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挿話46 チョコレートを食べよう

「へえ」

「ほう」

「ふうん」


 三者三様の感嘆の声が、瑠璃の上から響いている。

 瑠璃は瞬きをしながら見返しているが、その首元にはヨナルが絡みつき、冷や汗を垂らしながらわずかばかりに威嚇していた。だがその威嚇も三人にはまったく通じていない。それどころか、一体どうしたとばかりに瑠璃に喉元を撫でられる始末である。

 なにしろ目の前の三人は、この世界における神といってもいい、三柱に他ならないのである。


「意外に小さい」

「赤い」

「四角い」

「これまだパッケージだからね?」


 ヨナルの鱗を指先で撫でつつ、脳天気に答える瑠璃。

 もう片方の手には、赤いチョコレートの箱があった。







 少し前のことである。

 差し入れと称した荷物を受け取ったリクは、中身を見てつぶやいた。


「……お前、マジか……」

「えっ、なんか駄目だった!?」


 瑠璃とリクがいるのはヴァルカニアの時計塔城の一室。

 荷物の中身は当然、果物や野菜……ではなく、レトルトカレーやカップ麺、それから缶入りのそれからチョコレートやポテトチップ。そうしたまさに現代の叡智の結晶をごく普通に持ってきていた。


「中辛じゃなくて甘口が良かった? コンソメじゃなくてうすしおが良かったとか……」

「そうじゃなくてな!? すげーありがたいけど、めちゃくちゃ気軽に向こうのモノを持ってくるのが衝撃というか!」


 リクはリクで、セラフからある程度は向こうの技術や知識を混ぜないよう注意されていたのだ。それを考えると、まるでスポンジのように向こうの知識をあることないこと吸収して自分のものにしていくブラッドガルドのやり方はかなり正反対といっていい。


「リクなら別に驚かないしいいかなって。うちにあったやつだし。災害用に定期的に入れ替えしてるやつだから気にしなくていいよ」

「そ、そうか……。なあ、もしかして外の列車もお前の仕業か?」

「あれはブラッド君の趣味だよ」

「あいつの趣味なの!!?」


 別の衝撃を受けるリクの隣で、アンジェリカが薄手の鞄を横からかっさらっていった。テーブルの上にのせると、物珍しそうに眺めながら中身を取り出している。


「あれは何見せたらああなったんだっけなあ? 映画だった気がするけど」

「お前マジでブラッドガルドに映画見せてんだな……内容はともかく」

「いやクソ映画上映会はほとんどやらないからね!?」


 この直前、ブラッドガルドによって拉致されたリクはタイトルからして明らかに駄作の類だとわかる微妙な映画を何故か見せられていた。だが三周目あたりで一緒に見ていたブラッドガルドの方が先に飽きた――というか映画の内容にキレだしたため、そこで解放されたのである。


「ねえルリ」

「うん?」


 声をかけてきたアンジェリカの方へと視線を向ける。

 彼女はレトルトカレーの箱を手にして尋ねてきた。


「この中って、あんたがあげたっていう神の実は入ってるの?」

「それは僕も大いに気になるね」


 瑠璃が答えようとした瞬間、背後から声が落ちた。


「あれ!? アズラーンさん!」

「やあ。アズラーンだよルリ君」


 背後で相変わらず高級奴隷の服に身を包んだアズラーンがにこやかに笑って手を振る。


「なんでここに?」

「いや、ちょうど良く気になっていた話題が聞こえたものでね」

「……神の実のお話でしょうか?」

「ああ。実は気になってはいたのだよね。ブラッドガルドが気に入ったという神の実が。それを巡って冒険者や貴族たちが血眼になって探したというそれが。噂だけは僕らの国にも入ってきていたからね」


 アズラーンはそれだけ言ってから、瑠璃を見下ろす。


「どうだい? ここらで種明かしというか、僕らにだけでもいいから、神の実がなんたるかを教えてくれても――」

「いいよ」

「え!?」


 あまりにあっさりと頷いた瑠璃に、逆にアズラーンは驚いていた。


「え!? ってなに!? なんで驚いたの!? 聞いてきたのそっちじゃん!?」

「あまりに即答だったからだろ」


 リクが横からツッコミを入れる。

 その隣でアンジェリカも頷く。


「あなたにとってはごく普通のものかもしれないけど、私たちからすれば死にかけた魔人を癒したうえに、その魔人が魔女の情報と引き換えに欲しがってるだけで十分なのよ」

「うーん。そういうものぉ?」


 瑠璃は首をかしげる。


「そういうものなのですよ」


 いつの間にか近くにいたセラフが頷く。


「あれ!? セラフさん!? チェルシィリアさんもいる!?」


 そういうわけで、いつの間にか集まってきた三柱により、チョコレートの観察会が始まったのである。


「セラフはともかく、チェルシィリア様までいるとは思いませんでしたわ……」

「気になる」

「神の実の存在については僕らも知らないからね。どこかでそう呼ばれている何か、というのならまだしも、異世界のものとなるとお手上げだ」


 アズラーンは飄々とした態度を崩さなかったが、リクは少しだけ背筋を伸ばした。宵闇の迷宮でチョコレートが作られていたとはいえ、まだその実態はほとんどが謎に包まれている。特に宵闇迷宮が踏破されたいまとなっては、確かめるすべはない。

 要は本当に神をも癒せる万能の実なのではないか、この世界を犯す、あるいは戦の元になるような万能薬なのではないかと疑っているに違いない。


 ――できればあんまり誤解のないようにしたいが……。


「えーと……そもそもなんで神の実がどうのって話になったかっていうと、原材料のカカオが、『神の食べ物』を意味するテオブロマっていう学名がついてるからなんだよね」


 いきなり瑠璃がぶっこんできたので、リクは表情を凍らせた。


「学名ってなに?」

「生物の分類に使ってる、世界共通の名前のことだよ。ほら、それぞれの言語だと呼び方違うじゃん」


 共通語のようなものか、とその場の異世界人と神々は納得する。


「で、そのカカオの実がチョコレートの原材料。だいたい15から30センチくらいある卵形のでかい実で、これがカカオポッドって呼ばれてるやつだね。幹から直接果実のほうはカカオパルプ、で、種子のほうが本当の意味でのチョコレートの原材料になるカカオ豆だね」

「へえ、種のほうなのですね」


 瑠璃は説明しながら箱の中からひとつぶ取り出し、包装紙を開く。オーソドックスな四角いタイプのチョコレートだ。茶色い塊に、やや訝しげな視線が集まった。それをまず、一番近くにいたリクに渡すと、全員の視線がリクの手元に集まった。

 瑠璃は次のひとつぶの包装紙を開きながら続けた。


「カカオじたいは、紀元前――ええと、二千年よりもずっと前から食べられてるよ。その当時でもかなり貴重なものの扱いされてて、そのときは主に飲料にしてたみたいだね」


 中身を取り出したタイミングでアズラーンが手を差し出し、チョコレートが渡る。


「最初は固形ではなかったのだね」

「うん。トウモロコシでかさ増ししたり、スパイスみたいなものを入れて飲むのが一般的だったんだって。だから、いま現代の日本でチョコレートって聞いて思い浮かべる味よりは、ずっと苦みとか別の味が強調されてたと思うよ。カカオパルプ……果肉のほうは甘酸っぱい味のジュースになるみたいだけど」


 瑠璃が剥いたチョコレートが、今度はアンジェリカに渡った。


「へえ。……そういえば、宵闇迷宮で魔法生物が飲んでたのも、果肉のジュースみたいだったわね。なんのジュースなのかわからなかったけど……」

「そうなの? とにかくカカオ豆自体が貴重だったから、神様への捧げ物であると同時に、王様や首長、あとは戦士みたいな人たちしか飲むことを許されなかったんだよ。文明によっては、一般人が飲んじゃうと命に関わることもあったみたいで、血や心臓に例えられることもあったみたいよ。あと、有名所としては貨幣としての価値もあったみたい」


 次に剥いたチョコレートを、瑠璃はセラフに差し出す。セラフは貰えると思っていなかったのか、一瞬躊躇してから受け取った。それから尋ねる。


「あくまでカカオ豆のほうが貴重だったのですか? 何か実質的な効果が?」

「興奮剤とか幻覚剤とか……、あとは媚薬みたいな。戦士が戦う前に気分を高揚させるとか、王様が女の人と寝る前に飲むとかかな」


 続いて剥かれたチョコレートがチェルシィリアに差し出されると、彼女はしなやかな指先でそれを受け取った。今度はチェルシィリアが頷きながら口を開く。


「なるほど……。一種の覚醒作用があるのですね」

「そうそれ! 他にもいろんな薬草と組み合わせて薬にしたりしたらしいよ。カカオそのものに効能があるかは微妙な薬もあるみたいだけどね。あとは儀式に使ったりとか」

「……ずいぶんと有用ですね?」

「うーん。それだけ身近で価値のあるものだったんじゃないかな。それが西洋に『発見』されたばっかりのときは、見た目も味もひどいけどなんかとにかく貨幣にもなってるし価値はあるっぽい、ってくらいだったらしいし」

「……」


 あまりの説明のひどさに、一瞬チェルシィリアは黙った。

 それから気を取り直して再び口を開く。


「……ところで、『発見』とはどういう意味です? 既に貨幣にもなっているくらい発見されているではないですか」

「すごく簡単に言うと、ヨーロッパっていう文化圏が世界の中心気取ってるというか、世界を回してる自負をしてて、彼らに『発見』されたってことかな」

「ふむ……?」

「当時のヨーロッパからすれば、アメリカっていうのはようやく船で行けるようになった、ばかでかい新しい大陸って感じだったから」

「そのあたりの感覚は……僕らにはよくわからないな?」

「人間特有の感覚かもしれませんね」

「地上とシバルバーのようなものではないですか」

「うわーなんか神様ムーブ感じるなあ」


 その様子を見ながら、リクは手の中で溶けそうなチョコレートを口に入れた。


「ど……どう? リク」

「どうって、俺は食べたことあるからな。久々に食べるとめっちゃ甘い」


 身も蓋もないリクの返答に、アンジェリカは少し逡巡する。


「それに、溶けるとべたべたするから早く食べたほうがいいぞ」

「えっ」


 リクに言われてようやく、アンジェリカは慌てて口の中に入れた。

 確かに少し体温で溶けているようで、指先に茶色い液体がついている。少しだけ抵抗感を覚えたが、時は既に遅かった。というより、舌先の体温でわずかに溶けた表面に、食べたことのないほど甘い味が広がったのである。わずかに感じるミルクの風味が、甘みの向こうにある苦みに柔らかな印象を加える。

 アンジェリカは目を瞬かせながら、口の中で起きていることに驚いた。


「いま食べてもらったのは甘い味がしたと思うけど、それは砂糖が入ってるからだね。カカオそのものの風味は、ちょっと苦めというか」

「その……アメリカというところは、砂糖は入れていなかったの?」

「先住民の時代はね。砂糖が入れられるようになったのはヨーロッパに渡ってからだよ。一説によると聖職者たちによってもたらされて、そこから広がったみたい。ただ、もともと現地で飲まれてたやり方だと拒否感がすごかったから、代わりに砂糖とかシナモンみたいな口当たりのいい香辛料を入れたり、アーモンドとかを入れたりして改良してったみたい」

「……それが、いま食べたこれなのね」


 アンジェリカは変わらず目を丸くしていた。

 体温ですべて溶けきってしまうのを惜しむように、少しずつ味を噛みしめる。行儀が悪いと思いながらも、溶けてしまう塊を惜しむように、指先についたチョコレートをなめとった。


「しかし瑠璃もよく知ってるな、そんなこと」

「あ、これ? 前にブラッド君にも説明したんだよ」

「したのかよ」

「いやそんときはいま以上にめちゃくちゃ大変だったけどね……?」

「なにがあった!!?」


 急に遠い目をした瑠璃に、リクはおののく。


「たいしたことじゃないよ。なんかいろいろ聞いてきて、こいつめっちゃチョコレートに食いつくじゃん……って思っただけで」

「お、おう……」

「そのときはスマホもあったからすげーいっぱい聞かれて疲れた」


 真顔で答える瑠璃に、もはや何を言っていいのかわからなくなるリク。


「あ、そうだ。ルリ君」

「なに?」

「……まさかとは思うけれど……。ブラッドガルドの名前やその二つ名の中に、そちらの世界で血や生命を意味する言葉は入っているかい?」


 その質問に、リクと瑠璃が二人して顔を見合わせた。それからリクが答える。


「ブラッド、で切れば……場合によっては血って意味になるけど」

「そうか。ということは、チョコレートはまさに彼と相性が合ったわけだね。神の食べ物を意味する、神に捧げられた食べ物。血や闘争と結びつけられたそれは、まさに彼にとって神の食べ物だったわけだ……」

「いやそこまで考えなくても甘いもの好きなだけだと思うよ」


 瑠璃がきょとんとしながらきっぱり言い切ったので、アズラーンは肩透かしを食らった。


「えっ」

「死にかけてるところに最初に食べたのがチョコレートだし、なんか甘い物食べたことなさそうだったから特別気に入ってんだと思う」

「……あの、ルリさんは本気でそう思ってるのですか?」

「ブラッド君はスイーツ男子だから」


 真顔で言い切った瑠璃に、リクが噴き出しそうになった。


「……スイーツおじさんかもしれない!」

「やめろ笑うから!!」


 リクの反応と違って、二柱は衝撃を受けたように目を見開き、ぱちぱちと瞬きをしていた。

 人間たちをよそに、アズラーンは他の二柱に向き直る。


「スイーツおじさん……」

「チェルシィ、地味にツボに入ってません?」


 地味に笑いかけている二柱に続いて、アズラーンは小さく言った。


「……セラフ。きみが、『魔女』に任せてみようと言った理由がなんとなくわかったよ」

「あ……」


 セラフがアズラーンを向き直る。


「確かにこれは、受け止めるのに時間はかかりそうだけどね。僕も、チェルシィも」

「……」

「彼女は……なんというか……、言葉にしにくいけれど――……」

「とても馬鹿だ」


 唐突に話に入ってきたブラッドガルドに、三柱の目が一気に向いた。


「……貴様ら、我への供物に手を出すとはいい度胸だ……」


 ずるっと影が天井まで伸び、冥府魔道に堕ちたかのような声が響く。


「それ供物じゃなくてリクへの差し入れなんだけど、どっから聞いてたの?」

「ほぼ最初からですかね」

「うわーー!! カイン君まで生えたーー!!!?」


 最初はこの場にいなかったブラッドガルドが現れたということは、カインも現れるのは道理である。そしてそれは、ごく普通にルリとリクがこの世界の人間ではないと説明してしまったことにも等しい。


「別にいいですよ。ところで僕にもチョコレートをくださるとありがたいのですが」

「あげるからいろいろ内緒にして!!」

「かまいませんが、あの列車のようなものが他に何かあるのかお聞きしたいので、これからもよろしくおねがいします」

「カイン君がうわてだ!!」

「思わぬ伏兵すぎんだろ」


 今度はリクが衝撃を受ける番だった。


「とりあえずブラッド君はあとでガトーショコラあげるから止まって!!」

「黙れ小娘、その体八つ裂きにするぞ……待ていま貴様なんと言った。まだそんなものを隠していたのか殺す」

「やめなさい!?」


 急に瑠璃を脅し始めるブラッドガルドをセラフが止める。

 結局騒動がおさまるのにまた一時間かかり、その頃には人間たちが全員ぐったりと疲れ切っていたのである――。

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