゃべんないからびっくりしちゃって」
「す、すみません」
「それなら――」
若干へこむ白い鳥の隣で、茶色の土人形が大げさに両手を広げた。
「土の人形が動いてしゃべるのはどうかな?」
そう言った土人形は原始的な作りだった。現代で見られるような、指先まである細かいものではない。子供体型の胴体に円柱形の腕と足がついただけで、頭はへこんだ目と口があるだけだ。そこから、アズラーンの声がする。
「土の人形もしゃべらないかな……」
「そ、そう」
真面目に答えられてしまったので、アズラーンも少しだけひるんだ。
「いや、なんとなくわかったよ。ブラッド君の友達の神様たちだよね? なんでそんな姿に?」
友達、という言葉に、隣から心底嫌そうな視線が一瞬注がれた。
瑠璃は気にしなかった。
「この姿はいわば僕たちの分身のようなものさ。僕らの意志は介在しているけどね」
「ヨナル君を介してブラッド君と通信してるみたいな……?」
「ヨナル……。ええと、ブラッドガルドの使い魔だね。それとはまた少し違うかな」
瑠璃は無言のまま指先を額に当て、眉間に皺を寄せたり上を向いたりしてなんとか言葉をかみ砕こうとした。
「貴様にもわかる言葉でいうと、精霊本体の省エネ版だと思えばいい」
「それブラッド君もなれる?」
明らかに期待をこめた瑠璃の目線を、ブラッドガルドは無視した。
「あ、ああ、そうだ、ルリさん。あなたからもブラッドガルドに言ってもらえないでしょうか」
「なに?」
「簡単に言うと、会議に出ない……ですね」
セラフの言葉を、チェルシィリアが引き受ける。
瑠璃の目線がもう一度ブラッドガルドに向いた。
「行きなよ、会議くらい……」
「あ?」
過去イチに機嫌の悪いブラッドガルドからは、暗い闇のようなオーラがこれでもかと出ている。
「彼が来ないことはわかっていたので、こうやって来てるんですけどね」
「まあ行かないよねブラッド君は」
「……」
より禍々しさを増したオーラが放たれる。これも瑠璃は無視した。
「うーん。会議って何話してるの?」
「ええ。一応、こちらの進捗状況ですね」
「えーと……、あの、あれだよね。ワニだか最初だかの女神のあれこれみたいな」
「そうです、そうです」
セラフは白い鳥の姿のまま頷くと、そのまま報告でもするように話し出した。
やはり原初の女神に関する施設やアジトは、各地に点在しているという話だった。そのどれもが巧妙に隠されていて、ひとつひとつは小さなものだという。それこそ精霊たち――特に世界に還ってしまった精霊には感知できないほどの小さな粒のようなものらしい。
そもそも、既に世界を次世代――つまりは人間や獣に明け渡した三柱の精霊にとっては、すべてを管理するのは不可能事らしかった。
「あえて『信者』という言い方をするけど、信者が既に城に入り込んでいる可能性もあるからね。これまで、邪教として討伐されてきた中にも原初の女神の信者がいたかもしれないし」
「中には、純粋な古代文明の研究などにも散らばっているかもしれませんからね」
「……意外と大変なんだねえ」
瑠璃はよくわからないといった顔をしながら言った。
「まあでも、こっちには協力者がいるからね。しらみつぶしにやっていくよ」
「……こちらも、マドラスの方々の協力を得ることができました」
「そっかあ」
「リクさんも動いてくれてますよ。いまは、世界樹のある国にかけあってもらっている最中です」
「世界樹って、なんか今どっかの国が持ってるんだっけ?」
「ああ。本来、世界樹の言葉を受け取れるエルフたちの数が減ってしまったからね。仕方のないことだけど」
「……聞こえました? ブラッドガルド。世界樹ですよ。せーかーいーじゅ!」
セラフの言葉をまったく無視して、ブラッドガルドはあらぬ方向を見ていた。
「世界樹はどうすんの?」
「……世界樹は、私たちの力がぶつかる場所です。手出しはしにくいはずですが……、しかし、押さえられるとまずいのです。そう思っていただければ」
「あ~。こっそりやんないと駄目なやつ?」
「そうですね」
セラフはうなずいてから、他の二人を見た。
「えーと……。このくらいでしたっけ?」
「そうだね」
「そっか。お疲れ様だね」
「ああ、いえ……」
「ところでいまからお茶会の予定だったんだけど、三人も食べる?」
「は?」
ブラッドガルドの放つオーラにどす黒い闇色のものが混じり、とうとう部屋の中にべちゃりと音をたてて落ちてきた。
*
すったもんだの末に、部屋から脱出した三柱は地上までの道を引き返していた。
「やっぱり、ルリさんがいると話が早いですね……」
土人形を背中に乗せて飛びながら、白い鳥が言った。
「彼女自身が人が善いせいもあるのでしょう」
土人形に抱えられた水球から、青い魚が言う。
「……そうだね」
その土人形は、そう答えただけだった。
その手には瑠璃が渡してくれたクッキーの欠片がまだあった。そのクッキーの欠片を見つめながら、じっと無言になる。
青い魚がその様子を見ながら尋ねた。
「何か思うところでも?」
「ああ……」
少し考えを整理するように丸い目の穴が伏せられてから、言葉が紡がれる。
「戦力的には、確かにリクやアンジェリカ嬢の方が遙かに上だ。特にリクは、神を恐れない。彼は切り札になる。この世界の者たちのように、神殺しへの根源的な恐怖を感じないからね」
「……」
そう表現した土人形に、誰も異議を唱えなかった。
「けど、ルリは違う。……だからこそ、彼は警戒しているのかもしれないね」
「警戒? ブラッドガルドが……ですか?」
「ああ。リクにはこの世界で『勇者』という役割が与えられたけど、彼女は違う。『魔女』という立ち位置ではあるけど、彼女は限りなく自由だ。本当の意味でのイレギュラーとも言えるね」
「つまり、彼女は何をしでかすかわからない、と?」
「ああ。だからこそ、僕らにとっての真の切り札は彼女になるかもしれない……けど……」
「……けど?」
続きを促した青い魚に、土人形はひとつうなずいた。
目線を落とす。その姿はただの土人形であるというのに、暗いものが見えた。
「僕らにとっての『切り札』は、向こうにとっての『切り札』になる可能性もあるってことさ」




