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61話 ポテトチップスを食べよう

「ん~~~~……」


 瑠璃は開け放たれた冷蔵庫の前で唸っていた。

 目の前――というより、冷蔵庫の片隅には、隠されるように積まれたチョコレートの山がある。そのパッケージはさまざまだが、共通点がただひとつ。中身が酒類なのだ。いわゆる、チョコレートボンボンなのである。

 先日、柿の種を食べて塩分補給をした瑠璃は、まあ今日はチョコレートでもいいかな、と多少は思っていた。

 思っていたのだが。


 ちらっと背後を見る。

 対面式キッチンの向こう。食事用に使っているテーブルの上に、いましがた買ってきたビニール袋が乗っている。空ではない。ふっくらと膨らんでいる。無言でそれを見つめたあと、頭ごと視線を戻した。


「んんんん~~……」


 そして、また呻いた。


 ――ど、う、し、ようかなあ……。


 などと思考の海に沈みかけたそのとき。

 ビーッ、という小さな音が響き渡り、瑠璃は我に返った。


「うわっ」


 開け放たれたままの冷蔵庫からの警告音だ。あまり開けっぱなしにしておくのも良くない。冷蔵庫に怒られた瑠璃は、慌てて扉を閉める。


「思わずスーパーで見つけちゃったんだよなあ……あれ」


 それから、気を取り直すように後ろを見る。瑠璃はキッチンから出ると、テーブルの上にあった袋を手にとった。

 そして、そのまま自分の部屋へと向かったのである。







「……貴様……」


 ブラッドガルドはやや不機嫌そうに瑠璃を睨んだ。

 その眼光は鋭く、本来ならば失態を犯した部下か、敵に下してほしいところだ。雰囲気としては全体的にそうだが、目の前にあるテーブルはその空気を壊しているし、そもそも理由のほうは失態でも敵でもなんでもない。


「えっ嘘でしょ。そんな残念なの?」


 理由としては、今日のおやつがチョコレートではない、と知ったからである。

 そりゃチョコレートは好きだろうけど、という瑠璃の目線に、ブラッドガルドは一瞬視線を外した。別に好きではない、と言いたげだ。ぎろりとした視線はすぐに瑠璃に戻った。


「まあ良い。貴様の選択が正しかったかどうかはすぐにわかる……」

「まあまあ、そうスネないでよ」

「誰がだ、殺すぞ」

「はいはい」


 文句については適当にあしらい、瑠璃はビニール袋の中からポテトチップスの袋を取り出した。


「と、いうわけで今日のおやつはポテトチップス!」


 二種類をそれぞれ手で持って掲げる。

 ポテトチップスはお菓子の分類の中でも、スナックとかスナック菓子とか呼ばれる部類に入るものだ。甘みではなく塩味のものが多く、スナックの名前のとおり軽食や間食代わりに食べられるものである。芋類は言わずもがな、豆やとうもろこしなどを揚げたもののことをいうが、実際のところ、はっきりとした定義は存在しない。

 ジャンクフード的な扱いもされるため、消費者の食べ過ぎが問題となることも多々ある。


「最近だと色んな種類の味があるんだけど、とりあえず基本ってことで塩味とコンソメね」

「……おい」


 また塩辛いものではないか、という目で見られたが、瑠璃は無視した。


「でもポテチって油とじゃがいもの組み合わせだからさー。太るんだよねえ」


 愚痴るように言うと、ブラッドガルドが改めてパッケージに視線をやった。


「……じゃがいも?」

「じゃがいも」


 頷く瑠璃。


「そっちの言葉でいうと岩芋……だったっけ?」


 ブラッドガルドの世界では、そもそも土の中に実が成る食物は、魔物の餌という考え方をされていた。

 といっても、じゃがいもで食用にしている土の中の物体は『茎』だ。本来のじゃがいもの実は、花が咲いた後にできるトマトに似た緑色の実である。そこにじゃがいもの種子が詰まっているのだ。その実も熟せば食べられないことはないが、推奨はされていない。そもそも若い実は毒が多いのである。

 このあたりはどちらの世界のじゃがいもも似たり寄ったりらしい。ブラッドガルドの世界のじゃがいもの実も毒が多く、魔女や呪い師の間ではひっそりとやりとりされるのが目的だった。

 緑の毒を栽培するのが先か、それとも地中の食用部分目的で栽培するのが先か――どちらが先かはわからなかったが、どちらにせよ食用部分は土の中だ。茎だろうがなんだろうが、食える部分が『実』なのである。そういうわけで、農家や冒険者は気にせず口にしているが、女神聖教の信徒や貴族たちの間では、魔物の餌になるような卑しい実、ということになっている。


「そもそも、言い出したのは女神の信徒どものようだがな」

「それ、当の女神様はどう思ってるんだろうね……」


 瑠璃はポテトチップスの袋をばりっと開きつつ、なんとも言えない表情で言った。こうした考えのなかには、セラフの意思とは無関係に、勝手に人間が制定したものも多そうだ。


 ――そういえば、女神様はいまどうしてるんだろう?


 なかなか地上に行けないので、いま地上がどうなっているかはわからない。それでも瑠璃がその問いを口にする前に、ブラッドガルドが続けた。


「そもそも、土は土で別の奴の領分だからな。……そういう意味では馬鹿らしいとも言える」

「え? あー、土の神様だっけ。もう世界に溶けてるんだよね?」

「いないと言われればそれまでだ」


 世界は四人の精霊――神によってつくられた。

 けれど女神の信徒からすれば、世界は女神セラフが独りで作ったことになっている。ブラッドガルドの横暴さから救ってもらうために専属契約をかわした、という事実が、長い時間のうちにそうなってしまったのだろう。けれどもいまを生きる人間にとって、他の神様の存在はあまり認められないのだ。


「ブラッド君、知り合いだったんでしょ。どういう人だったかとか、覚えてないの?」

「覚えてはいるが、興味は無い」


 ざらざらと皿の中にポテトチップスを取り出しつつ、瑠璃は呆れた。


「……ブラッド君、ホントに友達いないよね……」

「だからどうした」

「どうもしないけどさあ~……」


 むしろこれは他人に興味が無いんだろうか、と少し思う瑠璃だった。


「そんなどうでもいいことより、説明をしろ。説明を。早く」

「も~っ、わかったからテーブル叩かないで!」


 指先で急かすようにテーブルを叩くブラッドガルドに、瑠璃はコップを用意しながら言った。ペットボトルの蓋を開けると、シュワッとした炭酸の心地良い音を響かせながら、コップに透明な液体を注ぐ。


「ポテチは正式にはポテトチップス。ポテトがじゃがいもで、チップスがまあ、欠片とか削りくずとかそういう意味」

「……まあ、確かにこれがじゃがいもと言われると」


 瑠璃がコップをひとつ、ブラッドガルドの前に滑らせるのと同時に、ブラッドガルドの手がポテトチップスに伸びた。その手はすぐに取って返し、パリッとした気持ちの良い音を響かせて、薄いポテトチップスが砕かれる。


「……塩だな」

「なんかもっと他に言うことあるでしょ」


 塩味のものに対して塩と言われると、あんまりにあんまりすぎて困ってしまう。


「一応、いろんな業界団体が『由来はこれだよ』って言ってる説があってね。それが、ジョージ・クラムってシェフが作ったって説なんだけど」

「ほう」


 ぱり、と音をさせつつ、ブラッドガルドは続きを促す。


「一八五三年。ニューヨークのサラトガ・スプリングスにある『ムーンズレイクハウス』で働いてたジョージ・クラムは、あるとき、お客さんのひとりだったコーネリアス・ヴァンダービルドって人にクレームを入れられちゃうんだよ。『フレンチフライが分厚すぎ』ってね」

「フレンチフライ?」

「私がたまに言ってるフライドポテトのことだよ。他にもチップスとかフリッツとか、いろんな呼び方があるけどね。フライドポテトも和製英語だよ。基本的にはジャガイモを切って、油で揚げたやつのこと」


 だから細切りにしてあろうが、網状にしてあろうが、皮付きの少し厚いタイプだろうが、ポテトはポテトだ。


「で、そのクレームに腹を立てて、嫌がらせのつもりでこれ以上ないくらい薄くジャガイモを切って、堅くなるまで油で揚げて、仕上げに塩を思いっきり振りかけた」

「どちらにせよ贅沢な菓子ではあるな。素材はともかく」

「当時でもお金持ち御用達みたいなホテルだったみたいだからね」


 瑠璃の言葉に、ブラッドガルドは鼻を鳴らした。


「ただ、その当時はいわゆる有色人種が特許を取ることはできなくて。それでいろいろなところが真似しはじめたんだ。でもムーンズレイクハウスはポテトチップス発祥の地としてお金持ちの間で長く愛された……。……と、ここまではいい話なんだけど」


 瑠璃はスマホの画面をスクロールすると、ついでに何枚かポテトチップスを食べてから続けた。


「実際のところは違うみたいなんだよね。伝説というか。細かく調べた人がいたみたいで」

「ほう」

「エリザって女性が作ったって話が残ってたり、そもそも一八五三年には、件のコーネリアス・ヴァンダービルドはヨーロッパ旅行に行ってるとか」

「貴様らは前提から覆すのが好きだな?」

「一八○○年代にはもう既にポテトチップスは評判になっていたとか、そもそも起源はサラトガですらなかったとか……」


 近くに置いておいたウェットティッシュで手を拭き取り、スマホの画面をタップする。


「だから、この話は有名人を絡めたレストランジョーク的な意味合いもあるんじゃないか、みたいなことも書いてあるね」

「……王女が輿入れと共に持ってきた時代から変わらん、ということか」

「そうだよねえ。そのほうが物語として面白いというか、しっかりしてるもん」


 うんうん、と瑠璃は頷いた。


「しかし何故これを持ってきた。昨日で満足したはずだろうが」

「ほぼ全部食べといてそれ言う?」


 もう一袋のポテトチップスに手を伸ばす。ばりっと開けると、いましがた無くなった皿に中身を明け渡す。


「しょうがないじゃん。食べたかったし。あとほら、カイン君とこで野菜がメチャクチャ余ってるって言ったじゃん。油で揚げられるならポテチ良くないかなって」

「あれは余っているのではなく貴様のせいだが」


 瑠璃が何か言う前に、ブラッドガルドは少し考えてから言った。


「……しかし、そう思うとこの冬が無事に越せたのが苛ついて思えるな……」

「なんで!?」


 他人には興味が無いくせに、他人が幸せになろうとするのには苛つく、その精神が理解できなかった。


「……ところで、そっちはパッケージが違うようだが」

「あ、そっちがコンソメね。私はコンソメのほうが好きかも」


 さっきよりもほんのりとオレンジ色がかった粉のかかったポテトチップスが、皿の上に明けられる。


「さっきも思ったが、このコンソメというのはなんだ」

「えっ。知らない? コンソメ。ああでもそっか、そっちの世界にあるかどうかわかんないよね」


 瑠璃はコンソメ味を何枚か貰いつつ、スマホで検索する。最初のうちに食べておかないと、あっという間に無くなってしまうからだ。


「コンソメって、もともとはフランスのスープのひとつだって。肉とか魚とかからとった出汁、つまりブイヨンに、脂肪の少ない肉や野菜を加えて煮立てて作ったやつ。コンソメ自体がフランス語で「完成された」って意味があって、色は澄んだ琥珀色じゃないとダメ。めちゃくちゃ手のかかるスープなんだって」

「ほう」

「私もはじめて知った」

「またか、貴様」

「というか、日本だとこの最初のブイヨンとコンソメが混同してるらしいよ。その理由が……えーと……、定番商品の固形ブイヨンに『コンソメ』って名前がついてたからっていう……」


 へー、と瑠璃は自分が感心しながら、書かれていることを説明した。ブラッドガルドの眉間にやや皺が寄り、呆れたような色を浮かべた。


「なら、貴様の家にもその固形のコンソメがあるのか」

「うん。最近はあんまり使ってないけど、あった気がする。なんか作ろうか?」

「貴様の腕は信用ならんからいい」

「おい」


 頭に怒りマークを浮かべてツッコミを入れる。


「なんで私が作るっていうと毎回拒否すんの!? というか、拒否るほど食べてないじゃん!?」

「……」


 ブラッドガルドの目が一瞬違う方向を向いた。

 その様子に瑠璃は目を瞬かせる。


「ん? なに?」

「……。……そんなことより、ポテトチップスの話をしろ。コンソメの話はどうした」

「ええ……」


 この謎の切り替えの速さだけは、瑠璃はついていけなかった。


 ――まあ、なんか私に言いにくいのかもしれないけど。


「早くしろ」

「しょーがないなあー。もうそんな言う事無いと思うんだけど。……えっとね、これはカルビーが売り出したポテチのコンソメ味がヒットしてから、他のお菓子でもコンソメ風味ってのが一般化したんだって」

「ふん」

「他にも有名なメーカーだと、湖池屋ってところがあるんだけどね。そこも塩味だけじゃもったいないってことで売り出したのがのり塩味だよ。そんな感じで、いろいろな味がつけられていまは売られてるよ。コンソメひとつとっても、いろんなメーカーが出してるしねえ。あとはポテチの堅さとか食感とかかな」


 瑠璃はそう言いつつ、置いてあった袋に残った最後のひとつを取り出した。


「はい、じゃあこれはブラッド君用」


 袋ではなく箱に入ったそれを取り出すと、ブラッドガルドの前へと滑らせる。


「……これは……!」

「実はこれ見つけちゃったから、今日はポテチにしようかな~って。昨日と同じなんだけど、まあ許してよ」


 言いつつ見せたのは、チョコレートでコーティングされたポテトチップスだった。箱に描かれたポテトチップスの色合いから、すべてを悟るブラッドガルド。これがあるから持ってきたのだと。言い訳めいたその言葉に、何を言っていいのか言葉を失っている。


「……貴様……、貴様という奴は……。そこまでするのならば何故……」


 もはや怒りなのか何なのかわからないものにうち震え、ようやくそこまで口にする。反対に、瑠璃はだいたいいつも通りに戻ったブラッドガルドに満足げに頷いていた。

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 >「……貴様……、貴様という奴は……。そこまでするのならば何故……」  ブラッド君、何が言いたいのかわたくし本気で分かりません!   例えば何故最初にチョコ掛けポテチを出さないのかという文句なら、…
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